
岡山県赤磐市の熊山の頂上には、誰が何のために造ったのか全くわかっていない遺跡があります。
それは「熊山遺跡」と呼ばれ、その姿はまさにピラミッドに類似しているのです。ピラミッドといえば、古代エジプトで王や王妃の墓として造られものですね。
はるか遠く離れた日本にも似たようものがあるのは、何だか不思議に思ってしまうのは仕方がないだろうな。そんな、いわゆる和製ピラミッドを見て、何を感じるのか期待を抱かずに入られません。
周囲には、熊山神社や天然記念物に指定されている天然杉、岡山平野を望む展望台が設置さているので、熊山遺跡と一緒に立ち寄ろう。
本記事では、謎に満ちたあふれた熊山遺跡を紹介します。
和製ピラミッドと呼ばれる「熊山遺跡」の外観に注目

岡山県南部にそびえ立つ標高約508mの熊山一帯には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在しています。その中でも最も大きくて目を引くのが「熊山遺跡」ですね。
熊山遺跡は、和製ピラミッドと呼ばれることから物凄い巨大な建造物を想像する人もいるのではないでしょうか。
有名なエジプトのクフ王のピラミッドは、完成時の高さは約146mもあるので、そう思うのは仕方がないかも知れませんが、実際には思ったより全然高さはないですよ。

注目したいのは、全国に類をみない石積みの遺構です。石積みは4段からなっており、各段は四角形となっている。基底部は1辺11.5m、2段目は1辺7.6m、3段目は1辺5m、最上段は1辺3.5mで石積みされており、高さは3.5mしかありません。
この外見がまさにピラミッドにそっくり。まさしく和製ピラミッドと呼ぶに相応しいだろうな。1956年9月27日には、国史跡に指定されました。

遺跡の周りには柵が張られおり、立入禁止になっているので、遺跡へ直接触れることはできませんが、見るだけでも十分にその特殊な外観を堪能できます。
なので、様々な角度から熊山遺跡を見物してみよう。それにしても、なぜ山奥にこのような建造物があるのか謎ですね。
熊山遺跡は何のために造られたのか不明である

熊山遺跡の中央部分には、縦横約80cmの穴が開いています。この穴の中から陶製の筒型容器などが発見されました。
容器には三色で彩られた小壷と巻物があったそうですが、盗難により紛失されたそうです。この筒方容器と小壷から年代は奈良時代前期と言われています。
このような特殊な方形で作られた熊山遺跡ですが、誰が何のためにこの熊山に造ったのか全くわかっていません。
仏教の戒壇、仏塔、豪族の墓、修験道の遺構など諸説がいろいろと言われていますが決定打に欠けているみたい。まさしくミステリーですね。
このような造りと全国にある類似した建築物との共通点から考えて、ひっとしたらこの辺り一帯には、巨大な宗教都市があったのかも知れません。
もし盗まれた巻物が残っていたのであれば、解読を進めていく過程で新発見があったかも知れないと思うと、悔しさがこみ上げるのは、私だけではないと思うかな。
先ほども触れましたが、この熊山遺跡以外にも熊山一帯には、32ヵ所に及ぶ石積遺構があり、確認された遺跡は、熊山遺跡の石積みによく似ていますが、年代などが異なっているという。そのことが、より謎が謎を呼んでいます。
熊山遺跡はヴァン仏教遺跡に似ている?

タジキスタン共和国にあるヴァン仏教遺跡が、熊山遺跡に似ているという話があります。
ヴァン仏教遺跡は、あまり日本では知られてはいませんが、インターネットでその画像を確認すると確かに似ているぞ。
また、こうした石積みの仏塔というのは朝鮮半島にも残っているようですね。ということは、これらのデザインは、中央アジアから朝鮮半島を経由して入ってきた可能性があるのかも知れません。
そもそもヴァン遺跡の仏塔は、ソグド人が遺したものなんだとか。シルクロード周辺で交易を行って繁栄した民族であり、中国では「安」などの姓を名乗っていました。
それに鑑真と共に来日して、唐招提寺の伽藍の整備に尽力した人物である安如宝(あんにょほう)もグルド人ですよ。そう考えると、彼らの知識や技術が日本に流れ根付いたとしても全く不思議ではないと思います。
熊山遺跡の謎を考える

熊山遺跡については、一般的に寺院に伴う仏塔であるという見解が強まっていますね。仏塔の役割とは、王や高僧といった高貴な人の遺骨を安置して仏法を護持すること。
なるほど、そう考えると確かにエジプトのピラミッドと同じ役割なので納得感があります。
ですが、本当にそれが真実なのでしょうか。なぜなら日本には多くの古墳があり、遺骨の安置であれば当時の情勢を鑑みて、大きさはともかく何かしらの古墳を造った方がスッキリとするものだ。
それにお墓であるのであれば、高貴な人がわざわざ人里離れた山奥に、これほどの大きさの建造物を建てる必要性があったのか疑問に感じます。
どうみても資材の運搬が大変だっただろうと思うのですが、もし隠れ住んでいたのであれば、そんな見つかるリスクが高い行為をするとは思えないですね。

個人的には、熊山遺跡はかつて何かしらの儀式に使っていたのではないかと思っている。この手の遺跡というのは、祭祀場であっても何も不思議ではありません。
五穀豊穣などの祈りを捧げたり、神託を授かったりしていた場所ではないでしょうかね。もしかしたら、宗教都市における神殿の一部だった可能性もあると思っています。

実際、熊山遺跡の近くには、鐘楼跡などがあるぞ。なので、熊山遺跡周辺を隈なく探してみると、ひっとしたら新しい発見が見つかるかも。
いつの日か、熊山遺跡の全貌が解明される日を心待ちにしております。
【悠久の時の中で残る物】
世の中には何百年前や何千年前から造られて、今もその姿を残している物を見かけます。熊山遺跡もその内の一つですね。私が旅の道中で見かけた悠久の時を過ごした物を下記記事で紹介します。
熊山遺跡の展望台か岡山平野を望む

熊山遺跡管理棟の南側には、展望台が設置されています。
眼下には、岡山平野を一望できるのが素晴らしい。雄大な吉野川の流れも見て取れますね。天気が良ければ、遠くに四国の屋島まで望むことができる絶景スポットですよ。


私が訪れた時は、残念ながら雲で霞んでいたため、少しだけ残念な結果に。それでも良い景色を眺められたので満足満足♪
熊山遺跡を見物に来たならば、この展望台へ足を運ばないのはもったいない。ぜひ眼下に広がる岡山平野の景色を堪能して下さいね。
熊山神社と児島三郎高徳が挙兵した跡地

熊山遺跡へ向かう道中には、熊山神社があります。このような遺跡の近くにある神社というのは、より神秘的に感じませんか。
その昔、山頂付近には中世「帝釈山霊山寺」があり、僧侶が集まって修行する清浄な場所でした。その場所を護る神様を祀っていたのが熊山神社です。明治時代初期の神仏分離令によって一般公開されました。
本殿は切妻平入り神明造り。御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)であり、ご利益は縁結びですね。
また、4月中旬には、熊山神社境内で白装束に身をまとった若者たちが400kgもある神輿を担いで練り歩くお祭りがあるるというのだから凄すぎる。このような山奥では、苦労もひとしおだ。

こちらは、境内の入口となる鳥居。この鳥居を見て、直観的に何か特別な存在を感じたのですが、一帯何だったのか今でも不明です・・・


熊山神社の境内には、備前焼の狛犬がいるではないですか。お行儀よく座っている姿が良い感じ。さらに朱塗りの鳥居が目を引く稲荷社も鎮座しています。

また、児島三郎高徳(こじまさぶろうたかのり)が挙兵した時の「腰掛岩」があるぞ。それなりに大きいですね。
そもそそも「児島三郎高徳て誰?」と思う人も多いだろうな。私もそうでした。後日、この児島三郎高徳について調べてみると興味深い事がわかったので記しておきます。
児島高徳は1331年(元弘元年)に醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の挙兵に参加したそうです。醍醐天皇は戦いに敗れ、幕府に捕らえられ、隠岐へ流されました。(この辺りの話は有名ですね。)
その後、児島高徳は天皇を救出しようと色々と行動を起こしますが、ことごとく失敗。それ以降も朝廷側の武士として活躍したという。なので、江戸時代以降には、南朝の忠臣として称えられました。
児島高徳は太平記でしばしばその名が出てきているそうですが、他の資料で見ることがないため、太平記の著者とされる小島法師と同じ人物ではないかと考えられているそうな。
南朝で活躍したのならば、良くも悪くも何かしら記録が残っていても不思議ではないはずですね。太平記にしかその名前が出てこないとなると、色々と疑問を感じます。
熊山遺跡へ向かう道中にある「天然杉」

熊山神社の山道脇には、熊山天然杉がそびえ立っています。この天然杉は2本あり、1972年9月に天然記念物に指定されました。
樹高38m、幹の直径は1.5mあり、樹齢約1,000年といわれている。注連縄(しめなわ)をしているので、直ぐに気が付くと思います。
苔むした巨木というのは、それだけで独得の雰囲気がある。まさに森の主といった貫禄があるほどだ。鬱蒼とした森の中で出会う巨木というのは、特別な存在感を放っています。


【巨木の紹介】
実は旅の道中に巨木を見かけることは良くあります。神社仏閣などでは御神体として祀られることも多いですね。私が旅の道中で目撃した巨木について、下記記事の中でお伝えします。
熊山遺跡の基本情報とアクセス
住所 | 岡山県赤磐市奥吉原 |
電話番号 | 086-966-6310(赤磐市熊山遺跡管理等) |
【アクセス】
- JR香登駅からタクシーで約20分
- JR熊山駅からタクシーで約20分
- JR熊山駅から約750m歩いた所には、熊山遺跡を目指すハイキングコース(熊山登山口)があります。徒歩で約120分ぐらいで登ることができます。
熊山遺跡の駐車場

熊山の頂上付近にある駐車場では、約20台の普通車が駐車できる広さがあります。
まとめ

熊山遺跡は和製ピラミッドと呼ぶにふさわしい存在です。
昔の人たちは、いったい何を思い熊山の頂上へこの遺跡を造ったのでしょうか。
この遺跡以外にもたくさんの石積遺構が確認されていますので、当時熊山は神聖な場所であったに違いありません。
この遺跡の謎が解明できる日を心待ちにしておきます。