
全国には数多くの神社仏閣が点在しており、岡山県には約3,000件の神社仏閣があります。
旅行へ出かける際には、有名な神社やお寺へ参拝する人が多いでしょう。また、普段から神社仏閣巡りをしている人であれば、旅行の機会に気になる神社やお寺へ足を運ぶものですね。
それに友人や知人など人づてに珍しい神社やお寺の話を聞いたり、インターネットの口コミなどで評判になった神社やお寺というのは、興味がわいてきませんか。
岡山県には、桃太郎のモデルを祀る吉備津神社と吉備津彦神社を始め、備前焼だらけの天津神社や、牛が縁を運ぶ珍しい風習が残る田倉牛神社など面白い神社やお寺が多いですよ。
本記事では、岡山県へ旅行した際に訪れたい、見どころ満載な神社仏閣のおすすめを紹介します。
桃太郎のモデルを祀る「吉備津神社」と「吉備津彦神社」

全国には、童話でお馴染みの「桃太郎」の伝説が残る神社が点在しています。
その中でも特に有名なのは、「吉備津神社(きびつじんじゃ)」と「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」です。
両神社とも桃太郎のモデルとなった、吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀っているぞ。お詣りして、桃太郎の勝運にあやかりたいですね。
その昔、吉備国では鬼である温羅(うら)が鬼ノ城に拠点を構え、暴虐の限りを尽くしていました。吉備津彦命は、3人の家来と供に温羅を討ち滅ぼした話が、私たちの知る桃太郎のモチーフになっています。


吉備津神社では、360mの美しい廻廊は必見といえる。それに加え、吉備津造りの本殿・拝殿は、とてもインパンクが抜群だ。さらに釜が鳴る音によって、吉凶を占う「鳴釜神事」が面白いです。
一方、吉備津彦神社は、吉備の中山の北東麓にて鎮座しています。そもそも吉備の中山は、神様が降臨する場所なんだとか。それだけ神聖な場所ともいえますね。
どちらも岡山県内の有名なパワースポットとして、毎年多くの参拝者が訪れる。吉備津神社と吉備津彦神社の見どころや、その違いについて下記関連記事で紹介します。
スサノオの伝説が残る備前国一宮「石上布都魂神社」

岡山県赤磐市の山奥には、古い歴史を持つ「石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)」があります。
この神社は、神話に登場するスサノオが、ヤマタノオロチを倒した時に使っていた十握剣(とつかのつるぎ)を、磐座に奉納したのが始まりです。
そのような経緯があるため、災いや病気など悪縁を断つご利益があることで知られるパワースポットですよ。


拝殿の左奥には、頂上まで約500mほどの山道が続いており、そこには奥宮と磐座がある。磐座をバックに、まるでピラミッドのような台座の上に建つ奥宮周辺の光景は神々しい。
また、石上布都魂神社は癌封じのご利益も有名だ。聞くところによれば、ステージ4にも関わらず、御祈祷されてから元気になられた方もいるというのだから凄いですね。
尚、十握剣は仁徳天皇の時代に大和国の石上神宮へ移され、布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)という名で祀られています。
石上布都魂神社については、下記関連記事でくわしく紹介します。
厄除けの総本山「由加神社本宮」

岡山県倉敷市に位置する神仏混淆の霊山こと由加山。
この由加山には、2,000年以上の歴史を誇る「由加神社本宮(ゆがじんじゃほんぐう)」が鎮座しています。
厄除けの総本山として有名なパワースポットとして知られており、正月三が日は毎年35万人以上の参拝者で賑わうほどですね。
表参道から19段・25段・33段・42段・61段と厄除けの石段が続いているのが面白い。それに、由加神社本宮ならではのユニークな儀式「厄玉の儀」は興味を引くだろうな。


境内には、縁結びの回廊や巨大な磐座、備前焼の大鳥居、タコ神様など見どころが目白押しです。
また、江戸時代には庶民の間で讃岐国(香川県)の金刀比羅宮へ赴く際、瀬戸内海を船で渡る前に由加山へ行き、由加神社本宮にて旅の安全を祈願する「両参り」が流行していたそうな。その風習は、現代にも残っています。
多くの芸能人も参拝する神社なので、偶然出会えるかも。由加神社本宮については、下記関連記事でくわしく紹介します。
「龍泉寺」の龍王池の景色に癒されよう

海や湖に鳥居がある風景というのは、神秘的ですね。有名どころでいえば、日本三景に数えられている厳島神社を思い浮かべる人が多いだろう。
実は岡山県にもそのような神社があり、それが岡山市北区に広大な敷地を持つ「龍泉寺(りゅうせんじ)」です。
澄み切った龍王池には、八大龍王のご神体を祀っているぞ。それに、畔には朱塗りの鳥居が建てられている。今にも池の中から龍が出てきそうな雰囲気が漂っています。


龍泉寺は、奈良時代に山岳修行をしていた報恩大師(ほうおんだいし)により、創建されたそうな。古くから水神やお稲荷さんの民間信仰の場でありました。
また、「龍王の滝」では滝行ができるので、興味がある人は参加してみよう。特に毎年7月の第4日曜に「お滝まつり」が開催されているのは見逃せない。白装束に身を包んだたくさんの男性信者たちが、神輿を担ぎ「竜王の滝」の下に入る様をぜひ見物して下さいね。
龍泉寺については、下記関連記事でくわしく紹介します。
参道や門などが備前焼だらけの「天津神社」

岡山県備前市といえば、備前焼の里としてその名を全国に轟かせています。
そんな備前焼の里には、古くから学問の神様や病気平癒の神様を祀り、地元の人々の崇敬を集めているのが「天津神社(あまつじんじゃ)」です。
備前焼と聞くと、食器や花入をイメージする人が多いのではないだろうか。境内を歩いていると、そのようなイメージが吹き飛んでしまうのは間違いありません。


参道を始め、狛犬や屋根瓦など至るどころがすべて備前焼でできています。周囲をかこむ塀に目を向けると、そこには、備前焼作家の陶印が入っているではないですか。
このような神社というのは、全国的にも珍しいだろうな。その鮮やかな美しさは、備前焼ファンでなくても思わず目を引いてしまいます。
本殿は、1678年(延宝6年)に改築しており、市指定の重要文化財に選ばれました。また、神社の裏山には江戸時代の「伊部北大窯跡」と呼ばれる史蹟があります。
天津神社については、下記関連記事でくわしく紹介します。
牛が縁を運ぶ珍しい風習が残る「田倉牛神社」

神殿がなく神職もいない一風変わった神社ですが、霊験あらたかなパワースポットとして知られているのが「田倉牛神社(たくらうしがみしゃ)」です。
特に陶器で作られた無数の牛像が奉納されているのには、目を見張ります。そのような風習が、現代にも引き継がれているのは珍しいのではないだろうか。
また、参拝方法も実にユニークだ。備前焼の牛を供えて祈願した後で、既に祈願者が供えた牛像を借りて帰ります。そして、大願成就したあかつきには、もう1つの牛像を添えて倍返しのお礼詣りをするというのだから、牛像が増える一方ですね。


神座に奉納された牛像は、30万体とか60万体以上もあるといわれているそうな。牛像で築かれた山は、実に見ごたえがあります。
備前焼の牛像は、現地で一つずつ手作業で作られているので、同じように見えても実際は、微妙にその表情や造型が異なっている。なので、自分自身が気に入ったものを選びましょう。
田倉牛神社については、下記関連記事でくわしく紹介します。
画聖・雪舟が修行した「宝福寺」

宝福寺(ほうふくじ)は、岡山県総社市に位置する臨済宗東福寺派の寺院です。
室町時代に活動した水墨画家・禅僧の雪舟が、幼少時代に修行したお寺として知られています。雪舟といえば、「雪舟の鼠」の話はとても有名。
境内には、雪舟の鼠のエピソードを表す銅像があるのでお見逃しなく。
宝福寺は、最盛期に塔頭55、末寺約300寺の大寺院となり隆盛を極めていましたが、室町末期に起こった備中兵乱により、三重塔を残して消失しました。
江戸時代以降、七堂伽藍は次々と復興されており、今では山門や仏殿、経蔵、庫裡、方丈、書院などが見て取れます。


国の重要文化財に指定された三重塔は実に見応えあり。さらに幼少時代の雪舟像辺りからお寺側へ目を向けると、立派な山門が良い感じですね。
また、宝福寺は紅葉の名所としても有名。紅葉シーズンには、境内は色鮮やかに染め上げられた風景を楽しめる。その幻想的な雰囲気を求めて、多くの参拝者が後を絶ちません。
宝福寺については、下記関連記事でくわしく紹介します。
「済渡寺」の白い千本鳥居は見応えあり

岡山県新見市の山間部には、真っ白な千本鳥居が立ち並ぶ「済渡寺(さいどうじ)」があります。
739年(天平11年)に僧侶が、この地に草庵を立て、811年(弘仁2年)の春に弘法大師空海がこの草庵を済渡寺と命名しました。
アジサイの咲くお寺として有名ですが、それ以上に話題なのは、白い千本鳥居こと「白竜門」でしょう。鳥居は全部で78基あり、約90mほどにわたりズラリ立ち並ぶ姿は壮観です。
白竜門のネーミングは、空海と共に唐から日本に渡った白龍にちなんだそうな。ちなみに白龍は、法曽焼のもとになる陶器製造技術をもたらした人物ですね。


また、白龍が唐から持ち込んだとされている桃の木があり、1つの花から2つの実をつけたという。そのような桃は、全国的にみても大変珍しいです。
年月を重ね樹齢が経ったので、株分けしたところ、新樹も同じく1つの花から2つの実をつけたというのだから、何とも不思議な話かな。そのことから「夫婦桃」と言われており、子宝の神様として祀られています。
済渡寺については、下記関連記事でくわしく紹介します。
由緒が違う二つの神社が共存する「沖田神社と道通宮」

沖田神社(おきたじんじゃ)は、江戸時代に新しく開拓され、沖新田の産土神として建立された岡山市の干拓地総鎮守です。
その昔、沖新田で進めていた干拓事業は苦難が続き、「キタ」という女性が人柱となり、無事に事業の達成が成されました。
その後、キタはご祭神の一人となり、「おきた姫」として祀られています。また、境内には、土木建築の天才として知られる津田永忠の像もある。
津田永忠といえば、沖新田の干拓だけでなく、百間川の開削や後楽園の造営、閑谷学校の建築など藩政改革・財政再建にめざましい業績を遺した偉人ですね。


一方、道通宮(どうつうぐう)は高松城水攻めで有名な武将・清水宗治と縁がある神社だ。1800年(寛政12年)に子孫が当地に社殿をうつし、沖田神社の末社となりました。
ご祭神は猿田彦命です。進むべき道を照らす道開きの神様として有名なので、知っている人も多いだろう。何か迷い事があれば、お願いすることで、あなたが進むべき道を示してくれるかも知れません。
沖田神社と道通宮については、下記関連記事でくわしく紹介します。
「湯次神社」で備前の龍穴が見つかるかも?

湯次神社は岡山県瀬戸内市に鎮座する、備前国内の128神社の祭神を合祀した備前国総社本です。
この湯次神社には、日本三大龍穴のひとつである「備前の龍穴」があるのではないかという噂があります。残念ながら伝承が途切れているため、どこにあるのか正確な場所は不明ですね。
そもそも龍穴とは、龍神様のエネルギーが湧き出すパワースポットのこと。大地の気が吹き上げる場所なので、龍の住処ともいわれています。


湯次神社の裏山を少し登ったところには、りゅうごん様の磐座があり、これが最有力の候補なんだとか。
りゅうごん様は雨乞いの神様なので、日照りが続き雨が降らない時には、りゅうごん様の上に竹と和紙で作った大きな傘をさして、祈雨祭祀を行なっていました。
りゅうごん様は傘がお嫌いなので、その傘を破るために雨を降らせたという伝説が残っています。
湯次神社については、下記関連記事でくわしく紹介します。