「城郭の博物館」とも称された鳥取城。
鳥取市の官庁が集まるエリアには、戦国時代から江戸時代にかけて築かれた鳥取城の跡地があります。この鳥取城跡は、様々な石垣の遺構が残されており、その中でも球型に積み上げられた巻石垣(まきいしがき)は、ここでしか見られません。
現在は、周辺を久松公園として整備されており、地元の人々の憩いの場として親しまれている。
仁風閣や宝隆院庭園、中ノ御門表門など歴史を感じさせる見どころも多く、ぜひ足を運んでもらいたい。
本記事では、山下ノ丸(さんげのまる)エリアを中心に、鳥取城跡の見どころを紹介します。
鳥取城跡とは
鳥取城跡は、鳥取県鳥取市に位置しており、久松山(きゅうしょうざん)に築かれた山城の跡地です。さらに山麓を利用して平山城として整備された山下ノ丸(さんげのまる)では、鳥取藩32万石の居城の面影を残しています。
1545年(天文14年)に因藩の山名誠通により、本拠としていた天神山城の出城として築城されたのが始まりですね。関ヶ原の戦いの後、池田長吉が城主となった際には、大改修が行われました。今も残る景観は、その大改修に整備されたものだといわれています。
歴史上、何度も激戦の舞台となったことで知られており、特に織田信長の中国攻めでは、家臣の羽柴秀吉(豊臣秀吉のこと)が第二次鳥取城攻めで過酷な兵糧攻めを行なったことが有名ですね。餓死する人が大勢いたそうで、何とも恐ろしい作戦だ。(本当に恐ろしい!)
最終的には、城主・吉川経家(きっかわ つねいえ)の自害によりて開城し、約4ヶ月に及ぶ凄惨な戦いに終止符がうたれました。
鳥取城跡の範囲は広く、大きくは以下の2つに分かれます。
- 山麓にある「山下ノ丸(さんげのまる)」
- 山頂にある「山上ノ丸(さんじょうのまる)」
戦国時代に築かれた山城跡が山上ノ丸で、江戸時代に整備された平山城が山下ノ丸ですね。その時代の城郭の変化を見られるお得な城跡といえるかも。
標高263mの久松山の山頂にある山上ノ丸では、主に天守台があるので、興味がある方は登山して訪れてみよう。
国の史跡に指定されており、歴史的な魅力だけでなく「日本さくら名所100選」に選ばれるなど桜の名所として親しまれています。
【周辺の見所】
鳥取城跡の周辺の見どころを、下記記事で紹介します。
鳥取城跡の山下ノ丸エリアを紹介
鳥取城跡の入口は、複数個所ありますが、観光ルートとして北御門跡から入るのが一般的です。
このルートの入口は、石畳みの道が続き、歩いていると仁風閣や鳥取県立博物館が見えてきますので、鳥取城跡と一緒に見学するのをおすすめします。
こちらは、山下ノ丸エリアの全体図。
この全体図より、まずは坂道をのぼり二ノ丸へ向かおう。ちなみに先に仁風閣を見学してから、裏道の階段を上り二ノ丸へ行けます。
二ノ丸はかなり広く、芝生広場には緑豊かな樹木が立ち並び、見ているだけで心地よい。そしてなにより、鳥取市街を一望できるのが素晴らしいですね。この景色を見るだけでも訪れるかいがあると思う。
そこで、二ノ丸の景色をダイジェストで紹介します。
二ノ丸はきれいに整備されており、丘の上の公園といった雰囲気。開放感たっぷりの広場には、複数の櫓台跡が見て取れます。
その中の1つには、三階櫓跡がある。これは天守櫓が焼失した後で、鳥取城を象徴するものになりました。しかし、今は解体されて何も残っていないのが残念でなりません。(くわしくは後述します。)
その他にも菱櫓跡や走櫓跡、表御門跡があります。
櫓や門以外にも二ノ丸には、かつて藩主が住む御殿がありました。今は何も残されておらず一抹の寂しさを感じます。いずれ復元される日がくるかも知れませんね。
散策を続けていると、朱塗りの鳥居を発見。
こちらは、中坂稲荷神社ですよ。
神社の奥には、階段が続いており、ここから約30~40分ほど歩けば山上ノ丸へ辿り着く。
また、この神社にあった掲示板を見てビックリしました。
なんと「クマ目撃情報多発!!」と書いているじゃないですか。その文言に目を大きく見開いてしまった次第です。
私は熊が出るとは思っていなかったので、当然ながら何も熊対策を準備していない。無理をしてまで登山する必要ないので、またの機会に訪れることにしました。(無理はしない、これ大事。)
熊以外にもハチやイノシシが出るという。登山する際には、飲み物を携帯の上、歩きやすい服装を忘れずに。
二ノ丸の奥へ向かえば、球型に積み上げられた巻石垣(まきいしがき)のある天球丸跡へ辿り着きます。
【旅に役立つアイテムやサービスの紹介】
旅の道中で役立つアイテムやサービスを、下記記事で紹介します。
鳥取城の象徴であった三階櫓の跡地(三階櫓跡)
三階櫓は、1692年に山上ノ丸の天守櫓が焼失すると、鳥取城を象徴するものになりました。1879年(明治12年)に解体撤去が行われ今は存在していません。
鳥取市では、江戸時代の鳥取城の姿をわかりやすく伝えるため、2006年から30年後までに「三階櫓」の復元を含めた整備計画をたてています。
恐らく三階櫓の外観は当時と同じように復元すると思いますが、内部はどうなるのか興味深々。順当に考えれば、資料展示室になるのかな。
三階櫓跡からは、鳥取市街を一望できるおすすめスポット。
実は、三階櫓の石垣には面白いものがある。それがこちらのお左近(さご)の手水鉢。
「なぜ、こんな所に手水鉢が!」と思うかも知れませんが、もちろん理由があります。
鳥取城の基礎は、池田長吉の時代に築かれました。この時の工事では、長吉の子供である長幸の夫人の侍女・お左近の活躍が目覚ましく、難工事であった三階櫓の築城も石垣に手水鉢に埋め込んだところ、無事完成した逸話が残されています。
ぜひ探し出してみよう。
【城や城跡の紹介】
旅先で訪れた城や城跡を、下記記事で紹介します。
天球丸跡にある不思議な巻石垣
天球丸跡には、ここでしか見られない唯一無二の石垣があります。
それが「巻石垣(まきいしがき)」ですよ。その形状は、まるで亀の甲羅のように見える。
この不思議な石垣は、1807年頃に崩れそうな石垣を補強するために作られました。現存のものは復元されたものですが、美しく仕上げられた球面は、現代アートに通じるものがあるのではないでしょうか。
たとえ補強の目的だったとしても、製作者のこだわりを感じてしまう。
この巻石垣のよく見てみると「どこかで見たことあるな」と思わずにいられません。しばらくして、頭の中に天啓のように閃きを覚え、河川とかで見かける護岸に用いられた石垣に似ていると思った次第です。恐らくそうした技術が、鳥取城に活かされたのではないですかね。
この巻石垣は、「天球丸」とも呼ばれており、その名前は、関ヶ原の戦いの後、鳥取城主となった池田直吉の姉・天球院が住んだことに由来します。
尚、天球丸跡は高台になっており景色がよく、石垣の風景とあいまって、独特な世界観を作っていました。
【旅に役立つ話を紹介】
旅に出かける前は、しっかり準備をして当日は憂いなく楽しみたいですね。下記記事では、旅に役立つ話を紹介します。
【見所①】鳥取城跡の石垣
鳥取城では、1582年(天正10年)から1849年(嘉永2年)までの約270年間にかけて、何度も増改築が繰り返されてきた歴史があります。
そのため、至るどころで見事な石垣が見られる。緩やかな角度で積上げているものを見れば、優雅さを感じるだろう。
二ノ丸で、山の斜面に向かって伸びていく「登り石垣」を見つけました。登り石垣といえば、山の斜面に築かれていることが多いのですが、平地から上まで続いているのは珍しいと思う。
また、石がさくさん集められている場所がありました。すぐ近くに石切場が残っているのだから何も不思議ではないかな。けれど、綺麗に整備された鳥取城跡に似つかわしくないと思うのは、私だけでしょうかね。
青空の下、芝生と石垣が織りなす景色が心地よく、いつまでも眺めていたいと思う。
かの武田信玄が詠んだ和歌には「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」というものがある。何をよりも重要なのは「人」ということ。
鳥取城の壮大な石垣を作った人たちは、どのような気持ちで作ったのだろうか。城郭ファンであれば、想像するだけでも面白く感じるものですね。
【立派な石垣を紹介】
城や城跡へ訪れると、これは凄いと思わせる立派な石垣を見かけることがありますので、下記記事で紹介します。
【見所②】仁風閣と宝隆院庭園
仁風閣は、中国地方屈指の明治建築として名高い西洋館です。
フレンチ・ルネッサンス様式を基調としており、当時もてはやされたデザイン。この白亜の館は、木造瓦葺2階建ですよ。もともとは、1907年(明治40年)に当時皇太子であった大正天皇のために造られた宿泊施設です。今では一般公開されています。
館内には、鳥取藩に関する資料が展示されているので、鳥取城跡を見学する前にこちらへ訪れると、鳥取城跡の見学がより面白くなるでしょう。
仁風閣の2階へあがり、バルコニーからよく見える庭園が宝隆院庭園です。自然林を生かした池泉回遊式庭園は、実に見ごたえあり。ぜひ近くまで足を運んでみよう。
1863年(文久3年)に、当時の城主・池田慶徳(いけだ よしのり)により、宝隆院を慰めるために造られたといわれている。現在では、鳥取県の名勝に指定されています。
仁風閣と石垣、日本庭園が融合した美しい景観は、青空の下によく映えるフォトスポット。ぜひ記念に1枚撮って帰ろう。
尚、仁風閣については、下記関連記事でくわしく紹介します。
【見所③】擬宝珠橋と中ノ御門表門
鳥取城跡の内堀に架かっている橋は、2018年(平成30年)に復元された擬宝珠(ぎぼし)橋です。
欄干に擬宝珠が用いられていることから、その名前が付きました。擬宝珠とは、玉ねぎのような形の装飾で、お地蔵様や観音様などが手に持っている宝珠を模したものですよ。
当時使用されていた擬宝珠が1つだけ残されていたため、その擬宝珠で鋳型を起こして復元されました。復元された橋として国内最長の約37mを誇ります。
江戸時代には、端午の節句で若殿が橋の上に陣取って祭礼を見物したり、月見の宴が開催されることも。また、鳥取城の大手橋として、参勤交代の玄関になっているなど様々な活用がされていました。
擬宝珠橋を渡った先に見えるのが、中ノ御門(なかのごもん)表門ですね。中ノ御門表門は、2021年(令和3年)年3月に復元された鳥取城の大手門。
やはり、お城には歴史ロマン的に大手門が必要だと思う。1875年(明治8年)に解体された大手門が復活を遂げたのは、お城ファンとしては嬉しいですね。
中ノ御門表門の奥の方では、表門と対となる中ノ御門渡櫓門の復元工事をしているようでした。2025年春ごろに完成する予定ですよ。
どうやら工事で組立てた足場見学ができるみたい。用意されたヘルメットを被り、現地の案内板に従って見学しましょう。
【見所④】鳥取県立博物館
鳥取県立博物館では、鳥取県の自然展示や歴史・民俗展示などを楽しめます。
鳥取県の自然で特に有名なのは「鳥取砂丘」ですね。鳥取砂丘を始め、鳥取県の大地の成り立ちなどを学べる。また、火成岩や火山弾、鳥取県内で見つかった化石がズラリと並べられています。
さらに県内で行われている祭りや、民間信仰などについて紹介しており見ていて面白い。
こちらを見て下さい。国の特別天然記念物に指定されているオオサンショウウオが飼育展示されていました。
オオサンショウウオは、絶滅危惧Ⅱ類に指定されている貴重な生き物。日本の固有種であり、世界最大の両生類です。とても綺麗な川に生息し、夜行性のため、普段見かける機会はほとんどありません。本博物館で出会えてテンションが上がりました。
また、個人的に目が釘付けだったのが、全長7mもあるダイオウイカの標本ですよ。確か去年(2022年)も山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館で見た記憶がある。
このような生物が、海中を自由に泳いでいるとは、何度みてもビックリです。
- 住所 鳥取県鳥取市東町二丁目124番地
- 電話番号 0857-26-8042
- 営業時間 9:00~17:00
- 休館日
- 月曜日(月曜が祝日の場合は翌平日が休館日)
- 祝日の翌日
- 年末年始(12/29~1/3)
- 料金
- 常設展:個人(幼児・児童・生徒・学生を除く)180円(150円)
- 企画展:企画展ごとに定める額
- ※20名以上で団体割引きあり、( )内の数字は割引後の料金
鳥取城跡の基本情報とアクセス
住所 | 鳥取県鳥取市東町2丁目 |
電話番号 | 0857-26-0756(鳥取市観光コンベンション協会) |
入城時間 | 城内自由 仁風閣は9:00~17:00(入館は16:30まで) |
定休日 | 無休 仁風閣は月曜(祝日の場合は翌日) |
入城料 | 無料 仁風閣は150円 |
【アクセス】
- JR鳥取駅から徒歩約30分
- JR鳥取駅から100円循環バスくる梨「緑コース」に乗って「仁風閣・県立博物館」で下車後すぐ(バスの乗車時間は約7分)
- 鳥取自動車「鳥取IC」から車で約20分
鳥取城跡の駐車場
鳥取城跡には、専用の駐車場がなく、直ぐ近くにある鳥取県立博物館の無料駐車場を利用すると便利です。
鳥取城跡と一緒に鳥取県立博物館を見学すれば、この土地の歴史についてより深く学べますね。
まとめ
本記事では、鳥取城跡の山下ノ丸エリアを中心に、様々な見どころを紹介しました。鳥取城跡には、まだ山上ノ丸エリアが残っていますので、機会があれば訪ねたいですね。
鳥取城跡のあるエリアは、古くから町の中心として栄えており、様々な観光スポットが集まっています。鳥取市へ旅行にきたならば、鳥取城跡へぜひ足を運ばれてみてはいかがですか。