
日本国内には、日光江戸村(栃木県)や東映太秦映画村(京都府)、博物館明治村(愛知県)など歴史を体験できる様々なテーマパークが点在します。興味がある方も多いのではないだろうか。
岡山県井原市美星町にも、そのようなテーマパーク「中世夢が原(ちゅうせいゆめがはら)」があります。実は以前から興味がありましたが、自転車ではアクセスがあまりよくなく、後回しにしていました。
去年(2025年)は明治村(こちらの記事で紹介)へ行きましたが、歴史を体験できる施設に対してより興味を深め、今度は中世夢が原へ行くことに決行。そして、その後は前から気になっていた広島県福山市にある「紙ヒコーキ博物館」にも足を運ぶことにした次第です。
本記事では、矢掛駅から旅立ち約10kmにおよぶヒルクライムを経て美星町へ向かい、その後に福山市へ訪れる自転車旅の様子をお届けします。
目次
矢掛駅から旅立ち矢掛宿へ

井原鉄道の電車に揺られてやってきたのは矢掛駅です。ここから美星町へ向けて旅立ちます。
矢掛駅のある矢掛町は、岡山県の南西部に位置しており、かつて山陽道(西国街道)の18番目の宿場町として栄えました。今でも往時の古い町並みが残ります。


まだ朝が早いためか人通りが少なく、これから町が動き出す感じ。カフェや食事処が軒を並びますが、まだ準備中みたい。そういえば、矢掛宿では日曜朝市や季節のグルメイベントを開催しているかな。気になる方はチャックして下さいね。
それに、何といっても日本で唯一「本陣」と「脇本陣」が残る貴重な場所ですよ。歴史に興味がある方には、満足度が高いだろう。個人的には、何度も矢掛宿へ訪れていますが、来るたびに新鮮な驚きがあります。
漆喰塗込の重厚な町家は実に風情があり、町歩きをしているだけでも楽しい。つかの間の時間でしたが、矢掛宿を満喫しました。
矢掛宿や本陣の石井家住宅については、下記関連記事でくわしく紹介します。
美星町へ向けてヒルクライム

矢掛宿を抜けて、星田川沿いの東水砂矢掛線(県道408号)を進みます。東水砂矢掛線は、井原市美星町東水砂を起点にして、矢掛町東川面まで続く約6kmの県道ですね。
この県道を道なりに北上し、その後に続く笠岡美星線(県道48号)も道なりに北上すると、本日の目的地「中世夢が原」のある美星町三山地区まで辿り着けます。道の分岐が少なくて、分かりやすいので、こちらのコースを選びました。
ただし、ずっと坂道が続くのでママチャリのような自転車では結構厳しい。距離にして約10kmほどもあり、全体的に勾配平均は7%前後なので、電動アシスト自転車がおすすめ。
ロードバイクやクロスバイクであれば、ヒルクライムの練習に丁度良いと思います(個人差あり)。ということで、美星町へ向けてレッツゴー♪


上り始めると、最初から7%前後の勾配が続きます。その内、5%前後に落ち着いたり、10%を越える区間が続いたりするので、本格的なヒルクライムを楽しむのに十分だろう。
また、アップダウンがなくて、ずっと上りぱっなしというのは結構堪えますね。


しばらくして、井原市美星町へ入りました。そこで見つけたのは、美星町に関する案内板。美星町といえば、やはり「星の郷」というイメージが強い。
1989年に全国で初めて光害防止条例が制定された珍しい町として有名です。それに加え、アジア初の「星空保護区」認定地であり、日本三選星名所にも選ばれています。
素晴らしい星空が広がるので、それをお目当てに訪れる人が多いそうですよ。

坂道を上り続けていると、体温が急上昇。汗もしたたり落ち、のどが渇きます。ちびちびと水筒の水を飲みながら、ペダルをクルクルと回し続けて先へ進みました。そのような中、命の水(自販機)を発見。
これは休憩するしかないでしょ。山の中では、自動販売機がある方が珍しいので、見つけると絶対に立ち寄りたいです。ジュースを飲みながらしばし休憩をとると、くっ~~~生き返る♪♪
結果的に、中世夢が原までに私が見つけた自販機はここだけでしたので、もしスルーしていたら危なかったですね。
休憩を終えると、もうひと頑張りしますかということで、再びヒルクライムを再開します。



しばらく坂道を上り続けていると、道脇に大きな中世夢が原の案内板が見えてきました。苦労して上ってきた分、この案内板に笑みがこぼれます。
それでは、ラストスパートのダンシングの開始。今までの疲れが嘘のように、快調に坂道を駆け抜けました。
中世夢が原で鎌倉・室町時代の暮らしに触れる

中世夢が原へ近づくと、「大きな古時計」のメロディーが聞こえてきます。オカリナにより奏でられた優しいメロディーがいい感じ。
中世夢が原へ辿り着いて知りましたが、本日はオカリナコンサートの開催日でした。事前にそのことを知らなかったので、まったく良いタイミングで来たものです。
これはヒルクライムのご褒美かしら。なので、ありがたくオカリナコンサートも鑑賞することにします。

こちらは、中世夢が原の入口近くで見つけたお堂(弁財天)。道を挟んだところにあり、気になったので近づいたのですが、これが大正解。
お堂の中には、極彩色の弁財天人形を安置しています。これだけでも珍しいのですが、個人的に最も驚いたのは、屋根瓦の装飾です。

なんとそこにも弁財天のお姿が見られたぞ。それに、そよ風に揺れる山藤の下にて、ひっそりと佇むお堂は実に風情がある。
ちなみに、ここで藤にまつわる豆知識を紹介。「藤」と「山藤(野藤ともいう)」は別物です。私も昔は、山に自生するので山藤と言うのだと思っていたのですが、そうではないとのこと。
藤の花房は長く、根元から見てつるが時計回りに進みます。一方、山藤は花房が短く、反対時計回りにつるが進むという特徴がある。このことを知った時は「なに~~!?」と結構驚いたのをよく覚えています。
弁財天にお参りを済ますと、よいよ中世夢が原の中へ入りました。


園内では、鎌倉・室町時代の吉備高原にあった村を再現しており、発掘資料や絵巻物を基にして再現された「農家・武士の屋敷・三斎市・山城・城主の館」など見どころが多いですね。
また、山桜や新緑、紅葉といった四季折々の自然も楽しめる場所となっています。

こちらは農家です。農家は近くに複数まとまっているので、一つ一つ中へ入ってみよう。囲炉裏やかまど、土鍋、瓶など調度品がたくさん並んでいて、当時の生活を垣間見ることができます。



三斎市(さんさいいち)では、通りの左右に長屋が並び、地元特産品や手工芸品などが売られています。そもそも三斎市とは、中世から近世にかけて月に3回定期的に開かれた市場のこと。それを再現していますよ。

三斎市では、オカリナコンサートが開催されていました。参加者にはグループや一人で演奏する人もいて、日頃の練習の成果をいかんなく発揮されているように見えたかな。
演奏された曲には「鳥の詩」「津軽海峡冬景色」「乾杯」「てのひらを太陽に」「大きな古時計」など結構しっているものが多かったです。
特に鳥の詩のメロディーが流れてきた時は、心の中で「あなたがいた頃は 笑いさざめき~」と思わず歌っていたかも。小学生時代に聞いた思い出部深い曲ですね。
オカリナの音色を楽しんだり、竹の弓矢を使った的当てを遊んだり、園内を歩きながら様々な施設を見学しながら鎌倉・室町時代の世界に浸りました。
中世夢が原については、下記関連記事でくわしく紹介します。
紙ヒコーキ博物館へ向かう道中にて

昼時ということもあり、中世夢が原の駐車場内にある食事処「夢味庵」へ足を運びました。こちらのお店は、角煮そばを中心とした郷土料理のお店ですよ。
少し離れた場所には、星の郷青空市があるのでどちらで食事をしようか少し悩みましたが、最終的に近場のこちらに決定。外には行列ができていて、結構賑わっていましたね。

私が注文したのは天ぷらそばです。そばはコシのある麺で、ボリューミー。天ぷらの衣もサクサクで美味しい。先ほどまで、それなりに歩き回っていたので、ご飯を食べながらゆっくりと休憩をとり体力の回復に努めました。
さて、次の目的地である「紙ヒコーキ博物館」へ向かいましょうかね。この時に、そういえばこの博物館は16時に閉館するのを思い出し、時間を確認すると既に13時30分近く。
約30km先にある博物館内へ訪れて見学する時間を考えると、ちょっと微妙かも。ということで、急いで中世夢が原を後にした次第です。


せっかく美星町にきたので、星の郷青空市へ立ち寄ったのですが、時間にそれほど余裕がなかったので、本当にただ立ち寄るだけでした。今後来るときは、こちらで地元の新鮮なミルクで作るジャラートを食べたいです。

矢掛町から美星町へ向かう行きしなは、ほとんど坂道を上りぱっなしでしたが、これから麓に戻るので今度はダウンヒルとなります。
星の里街道を南下して、再び笠岡美星線(県道48号)へ合流すると、道なりに坂道を下り、気が付くと麓へ到着していました。実際は麓まで10~15分ほどかかりましたが、体感的にかなり短く感じましたね。
その後、旧山陽道(西国街道)などを通過して西へ向かい福山市を目指した次第です。
かつての西国街道は、江戸時代に京都から下関または九州の太宰府へ至る主要な幹線道路。今は生活道路や商店街・歴史散策路になっていて、道沿いには古い町並みを見かける機会が多いです。なので、私は旅路に良く利用しています。



井原市の荏原(えばら)地区へ通りかかると、北条早雲(ほうじょう そううん)のゆかりの地という案内板を発見。早雲公といえば、戦国大名の先駆けとして知られている存在だ。
北条氏ゆかりの地は、神奈川県小田原市が特に有名。昔に北条五代の本拠地であった小田原城へ行ったことがありますが、こんなところにもあったとは、これは知りませんでした。
くわしく知りたかったのですが、今は時間がない。これは家に帰ってから調査ですね。ということで、後ろ髪を引かれる思いで先へ進みます。



いつの間にか福山市へ入っており、井原鉄道・井原線の終点となる神辺駅へ到着。駅前には、バラが綺麗に咲きていました。

どうやら「廉塾(れんじゅく)バラ」という種類のようです。調べてみると、名前の由来は、江戸時代に菅茶山が開いた学問所「廉塾」の中門脇などに自生したからみたい。
また、平安時代に中国から渡来してきた「庚申(こうしん)バラ」の一種なんですって。100年以上も前から地元で愛され続けている地域活性化のシンボルとのこと。
偶然訪れた神辺駅で、そのような貴重なバラが見られてラッキーでした。

神辺駅から西へ向かい、高屋川に架かる片山橋を渡ると、福山市御幸町へ入ります。ここまで来たら、紙ヒコーキ博物館まで歩いても5分もかかりません。
なので、加茂福山線(県道391号)沿いに建つ「紙ヒコーキ博物館」へあっという間に到着。サイコンで時計を確認すると15時20分頃でしたので、何とか閉館までに間に合いましたね。
ここまでくる道中には、色々と興味を引くものが多く、それなりに立ち止まることが多かったかも。まっ、それが私の旅のスタイルなのだから仕方がないでしょう。
紙ヒコーキ博物館を見学

紙ヒコーキ博物館は、その名前の通りに紙飛行機を保存展示している日本で唯一の博物館です。折り紙ヒコーキ協会会長の戸田拓夫(とだ たくお)さんが館長を務め、彼はギネス世界記録の保持者といいます。
所せまし並んだ紙飛行機には、どのようにして折ったのか分からない物も多々あり、それがとても面白い。また、大小様々な紙飛行機が一斉に並ぶのは、実に壮観ですよ。
私は子供の時に良く作って遊んでいましたが、大人になってからはさっぱり御無沙汰ですね。結構そのような人は多いだろうな。ここでは童心に帰って、紙飛行機を見るかでなく、実際に作ってみよう。2階のフライトエリアでは、飛ばせて遊べます。


スペースシャトルや名機「コンコルド」など見た目からしてカッコイイ機体がいっぱい。また、鳥・昆虫などの珍しい形をした物もあり、とても興味を引きました。
特にギネス世界記録を樹立した「スカイキング」はお見逃しなく。

こちらは、紙ヒコーキ博物館を知るキッカケとなったアンケート結果です。あらかじめ用意されたキッカケに対して、訪れた人が赤い丸シートを貼る仕組みですよ。
Googleマップやネット検索、口コミが多いみたい。意外にも通りすがりで訪れた人もそれなりにいます。
博物館では、このようなアンケートをたまに見かけますが、中々面白くてつい見てしまうかも。ちなみに、私はGoogleマップを見て知りました。

また、館内に貼られていた「とよまつ紙ヒコーキ・タワー」のポスターから、紙飛行機を飛ばすために造られた専用のタワーの存在を知りビックリ。
調べてみると、高さ26mの展望タワーで広島県神石高原町にあるようです。標高661mの米見山山頂公園に塔が建っているようですが、山奥の中で鉄道が通過してないのでアクセスはあまり良くありません。
それでも興味があるので、できれば機会を作って、今後の旅路で訪れたいですね。その後、紙ヒコーキ博物館を後にすると、福山市街へ入り福山駅に到着。そして帰路へつきました。
紙ヒコーキ博物館については、下記関連記事でくわしく紹介します。
まとめ

矢掛駅から旅立つ頃は、晴れてはいましたが空に薄い雲が覆い、今一つスッキリしないお天気でした。しかし、中世夢が原で過ごしている内に青空が広がるほど回復しましたね。
これが結果的に、美星町までの約10kmにおよぶヒルクライムにて、カンカン照りを避けれたので良かったのかも知れません。
そして青空の下、中世夢が原で鎌倉・室町時代を再現した村を満喫。「農家・武士の屋敷・三斎市・山城・城主の館」など見て回り、当時の生活を垣間見ることができました。
その後に足を運んだ「紙ヒコーキ博物館」では、カッコイイ紙飛行機や鳥・昆虫などユニークな形をした物を通して、紙飛行機の奥深さに触れることができました。紙飛行機に興味がある方は、ぜひ足を運んでみて下さいね。
美星町は、美しい星空を守るために光害防止条例を実施しただけでなく、星尾降神伝説が残る町ということで興味津々。次に訪れる時は、その伝説が色濃く残る場所を巡りたいです。


