
山口県萩市街の北西には、標高145mの指月(しづき)山が海を突き出すような形でそびえ立っています。その山頂と麓は、かつて毛利輝元(もうり てるもと)が築城した場所ですね。
麓にあった城跡が「萩城跡」。現在では指月公園として整備され、萩城下町からのアクセスも抜群な市民の憩いの場となっている。2015年には、大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ地として選ばれました。
園内には、今も残る本丸の雁木や扇の勾配が美しい天守台、海に面する城郭など石垣めぐりが楽しい。また、毛利家歴代藩主が祀られた志都岐神社や、花江茶亭など毛利家ゆかりの建物など見どころが多いです。
本記事では、江戸時代の雰囲気と歴史が感じられる「萩城跡(指月公園)」の魅力を紹介します。
目次
毛利輝元と萩城、そして指月公園へ

毛利輝元は、戦国時代後期から江戸時代初期に活躍して、中国地方8ヶ国120万石を所有した大名です。
1589年に広島城を築城し、関ヶ原の戦いに西軍の総大将として参加したことで知られています。御存じの通り、戦いの結果は西軍の敗北となり、戦後は周防国・長門国に転封となりました。
広島城に代わる新たな居城として、萩の地に1604年(慶長9年)に萩城を建てることに。萩城は、指月山の山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と、山頂にある山城(詰丸)で構成されています。250年という長い年月の間、長州藩(萩藩)の拠点として活用されたのは、歴史の知るところですね。
指月山の麓に築城したことから、別名で「指月城」とも呼ばれているぞ。幕末には、長州藩13代藩主・毛利敬親(もうり たかちか)により、幕府には無断で山口城(山口市)に藩庁を移したことで、萩城の役割は事実上終わりました。

1874年(明治7年)に明治政府が発布した廃城令により、天守や櫓、門などの建物は取り壊され、現在では約20万平方メートルもある敷地を指月公園として整備済み。萩城時代にあった、美しい石垣や堀など城跡の構造をよく残していることが特徴的です。
春の桜シーズンには、約600本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても有名ですよ。また、秋には約5,000株のつわぶきが見頃を迎え、冬になるとサザンカが五弁の白い花を咲かせます。
1951年に国の史跡に指定され、2006年に日本城郭協会により「日本100名城」に選ばれました。2015年には、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして登録され今に至ります。
【周辺の見どころ】
萩城跡周辺の見どころを、下記記事で紹介します。
南門跡から萩城跡を巡る

萩市指月第一駐車場から北へ向けて道なりに本丸を目指すと、毛利輝元の像が立つ南門跡へ到着します。
南門は、二の丸の入口となる門であり、巨大な鏡石も据えられた立派な石垣が、目を引くだろう。これらは城の守りを固めるため、虎口城門としての役割があったみたい。このことから、敵の侵入を防ぐために何かしらの工夫を凝らしていたのは、容易に想像できますね。
今は門があった形跡がなにもなく、中堀も埋め立てられているため、この石垣だけが当時の様子を物語っている。周囲を見渡すと、萩焼のお店が並んでいるのが印象的でした。

そんな門跡をあとにして先へ進むと、見てくるのが萩城跡(指月公園)の内堀だ。内堀には橋が架かっており、橋の上には「史跡 萩城址」と刻まれた石碑が建てられている。

指月山をバックにして水堀と天守台、石垣が織りなす景観が素晴らしく、思わずカメラのシャッターを切っていました。記念撮影するのに持って来いの場所ですね。
また、多くの城跡は歩いて中へ入るところが多いのですが、萩城跡では自転車の乗り入れがOK。マイ自転車やレンタサイクルで訪れたならば、そのまま中へ入りましょう。
ただし、路面状態がそれほどよくないので、ロードバイクなど細いタイヤで走ると苦労するかな。(私がそうでしたので、結局徒歩で見て回りました)なので、ママチャリの方が無難です。
本丸跡や海に面する城郭など石垣めぐりが面白い

萩城跡の石垣は、約1億年前の火山によってできた花崗岩や安山岩を利用しています。
花崗岩は、硬くて風化に強い性質や耐圧強度があるため、建造物に見かける機会が多いですね。それに、比較的加工しやすいので、様々な形状にできるという。さらに付け加えると、磨くと光沢が出て高級感を醸し出すそうな。まさに石界隈のエリートといえるだろうな。
指月公園料金所のそばには、枡形門の土台となる高さ約3.6mに囲まれた石垣が残っている。鉄砲狭間(さま)が開いた練塀の形跡が見当たらないけれど、おそらくあったに違いない。
本丸は、萩藩庁と藩主の居館を兼ねた本丸御殿が建つところ。そのため、侵入者に備えた高い警備力が求められます。
一般的に石垣は、区画を仕切り、所々に櫓を置くものだ。櫓は敵の監視や攻撃拠点、武器庫など城の防御において欠かすことができないですね。
石垣は櫓台をつなぐ役割があるだけでなく、監視や射撃を行う台座としても使えるので、様々な工夫をしているぞ。

たとえば、こちらの「雁木(がんぎ)」に注目しよう。雁木とは、石垣の上へ登るための石段のこと。このおかげでスムーズな移動を可能にしています。
本丸南面の雁木は、全国屈指の長さを誇るのでお見逃しなく。これほど長ければ、一度にたくさんの兵が移動できるだろうな。
また、同じような働きをするものには、「合坂(あいさか)」という、V字状に配置された石段があり、萩城跡では雁木と共に見かける機会が多いです。

二の丸の東側へ歩いていくと、海に面して築かれた石垣が見えてくる。
日本海と織りなす石垣の景観は、インパクトが抜群だ。高さ約4~5mの石垣がどこまでも続いている感じがしますね。せっかくなので、荒川矢倉跡の上へあがってみよう。

荒川矢倉跡からは、美しい日本海と白い砂浜が印象的な菊ヶ浜を一望できる。波の音に耳を傾けながら、ボーと過ごしてみよう。時にはそういう時間が大事ですね。
屏風のようにジグザグに折り曲がる石垣がいい感じ。このような石垣は、「屏風折れ」と呼ばれており、正面だけでなく、側面からの攻撃を防ぐための工夫なんだとか。それに石垣の一部には、銃眼(狭間)が開いた土塀が復元されています。


東門跡から紙矢倉跡までは、雁木や合坂が設けられた石垣が見て取れる。一方、潮入門跡から荒川矢倉跡までは土塁になっていて、その変化が面白い。調べたところでは、北側にある北矢倉跡まで土塁は続くみたいです。
海をはさんで4~5㎞ほど北東に位置する「笠山」には、かつて萩藩の石切り場があったそうな。ここで切り出された安山岩が、萩城の石垣に使われましたが、ほとんどは指月山から切り出された花崗岩だったそうです。



特に潮入門跡周辺は、日本海や菊ヶ浜、遠くに山脈が連なる絶景を楽しめるビュースポット。海に面したお城の面目躍如といえるだろうな。
萩城跡を歩いていて、気が付くのはその場所ごとに合った石垣が多いこと。たとえば、天守台では美しい勾配を描いているし、枡形付近では、ほぼ垂直で高さのない石垣が目を引く。
それに本丸にある長大な雁木、二の丸の屏風折れや合坂などを見ていると、戦いに何が必要なのかよく理解しているのだろう。そもそも海と山に囲まれた萩城は、天然の要塞であり、攻めるのはただでさえ難しい。
さらに防備をグレードアップした毛利家の人たちは、たとえ平和な時代でも備えることの重要さを説いているように感じました。
【お城の紹介(その1)】
旅先で訪れたお城や城跡を、下記記事で紹介します。
扇の勾配が美しい「天守台」と内堀の景観は必見

かつて萩城には、高さ約10mもある石垣の上に5層5階の複合式望楼型の天守が建っていました。
天守は廃城令により取り壊されてしまいましたが、天守台とその礎石は残されています。天守台の形状は、緩やかな勾配で始まっていて、上にいくにつれ勾配が変化しており、上部では急に反り上がる様が美しい。いわゆる「扇の勾配」と呼ばれる形状ですね。
また、ジッと石の積み方を見ていると、古めかしく感じるかも。だけどそれが味わいを感じます。主に「打ち込み接ぎ」という技法が用いられており、石の表面や角を叩いて平らにし、隙間を小さくして積み上げることで、石垣全体の安定性を高めているぞ。

この天守台の上を、石段を歩いて上ってみよう。そこには、天守の礎石がたくさん残っています。また、ベンチがあるので、ここで一休みしていくのもいいですね。



内堀沿いをのんびりと歩きながら、様々な角度で天守台と内堀が織りなす景観を眺めて下さいね。
夜になると、ライトアップ(通年:日没~22:00)されるので、水鏡に映る美しい姿を楽しめます。

こちらは、天守台の案内板にて紹介されていた天守です。桃山時代初期の様式で、高さ約14.4mもある威風堂々とした佇まいが見事なり。このような天守が、取り壊されたと思うと残念でなりません。
萩市観光協会の公式ホームページなどから、在りし日の天守の姿をVR映像でご覧になれます。
【お城の紹介(その2)】
旅先で訪れたお城や城跡を、下記記事で紹介します。
歴代藩主が祀られた「志都岐山神社」

園内の奥へ歩いて行くと、石造りの鳥居が見えてきて、その奥に「志都岐山神社(しづきやまじんじゃ)」があります。
この神社では、毛利家の初代から12代までの歴代藩主が祀られており、ご祭神は毛利家の以下藩主だった人たち。
- 毛利元就(もうり もとなり)
- 毛利隆元(もうり たかもと)
- 毛利輝元(もうり てるもと)
- 毛利敬親(もうり たかちか)
- 毛利元徳(もうり もとのり)
特に毛利元就は、戦国時代に一代で中国地方のほぼ全域を制覇し、「戦国の雄」と称された英傑ですね。戦国ファンでなくても、名前を聞いたことがある人は多いと思います。
ご利益には「家内安全・開運・厄除け・学業成就・必勝祈願」などがあるそうな。
萩城跡という毛利家と縁深い場所で、歴史と文化に触れながら、日頃の感謝の気持ちを伝えてみよう。毛利家の人たちが、願いを叶えてくれるかも知れません。

拝殿にかかっている幕にて、「一文字に三ツ星」の家紋を発見。毛利家の家紋として有名すぎる。ちなみに、山口県の神社ではよく見かけるそうですよ。
三ツ星は将軍星とも呼ばれ、武家の間で武威を高める象徴なんだとか。それに、一文字は「相手に打ち勝つ」という意味があるという。
この家紋は、毛利氏の遠祖である平城天皇の皇子・阿保親王(あぼしんのう)が考えたそうで、デザインセンス良し。元就公の「三矢の教え」の話は有名なので、知っている人も多いと思いますが、そこからこの家紋が作られたと勘違いしている人もいるだろうな。

志都岐山神社前の庭池には、小さな石の太鼓橋が架かっています。この橋は「万歳橋(ばんせいばし)」といって、もともとは藩校・明倫館の聖廟にあった池に架けられていたものを明治維新後に移築しました。
花崗岩で造られたこの橋は、高欄の橋柱が左右に5本ずつあり、中国風のデザインがいい感じ。橋の出入り口には、通行止め用に横に長い棒が設置されているので、無理に渡らないように気を付けて下さいね。
この辺りには、春になるととても珍しい桜(ソメイヨシノ)が見られます。遠目からでは、ソメイヨシノに似ていますが、ガグが緑色なことから「ミドリヨシノ」と名付けられました。
山口県の天然記念物であり、萩市のみでしか見られない貴重な桜なんだとか。機会があれば、ぜひ見てみたいですね。そういえば、貴重な桜で思い出しましたが、岡山県の宗堂桜も見事です。


また、万歳橋の前には、長い台座の立つ狛犬の凛々しいこと。1881年(明治14年)に奉納された最大の萩狛犬なんだそうな。
それによく台座を見てみると、何と四隅を小人が支えているではないですか。こういう台座は珍しいかな。さらに台座には、牡丹の飾り彫りがされています。この台座が造られて以降、牡丹の花が咲く台座はなくなったので、お見逃しなく。
園内に佇む茶室(花江茶亭、梨羽家茶室)の雰囲気良し

園内には、13代藩主・毛利敬親が家臣たちと茶事を勤しんだ「花江茶亭(はなのえちゃてい)」が移築されています。
もともとは、三の丸内の橋本川沿いにあった別邸・花江御殿内にあった茶室だったそうな。敬親公は、家臣の意見をよく聞き入れて藩政を運営していました。そのため、「そうせい公」というあだ名で呼ばれていたそうです。
ちなみに、あだ名の由来は家臣の進言を聞いて、最終的に「そうせい(それで良い)」と判断していたことから付けられたみたい。
敬親公と家臣たちは、この茶室で藩の政(まつりごと)を画策したといわれています。なるほど、茶をたしなみながらリラックスした状態であれば、活発な意見交換ができていたのだろうな。
そうせい公のあだ名と言い、敬親公の人柄が分かるというものですね。



花江茶亭の周辺は、苔むした風景が見られるぞ。緑色の絨毯を広げた一面の苔模様から、古さや時の流れを感じさせる。
そのような中で、木造入母屋造り茅葺き平屋建ての花江茶亭は、よく周囲に溶け込んでおり、独特の雰囲気を醸し出しています。
花江茶亭は通常、一般公開していません。不定期ですが茶席(有料)を営業しているので、興味がある人は、萩市観光協会の公式ホームページから開催日をご確認下さいね。

また、花江茶亭のすぐ近くには、「梨羽家茶室(なしばけちゃしつ)」があります。
こちらの茶室は、毛利家の重臣・梨羽家の別邸の茶室であり、梨羽氏別邸にあったものを明治時代に移築しました。
城内の年末大掃除の際には、藩主は城を出て重臣の邸へ向かう慣例があったそうで、この茶室に藩主を迎え入れたそうな。そのため、「煤払いの茶室」とも呼ばれています。
二の丸にある「東園」

園内の東部分へ足を運ぶと、そこには二の丸に造られた「東園」と呼ばれる池泉回遊式庭園があります。
この東園は、6代藩主・毛利宗広が、それ以前に存在していた庭園(御花畠)や池をベースにして回遊式庭園を造り、高い館を建てて園内を総覧できるようにしたそうです。
そして、7代目藩主・毛利重就の時代には、庭園内に樹木や巨石、建築に対して「六景二十勝」を定めて名前を付けることで、その景観を装飾したという。最期の藩主となった敬親公の時代まで、藩主の遊興や祭祀の空間として親しまれていました。
個人的な感想ですが、日本庭園の面影を残す部分はありましたが、全体的に庭園というより、指月公園の自然と一体化しているような感じがしましたね。そのため、「東園」の案内板がなければ、庭園だとは気が付かない人も多いと思います。
萩城跡(指月公園)の基本情報とアクセス
| 住所 | 山口県萩市堀内1-1 |
| 電話番号 | 0838-25-1826(指月公園料金所) 0838-25-1750(萩市観光協会) |
| 営業時間 | 4~10月 8:00~18:30 11~2月 8:30~16:30 3月 8:30~18:00 |
| 休園日 | 年中無休 |
| 入園料 | 大人 220円(120円) 小・中学生 100円(60円) ※30名以上で団体割引きあり、( )内の金額は割引き後の料金 ※これらの金額は、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と共通券の料金 |
【アクセス】
- JR東萩駅から徒歩約40分
- 萩循環まぁーるバス(西回りコース)に乗って、「萩城跡・指月公園入口・北門屋敷入口」バス停に下車後、徒歩約5分
- 小郡萩道路「絵堂IC」から車で約20分
萩城跡(指月公園)の駐車場
萩城跡(指月公園)には、無料の指月第一駐車場があります。(普通車51台、大型車2台)
まとめ

「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された萩城下町。その構成資産の中には、本記事で紹介した「萩城跡(指月公園)」があります。
明治の廃城令により、今は石垣や堀のみしか現存していませんが、扇の勾配が美しい天守台を始めとする海に面した城郭などが美しいですね。また、毛利氏歴代藩主が祀られた志都岐神社、毛利家ゆかりの花江茶亭なども楽しめます。
萩市内にはレンタサイクルが利用できる場所が多く、1日で効率よく見て回る際にとても便利。萩城下町や萩城跡の観光におすすめします。


