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旅の体験談

鬼の住処であった鬼ノ城など岡山の桃太郎ゆかりの地を紹介

鬼ノ城

日本人の誰しもが聞いたことがある御伽噺「桃太郎」。

悪い鬼を退治した桃太郎のルーツは、様々な県で言われていますが、その中には岡山県もあることをご存じでしょうか。

その昔、古代日本には吉備国という地方国家が存在しており、この国では、温羅(うら)と呼ばれる古代の鬼が暴虐の限りを尽くしていました。

桃太郎のモデルとなった吉備津彦命(きびつひこのみこと)と古代の鬼である温羅(うら)との戦いが現代まで伝承されており、御伽噺「桃太郎」のモチーフになっています。

本記事では、温羅の居城であった鬼ノ城を始め、桃太郎に縁ある様々なスポットを紹介します。

本記事は、以下に該当する人向けです。

  • 御伽噺「桃太郎」の伝説を知りたい
  • 桃太郎の縁ある地について興味がある
  • 鬼の居城となった鬼ノ城へ行ってみたい

桃太郎伝説の諸説とは

桃太郎の伝説には様々な諸説があり、良く知られているのは、やはり鬼退治のお話ですね。

吉備津彦命が吉備国を荒らしまわっていた鬼の温羅を退治する話がメジャーです。

それ以外にも当時、朝鮮半島の百済(くだら)からやって来た温羅の持つ優れた製鉄技術を奪うため襲撃し、その後美談に作り替えたという諸説もあります。

真実については分かりませんが「吉備津彦命が吉備国にいた温羅を退治した」という事実だけでも知っておこう。

吉備国とは、今の岡山県全域、広島県東部、香川県島嶼部、兵庫県西部を収めていた地方国家のことだね。

岡山の桃太郎ゆかりの地について

岡山県内には、桃太郎と温羅が戦った戦地など桃太郎ゆかりの地が複数ありますので、それぞれのスポットを訪れて思い偲んでみませんか。

今ではかつて戦いがあったとは思えないほど静寂に包まれていたりしますね。

桃太郎の伝説が残っているスポットを以下に挙げます。 

  • 鬼ノ城
  • 楯築遺跡
  • 矢喰宮
  • 鯉喰神社
  • 吉備津神社
  • 吉備津彦神社

特に温羅の居城であった「鬼ノ城」と「楯築遺跡」は一見の価値ありです。

桃太郎伝説に関係なく珍しい古代の山城である「鬼ノ城」とストーンサークルとしか思えない「楯築遺跡」は見応えがありますね。

尚、上記に挙げた「吉備津神社」と「吉備津彦神社」については下記記事で紹介します。

桃太郎ゆかりの地の巡り方

桃太郎ゆかりの地の巡り方については、特に決まったルールがある訳ではないですが、以下に挙げる順番に訪れると時間的に効率が良いです。

桃太郎ゆかりの地を巡る順番

  1. JR備前一宮駅(スタート)
  2. 吉備津彦神社
  3. 吉備津神社
  4. 楯築遺跡
  5. 鯉喰神社
  6. 矢喰宮
  7. 鬼ノ城
  8. JR総社駅(ゴール)

上記で挙げたスタートとゴールについては、サイクリングで巡る場合は参考にして下さい。

古代の山城「鬼ノ城」

鬼の居城へ行こう

かつて温羅の居城であった「鬼ノ城」は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)の山頂部に位置しています。

そこへ至る道中は激坂を上らなければなりません。

鬼ノ城へ向かうためには、まずは麓にある「砂川公園」を目指しましょう。

砂川公園
砂川公園

砂川公園は、自然に囲まれ、整備の行き届いた河川公園です。

大勢の県民に親しまれいて、水遊びやキャンプ、バーベキューを楽しめる人気スポットになっています。

この砂川公園のそばの道を走行しながら、園内を眺めて見るとテントを張ってキャンプを楽しんでいる人たちがいました。

整備された広々とした園内でゆったり過ごせるのは、とても良い思い出になりますね。

下図の赤ラインのルートを辿り、砂川公園を横切り北上すると鬼ノ城へ辿り着きます。

© OpenStreetMap contributors

道中には池がありますが、その池を通過した後で、しばらくすると道が狭くなってきました。

普通車が一台通過できるほどの道幅しかありませんので注意しましょう。

この坂道では、斜度15%前後の道が続くところもあり、自転車で上るのは大変苦労しますね。

しばらくすると、沿岸には鬼ノ城の駐車場まで残り500mと書かれた立札が見えてきます。

その反対側の沿岸には大きな釜があり、「鬼の釜」と呼ばれていますね。

鬼の釜
鬼の釜

この釜の大きさは、口径185cm、深さが105cmであり、鬼ノ城に住んでいた温羅が攫ってきた婦女子が気に入らなければこの釜で茹でて殺して食べたと言われています。

温羅の残虐性に憤りを感じながら坂道を上って行くと、鬼ノ城の駐車場へ到着しました。

砂川公園の入口から鬼ノ城の駐車場までは、約4kmぐらいあり、車の往来は少ないですが、激坂の上に道幅も狭いので注意して上りましょう。

展望台からの眺め

まずは、鬼ノ城の周辺にある展望台へ向かいましょう。

この展望台からは、遠くから鬼ノ城の佇まいを眺めてみたり、総社市を一望できます。

こちらの写真を見て下さい。ほぼ真ん中に写っている建物が鬼ノ城です。

カメラをズームして撮った写真がこちら。

鬼ノ城
鬼ノ城

良く見る日本の城や西洋の城とは、全く違った外観ですね。

珍しい外観のため、城好きの人ならば興奮間違いなしです。

展望台からは、総社市ののどかな風景が見渡せます。

この展望台は、鬼ノ城へ向かう道から分岐して進むため、忘れずに立ち寄りましょう。

【展望台の紹介】

旅先では絶景を眺めることができる展望台へ良く訪れますね。下記記事では、展望台から眺める絶景スポットを紹介します。

古代朝鮮様式の外観を持つ「鬼ノ城」

鬼ノ城は、吉備高原の南端にある標高約400mの山城です。

温羅はこの城に住んで貢物や婦女子の略奪などを行い、人々に暴虐の限りを尽くしたと言われています。

展望台から少し歩くと鬼ノ城が見えてきました。

この城については、史書に記載がないため築城年は不明だそうです。

また、発掘調査により、7世紀後半に築かれたと推測しています。

鬼ノ城の再現は古代朝鮮様式で実施されており、見るからに日本の城と趣が異なりますね。

古代朝鮮様式

辺りは急勾配となっており、その周りには石塁・土塁を築いたため難攻不落の城でした。

城壁は、土を少しずつ入れて突き固めた「版築土塁(はんちくどるい)」と呼ばれるものです。

バラツキはあるものの約6mぐらいの高さがあり、侵入者を阻んでいます。

版築土塁

その他には、城壁の下の面と接する板石が多数敷きつめられていました。

これは「敷石」と呼ばれています。

敷石
敷石

敷石は日本の古代山城では、鬼ノ城にしか存在しない珍しい物です。

通路として使うだけではなく、敷石が傾いていることから、もともとは雨水などにより城壁を壊すことを防ぐ目的に考えらたと言われています。

先ほど訪れた展望台同様、鬼ノ城からも総社市を一望できますね。

鬼ノ城からの景色

未だ多くの歴史が謎に包まれている鬼ノ城。

いつの日か、歴史の謎が解明される日が待ち遠しです。

鬼ノ城

  • 住所 岡山県総社市奥坂
  • 電話番号 0866-99-8566(鬼城山ビジターセンター)
  • 料金 無料
  • 駐車場有り 普通車30台、小型バスは乗り入れ可
    • 大型バスは麓の砂川公園にて駐車のこと(駐車場13台)

【お城の紹介】

城を訪れるとワクワクするのは何故でしょうか。下記記事では、まるで西洋の城のように見えるダムや石垣の美しい城を紹介します。

鬼ノ城ビジターセンター

鬼ノ城ビジターセンター
鬼ノ城ビジターセンター

駐車場の近くには「鬼ノ城ビジターセンター」があります。

この鬼ノ城ビジターセンターは、鬼ノ城周辺の自然・歴史との触れ合いにより、文化財の保護と自然学習を行うための施設です。

1,000分の1サイズで鬼ノ城を再現した模型や発掘作業で出土した品物が展示されています。

鬼ノ城へ訪れた際には是非、立ち寄ってみて下さい。

鬼ノ城ビジターセンター

  • 住所 岡山県総社市奥坂
  • 電話番号 0866-99-8566(鬼城山ビジターセンター)
  • 営業時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
  • 休館日
    • 月曜日(月曜が祝日の場合は開館し、次の平日を休館)
    • 年末年始(12/29~1/3)
  • 料金 無料

まるでストーンサークル「楯築遺跡」

楯築遺跡(たてつきいせき)は、岡山県倉敷市矢部に位置する墳丘墓です。

楯築遺跡は小高い丘の上にあるため、距離こそは短めですが、斜度10%前後の激坂が続きますので、自転車で上るのはそれなりに大変ですね。

楯築遺跡は、弥生時代後期に造られた日本最大級の弥生墳丘墓であり、その頂上部には5つの巨石が同心円状に配置されています。

円丘部は直径約50m、高さ5mほどですね。

まるでストーンサークルのようで神秘性を感じました。

楯築遺跡
楯築遺跡

この遺跡は、推定全長約80mと思われる当時国内最大規模の墓であるため、墓の主は巨大な権力者であったとことは想像に難くないですね。

当時、楯築遺跡がある丘の麓近くまで海が入り組んでいたようなので、瀬戸内海と通じた大陸との交易により力を蓄えていたのでしょう。

桃太郎の伝説では、吉備津彦命はこの地に石楯を築いて、温羅との戦いに備えたと伝わっています。

つまり、楯築遺跡は温羅と戦うための拠点の一つだったということです。

また、楯築遺跡はかつて何かしらの儀式や呪術を行っていた場所ではないかと言われています。

こちらの巨石は、神様へ祈りを捧げる装置のような感じがするのは私だけでしょうか。

巨石の中には祠もあります。

私は巨石に触れて、古代の人はこの地で何を祈ったのか想像してみました。

きっと穀物が豊かに実ることを神様へお願いしたのではないのでしょうか。

また、吉備津彦命はこの地で温羅討伐の必勝を祈願したのではないでしょうか。

楯築遺跡から眺めた景色がこちら。 のどかな田舎の風景が見て取れますね。

遺跡から少し離れたところにある蔵では、現在、ご神体である神石(亀石)が奉納されています。

尚、神石は全表面に毛糸の束をねじったような弧帯文様が刻まれているそうです。

一度実物を見て見たいですね。

私の想像ですが、この神石はきっと巨石群の中心に配置して、神様へ祈りを捧げたのでしょう。

楯築遺跡

  • 住所 岡山県倉敷市矢部
  • 電話番号 086-426-3851(倉敷市役所教育委員会 文化財保護課)

【遺跡の紹介】

日本全国には興味深い遺跡がたくさん存在していますね。私が旅の道中で訪れた遺跡について下記記事で紹介します。

温羅が投げた大岩が残る「矢喰宮」

矢喰の岩公園
矢喰の岩公園

矢喰宮(やぐいのみや)は「矢喰の岩公園」の敷地内にあるため、矢喰の岩公園へ向かいましょう。

園内は良く整備されていて、気持ち良く歩けます。

園内の奥の方へ進んで行くと鳥居が見えてきて、その周りには大きな岩が何個もありました。

この大岩は「矢喰岩」(やぐいいわ)と呼ばれ、温羅が投げた岩と言われています。

矢喰岩
矢喰岩

矢喰宮は、鬼ノ城から温羅が投げた大岩を吉備津彦命が吉備津神社からその大岩を矢で射抜いた時に大岩が落ちた場所です。

私は矢喰岩を見て「良くこんな大きな岩を投げれるな」と温羅の怪力に感心して、それを正確に撃ち落とした吉備津彦命の迎撃能力の凄まじさに驚嘆しました。

矢喰宮は、温羅が投げた岩が落ちた場所に建てられた社であり、吉備津神社と鬼ノ城の中間に鎮座する古社です。

矢喰宮
矢喰宮

ご祭神は吉備津彦命の弟と言われている吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)ですね。

吉備武彦命は、吉備津彦命と供に温羅を討伐したと言われています。

矢喰宮から見た周りの光景は、平和そのものであり、かつてこの地で激戦があったとは思えないほどひっそりとしていました。

この矢喰宮の直ぐ近くには、小川が流れており、桃太郎の伝説では「血吸川」と呼ばれています。

血吸川
血吸川

名前が如何にも恐怖を煽るため怖そうに思いますが、実際はどこにでもありそうな小川なので安心して下さい。(笑)

矢喰宮の伝承によると、吉備津彦命は大矢を2矢放ったとされており、1矢は大岩にもう1矢は温羅の左目に命中したそうです。

片目を射られた温羅の目から噴き出す血で、川が真っ赤に染まったと言われているため、血吸川と呼ばれています。

矢喰宮(矢喰神社)

  • 住所 岡山県岡山市北区高塚
  • 電話番号 086-803-1332 (岡山市観光振興課)
  • 駐車場あり(普通車10~15台)

温羅終焉の地「鯉喰神社」

鯉喰神社
鯉喰神社

鯉喰神社(こいくいじんじゃ)は、先ほどお話した楯築遺跡から約1.2kmぐらい離れた場所に建立されています。

鯉喰神社の名前から何やら物騒な響きが感じられますね。

この名前のルーツを見ていきましょう。

吉備津彦命と村人を苦しめていた温羅との戦いは膠着状態に陥りました。

その時、吉備津彦命は天からの声に従うと、温羅は力尽き自分の血で染まった川へ鯉に変化して逃げたそうです。

吉備津彦命は鵜の姿に変化して、鯉に変化した温羅を追いかけます。

そして、最終的には温羅を食べて退治しました。

この鯉喰神社は、村人たちが吉備津彦命の勝利を記念して建てたと言われています。

鯉喰神社のご祭神は、吉備津彦命に寝返った温羅の元家来であった夜目山主命、夜目麻呂命、狭田安是彦、千田宇根彦であり、ご利益は厄除け、必勝祈願です。

個人的には、拝殿前へ近づいて時に風が吹き抜けて、周りに吊るしている木札が「カラ、カラ、カラ」と鳴り響く音がとても印象に残っています。

鯉喰神社の鳥居前には、備前焼でできた知る人ぞ知る唐獅子が護っていました。

実はこの唐獅子は、2015年に盗難にあったそうですが、地域の強い願いが届いたのか、1年後に警察が犯人を逮捕して無事帰ってきたそうです。本当に良かったですね。

鯉喰神社

  • 住所 岡山県倉敷市矢部109-1

まとめ

岡山県で伝わっている桃太郎の伝説にまつわるスポットを紹介しました。

岡山県以外にも山梨県や愛知県などに桃太郎の伝説が残っていますので、比較してみると面白いかも知れません。

吉備津彦命と古代の鬼である温羅の戦いをモチーフにした御伽噺「桃太郎」は、これからも多くの人々に愛され伝わっていくでしょう。



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この記事を書いた人

年齢:40代。
職業:旅人兼ブロガー。

私にとって自転車旅が一番の楽しみであり、知らない土地、景色、一期一会の出会いなど様々な体験をしました。当ブログでは、自転車旅などを通じて体験した事や訪れた絶景・観光スポットについて紹介します。また、自転車全般に役立つ情報を発信しています。

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