
2015年7月4日にリニューアルオープンした「松永はきもの資料館(あしあとスクエア)」は、日本で唯一の履き物関連の博物館です。
日本の暮らしの中で発展し続けてきた下駄や草履、靴など様々な履き物が展示されています。また、日本だけでなく世界中の履き物が集められているのも見逃せません。
私たちがよく知る靴を始め、ローラースケート下駄や虫眼鏡で覗かなければならないほど小さな豆下駄など面白い履き物が展示されているのには、ビックリするだろう。
さらにプロスポーツ選手のシューズコレクションまで展示されており、豊富なバリエーションが魅力的ですね。
それに履き物だけでなく、世界中の伝統的な玩具が一同に並ぶ様子は圧巻です。
本記事では、松永はきもの資料館の魅了的な履き物や玩具などを紹介します。
松永はきもの資料館では履き物・玩具・伝統産業を学べる

松永はきもの資料館(愛称:あしあとスクエア)では、先代館長の「履物は足の支え、おもちゃは心の支え」という意思の下、日本と世界の履き物資料を約13,000点を収蔵・展示しています。
下駄・草履・西洋の履物など労働・信仰・儀礼・芸能などテーマ別に様々な履き物を紹介しており、私たちの暮らしの中で発展してきた履き物の歴史を学べますね。
また、日本全国や世界の特色ある郷土玩具を約18,000点も収蔵・展示している。思い出深い故郷の玩具や天神さまなど見応えが抜群だ。

敷地内は広く、はきもの玩具館・宮澤喜一記念館・旧マルヤマ商店事務所(国登録有形文化財)・職人長屋・足あと広場・伝統産業館と多くの施設があります。
8つの展示室がある「はきもの玩具館」を始め、築約100年の大正時代の技巧を凝らした「旧マルヤマ商店事務所」、下駄工場跡を利用した「伝統産業館」を見学しよう。

さらに下駄職人が実際に住んでいた「職人長屋」、岡本太郎作の芸術的に価値が高い「足あと広場」といったように見どころが目白押しです。
はきもの玩具館だけでも早足で見ても軽く1時間はかかるし、じっくり見学するならば少なくとも半日はみておきたい。
見学をし終えた後は、そのボリューム感と魅力的な展示品の数々に満点感を実感できるでしょうね。
日本で唯一の履き物関連博物館として、地域文化を継承する貴重な施設であり、多くの人たちに注目を集めています。
【周辺の見どころ】
松永はきもの資料館周辺の見どころを、下記記事で紹介します。
下駄コレクションなど面白い履き物が目白押し

はきもの玩具館へ入ると、色々と目につく履き物がありますが、その中でも「巨大下駄」が目を引きます。
この下駄は、2019年まで開催されていた「ゲタリンピック」のシンボルとして作られたものだ。1995年からこのような巨大下駄が作られていたというのですから驚きです。展示されているのは2代目にあたるものですよ。
大きさは3m×3m、重さは1.7トンという。ゲタリンピックの競技の一つには、巨大下駄を引っ張るものがあったそうですから、結構ハードだったのかも。私は実際に見たことはありませんが、何だかた楽しそうですね。

展示室へ足を運ぶと、各コーナー別に日本各地の様々な下駄や草鞋などがショーケースに展示していました。
日常生活でよく見かけるものや、時代劇の中でしか見たことがないもの、はたまた「こんな物が実在するの?」なんて驚くことも。そのようなコレクションというのは、好奇心がわき上がります。
そこで個人的に面白いと思った下駄などの履き物を少しばかり紹介。

こちらの「ローラースケート下駄」は、台座に木製の車輪が4つ付いている。下駄にローラーを付ける発想が面白いですね。
見るからに足首を固定する紐はなくて、鼻緒を足の親指と人差指で挟むだけなので、これ扱いが相当難しいのではないだろうか。
ちなみに「ゲタスケート」も展示していました。長野県の諏訪湖で子供たちが氷上スケートを楽しんでいる写真が飾られていたので、遊び道具として人気だったと思います。

こちらは「豆下駄」です。
東京都豊島区にあった巣鴨刑務所で、大正時代の末期に獄中の受刑者が獣骨を削って作ったそうですよ。
供えられた虫眼鏡越しから見ても豆粒にしか見えません。う~む、このようなものを作れるとは器用すぎるぞ。なぜこのような下駄を作ったのか分かりませんが、さぞ根気のいる作業だっただろう。

おっ、金ピカの履き物がキタ!!
絶対あると思いましたね。こちらは「金銅製の靴」なんだとか。古墳時代後期の副葬品ですよ。奈良県の斑鳩町にある藤ノ木古墳から出土しました。
なんだか成金趣味丸出しに感じるのは、私だけでしょうかね。

お~、これは月面靴(ルナ・ブーツ)ではないですか。
アメリカのアポロ計画により打ち上げられたアポロ11号ロケットが、1967年7月21日に月面着陸した際に、アームストロング船長たちが月面に第一歩を印したときに履いていたものと同じものという。
NASAから実物を借用して、開館5周年の記念に実物と同じものを作りました。
あれから約60年近く経っていますが、まだまだ未知の部分が多い「月」というのは、ロマンの塊なのでしょうね。


その他にも長さ90cmの大下駄や祇園の舞妓さんが履いている下駄(コボコボ)、魚を踏んづけて捕獲する捕るための下駄、雪の上を歩くための下駄など面白い下駄が多い。
そういう履き物を眺めていると、つい時間を忘れるほど見入ってしまいます。
有名プロスポーツ選手の様々なシューズコレクションに注目

スポーツファンにとっては、拍手喝采を贈りたいコレクションコーナーがあります。
元プロ野球の黒田博樹選手、元プロサッカーの中村俊輔選手、元プロ卓球の福原愛選手などテレビや雑誌などで度々話題となったプロスポーツ選手たちが実際に履いたシューズを展示しているのだから、興味をひかれるのも納得です。
そんなシューズをジッと見つめていると、何だか彼らの努力が伝わってくるのを感じるぞ。
輝かしいキャリアを持つ彼らは、才能だけでなく努力を重ね栄光をつかめた一流のアスリート。現役を引退したとしても使われた道具には、魂を感じるものなのかも知れないですね。


履き物の形をした雑貨品の数々

見た目は靴だけど靴として使えない生活用具を、たくさん取りそろえています。
たとえば靴の形をしたコップ、灰皿、小物入れなどがあり、よくこういうのを作ったものだと感心しました。
このような遊び心満載の道具を作り出した理由を聞いてみたいものですが、おそらくその動機は「面白そう」ではないだろうか。

個人的には、ハイヒールの形をした電話の受話器に驚いたぞ。う~む、これって使いづらくないかな?
何にしても既成概念にとらわれない自由な発想というのは、驚くと同時にワクワクするものです。
なので「履けない履き物に意味はない」なんていわないで下さいね。
【博物館の紹介(その1)】
旅先で訪れた博物館を、下記記事で紹介します。
日本だけじゃない、世界中の履き物が集まる

世界の履き物に目を向けると、日本のものとはまた違ったデザインにお国柄を見て取れます。
18世紀ヨーロッパの貴族が履いていたハイヒールは、いかにも気品を感じてしまう。前提知識ゼロの状態で見ても、明らかに只者ではないと察せるほどだ。
このような高貴な履き物を眺めていると、どんな人物が履いていたのだろうか、つい想像してしまいますね。
また、北米先住民・チェロキー族の鹿靴などが展示されており、靴一つとってもその土地で暮らす人々の価値観というのは、全然違うことに気が付くだろう。

個人的に驚いたのは、ツタンカーメン王のミイラが直用していた黄金のサンダルです。黄金の指サックもそろっており、目が釘付けになりました。
展示されているのはレプリカですが、本物はそうとうな値打ち物だと思います。
【博物館の紹介(その2)】
旅先で訪れた博物館を、下記記事で紹介します。
日本各地の玩具を展示

明治時代以前は、日本国内は「藩」という単位で政治・経済が回っていました。
郷土玩具は、その藩の中で生まれた独自の気質を色濃く持っています。その土地ごとの人々の生活感情が強く反映しており、郷土玩具を通してその地域性を見ることができる。
熊本のキジ車や岐阜の猿ぽぽ、青森の張り子面、埼玉・春日部の張り子獅子頭など見たことがある人も多いのではないでしょうかね。


ホピ族が作った「カチナ人形」が圧巻だ!

館内には、日本だけでなく世界各地の玩具も展示されています。
その中でも米国アリゾナ州北東部の先住民族であるホピ族が作った精霊人形「カチナ人形」のコレクションが圧巻だ。
その独得なデザインや斬新な彩色は、見る人の目を釘付けにしてしまう。そのような人形の数は324点あるのだから凄いですね。

カチナとは、自然の中にある様々な精霊を表わすものだ。そんなカチナは、毎年冬から夏にかけてホピ族の居住地に訪れるという。ホピ族はカチナを迎い入れ、様々な儀式を執り行ないます。
その際、男たちは仮面や特別な衣装を身にまとい、カチナの姿で踊り祈るそうですよ。
儀式を終えた後で、ホピ族の男たちは、娘や孫に精霊カチナの姿を彫った人形を贈りました。それほど、ホピ族にとってカチナ人形は大事な存在ということでしょう。
また、ホピ族といえば、地球や世界の仕組みについて壮大な予言を伝えているため、都市伝説に興味がある人は知っている人が多いのではなかろうか。
ホピ族の9つの予言や救世主「虹の戦士」のワードを聞くと、好奇心がうずきだします。
【博物館の紹介(その3)】
旅先で訪れた博物館を、下記記事で紹介します。
下駄工場を改修した伝統産業館

福山市の松永地域の産業を支えてきたのは、下駄・い草・塩でした。
丸山茂助氏は、1878年(明治11年)に丸山下駄店を開業。当初は職人2~3人しかいない小さなお店でしたが、明治の産業革命により工場を機械化に踏み切り、下駄の大量生産を実現させたのです。
敷地内にある伝統産業館では、下駄制作の機械がほぼ当時の状態で保管展示されており、丸山下駄店から株式会社マルヤマに至る歴史を学べます。

畳表自動織機や胴切り機など下駄制作に欠かせない機械それぞれを、パネル資料でくわしく紹介しているため、事前知識がなくても大丈夫。
「このようにして下駄が作られるのか」とワクワクしながら学べます。
1931年(昭和16年)になる頃には、従業員が約1,300人にも達するほど大工場になったのですから大成功ですね。個人的には、丸山氏の時代を読む嗅覚に感服しました。
現代では残念ながら生活様式が変化し、下駄そのものの需要が低迷していますが、日本の伝統的な履き物である下駄はいつまでも残り続けて欲しいものです。
色鮮やかな「足あと広場」やモダンな旧マルヤマ商店事務所

敷地内に入ると、伝統産業館前にある水色のカラフルな庭が目を引きます。この庭は「足あと広場」と呼ばれ、名前の通り足あとの形になっているのが面白い。
芸術家・岡本太郎氏がデザインしました。岡本太郎氏といえば、大阪万博のシンボルタワーとなった「太陽の塔」を制作した人ですね。
大地と人間のいのちがぶつかりあう接点としての「あし」に注目したそうな。足あとは男女の2つがあるので、見比べてみて違いを見つけてみよう。

また、大正レトロな洋風の建築物も目を引きます。この建築物は、旧マルヤマ商店事務所として2代目社長の丸山次郎氏が建てました。
建築当時は、玄関の上にバルコニーをもつ本格的な洋館建築として話題になったそうな。外壁はモルタル塗りの疑似石造り。繊細な装飾を施しているのがGood。
歴史的価値が高く、1996年に広島県で初めての国登録有形文化財に選ばれています。
今は、ふれあい喫茶「まつぽっくり茶屋」として営業しているので、休憩に足を運んでみてはいかがですか。(営業時間:毎週土曜日 13:30~15:30)
松永はきもの資料館の基本情報とアクセス
住所 | 広島県福山市松永町4-16-27 |
電話番号 | 084-934-6644 |
営業時間 | 10:00~16:00(入館は15:30まで) |
休館日 | 月曜日~木曜日(※金、土、日、祝日のみ開館) 年末年始(12/28~1/3) |
入館料 | 大人300円(240円) ※20名以上で団体割引きあり、( )内の金額は割引き後の料金 |
【アクセス】
- JR松永駅から徒歩約5分
- 山陽自動車道「福山西IC」から車で約10分
松永はきもの資料館の駐車場
松永はきもの資料館には、無料駐車場があります。(普通車 17台、大型バス 4台)
まとめ

2013年に閉館した日本はきもの博物館が、パワーアップして帰ってきたのが「松永はきもの資料館」ですね。
労働・信仰・儀礼・芸能などテーマ別に紹介している履き物は、私たちがよく知るものから珍しいものまでがそろっています。
また、人々の心のやすらぎの象徴であった全国の郷土玩具が集まっており、見応えが抜群ですよ。
松永地域のランドマークとして、市民やその周辺地域の人々に愛されている資料館です。