
「かかしの里」と聞くと、昔懐かしい自然豊かな田園風景をイメージしませんか。
実はそのような里が、日本全国には複数の地域に存在しているというのだから面白い。調べてみると、徳島県三好市名頃地区の「天空の村・かかしの里」や兵庫県姫路市安富町の「奥播磨かかしの里」などがあります。
ということで、色々と検討した結果、1泊2日で兵庫県西部を旅をする最中に、「奥播磨かかしの里」へ向かうことにしました。どのような案山子たちに出会えるのか楽しみですね。
旅の道中では、龍野の町並みや龍野城も見物したり、揖保乃糸資料館「そうめんの里」にて、揖保乃糸(いぼのいと)の歴史や文化などを学ぶぞ。
本記事では、奥播磨にある「かかしの里」を目指す自転車旅の様子をお届けします。
相生駅から旅立ち西法寺へ立ち寄る

いつもと同じように、輪行でやってきました相生駅。ここから、姫路市の際奥地にある安富町を目指します。
空を見上げると、晴れてはいますが薄い雲がかかる春らしい天気。空に水蒸気が増えてくるために起こる現象ですね。
輪行袋からロードバイクを取り出し、テキパキと組み立てる。手慣れたもので、10分もかからずにあっという間に準備を完了すると、せっかくなので駅周辺を見て回りました。

すると、掲示板などには「ド根性大根」を猛烈にアピールしているではないですか。
よく、テレビなどで「ド根性〇〇〇」を見る機会がありますが、道路の舗装脇やコンクリートなどの僅かな隙間から野菜がニョキと生える姿というのは、生命力の凄さを感じるぞ。
どうやら相生市は、ド根性大根の大ちゃんの町のようです。かつて一世を風靡したので、記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。かくゆう私も薄っすらですが、覚えています。


新幹線の線路を支える橋脚沿いの道を西へ向かって走っていると、今度は西法寺の案内を目撃。案内板には「ド根性大根 わらべ地蔵」と書かれており興味深い。
う~む、こうなるともはや運命?ということで、案内に従い西法寺へ向かいました

相生駅から西へ約2kmほど進むと西法寺へ到着。まずは、本堂にてお参りをすますと境内を散策します。
こじんまりとした境内なので、5分もあれば一通り見て回れるかな。信楽焼で有名なたぬきの置物があったりするので、なかなかインパクトがありました。
そんな感じで探していると、いとも簡単に大ちゃんの像を発見。そして、そのお隣には、ど根性わらべ地蔵がいるのがいい感じです。

聞くところによると、ど根性大根にちなんで、ど根性を持つ子供たちに育つように願って完成したお地蔵様なんだとか。
大ちゃんのど根性ご利益を授かろうと、全国から受験生がお参りに訪れるそうですね。これはいいものが見れました。大ちゃん、ありがとう。
それでは、最初の目的地である龍野の古い町並みと龍野城へ向けてレッツゴー。
レトロな龍野の町並みを巡り龍野城跡へ

西国街道を東へ進み竜野駅が見えてくると、たつの竜野停車場線(県道120号)を北上します。
道路名に「たつの」「竜野」と続けているなんて珍しい。初めてこの県道名を知った時に面白いネーミングセンスだと感心しましたね。
さて、竜野駅から約5.5kmほど進むと、龍野の町並みへ到着。江戸時代から昭和戦前期に建てられた白壁や町家造りの建物が数多く残っており、見応えがあります。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているほどですよ。その情緒豊かな町並みから「播磨の小京都」とも呼ばれているのだから、町並みに興味がない人も気に入ると思う。
歴史的な町並みを散策していると、当時の生活を垣間見ることができるので面白いですね。



江戸時代から醤油醸造が盛んな土地柄なため、醤油の産地として知られており、色の薄い「淡口醤油」の生産量はなんと日本一。それに加え、町中には醤油やもろみを販売する自動販売機があるのはさすがです。
その後、町中を抜けて龍野公園へ向かうと、桜が満開に咲いていました。

公園前では、赤とんぼの歌碑があり、興味を注がれます。碑の前に立つとセンサーが反応して、赤とんぼのメロディーが流れる仕組みになっている。
う~む、いつ聞いても歌詞のもの悲しさがグッと胸にくるかな。赤とんぼが飛び回る夕暮れ時の情景が目の前に浮かび、昔を懐かしく感じますね。改めて聞くとこの童謡のメロディーの良さに、拍手喝采を贈りたい。
童謡「赤とんぼ」は、たつの市出身の三木露風(みき ろふう)先生が作詞して、山田耕筰(やまだ こうさく)先生が作曲した日本を代表する童謡の一つとして、今後も多くの世代に歌われ続けるのだと思いました。

桜並木が素晴らしい文学の小径を道なりに進みます。ちょっとした坂道を上った後、180度方向を転換して坂道を下り町中へ戻る。
すると、石垣や白壁土塀が連なる通りへ入ることに。そして石垣の上に見えるのが、龍野城の隅櫓です。

その光景は、城郭としてとても風情を感じてしまうほどだ。
なので、思わずカメラのシャッターを切っていました。そう思うのは私だけではないみたいで、観光客の皆さんも隅櫓へ向けて楽しそうに撮影していたのは印象的でしたね。


龍野城の跡地へ入ると、敷地内に建っている立派な本丸御殿を発見。龍野城は、明治維新の廃藩置県により取り壊されたので、今の建物は復元されたものですね。
本丸御殿は、藩主の住まいや龍野藩の政庁に使用していたんだとか。無料で入れるのが何気に嬉しい。(有料でも入ると思う)

こちらの部屋は「上段の間」。床を一段高くした構造なのが特徴的で、主君と家臣が対面する場所として使わたそうですよ。
部屋の眺めを見ていると、家臣から「殿、本日はお日柄も良く~~」なんてセリフを喋ている光景が目に浮かびます。

龍野城は高台に建ってはいますが、塀に覆われているため、眼下から龍野市街があまりよく見えませんでした。
もともと龍野城には、天守がなかったそうなので、これが当時の城主たちが眺めた構図だと思えば、何だか感慨深いですね。
龍野城については、下記関連記事でくわしく紹介します。
揖保乃糸資料館にて、そうめんの歴史と文化を学ぶ

龍野の町中を抜けて、揖保川に架かる祗園橋を渡り対岸へ向かうと、いつしか県道437号線へ入ります。
揖保川と聞いてピンとくる人がいれば、大のそうめん好きかも。そうです、手延そうめん「揖保乃糸(いぼのいと)」といえばメジャーブランドであり、夏場にお世話になっている人も多いだろうな。
想像通り、揖保乃糸は揖保川が名前の由来ですよ。たつの市周辺など播州は、江戸時代から続くそうめん作りに適した土地として、今も作り続けています。
これから向かう先は、揖保乃糸の歴史や文化を学べる揖保乃糸資料館「そうめんの里」ですね。私はそうめんが大好きなので、前々から一度行ってみたいと思っていました。

県道437号線を道なりに北上して出雲街道へ合流すると、進路を西側へ変更。そのまま道なりに進むと、揖保乃糸資料館「そうめんの里」が見えてくる。
こちらへ向かう前に、まずは直ぐ近くにある大神神社こと素麺(そうめん)神社へ立ち寄ります。世の中にはユニークな神社やお寺がありますが、そうめん神社とは面白い。興味が注がれるというものですね。

桜舞う参道がいい感じ。このようなロケーションが好きな人も多いだろうな。実に絵になる光景です。
ゆっくりと石段を上り、拝殿にてお詣り。これからも「美味しいそうめんが食べられますように」とお願いしておく。
日本のそうめんの発祥の地といえば、三輪地方(現:奈良県桜井市)。この素麺神社は、三輪に位置する大和国一宮「大神神社」から分祀されました。


境内には、たくさんの石玉垣があるので少しだけビックリ。この石玉垣の表面を見てみると、素麺関係の業者から奉納されたものが多い。さすがは素麺神社といったところか。
そんな石玉垣をバックにして、ポツンと立つ参拝記念の碑。揖保乃糸二代目CMガール「京野ことみ」さんが奉納したものなんだそうな。
その他には、揖保乃糸作りを描いた絵馬もありました。一通り境内を見て回ると、そうめんの里へ向かった次第です。

そうめんの里の1階は、本場のそうめん料理を食べられるレストランがあります。また、夏場になれば広い駐車場脇のテントブースにて、約100人が収容できるそうめん流しコーナーができるという。
さらに期間限定とはなりますが、4月から11月までは中庭でもそうめん流しを楽しめるというのだから、そうめん好きにはたまらない場所ですね。
2階へ上がると、「そうめん文化史ゾーン・そうめんができるまでゾーン・播州の風土とそうめんゾーン・そうめんシアターゾーン・そうめん学習ゾーン」など7つのゾーンにて、楽しくそうめんについて色々と学べます。

実はそうめんは、中世頃では宮中のおもてなし料理や寺院の間食などで食されていた特別な料理だったという。庶民が気軽に食べられるようになったのは、江戸時代からなんですって。
そうめん作りの職人を始め、多くの人たちの研鑽の下、規格を統一したり、品質を向上させるのにあくなき努力を重ね、今の美味しいそうめんが出来上がりました。
そうめん好きの私からすると、本当に現代に生まれてきたラッキーでしたね。

展示室ではマネキン人形を使い、昔ながらの製法によるそうめん作りの工程をくわしく紹介しています。
手延べそうめんは麺生地を延ばして作るのを知っている人も多いだろう。実は「延ばす作業」と「熟成」を繰り返して、およそ1日半という時間をかけて作業をすることで、細い麺なのにコシがあり、なめらかな舌触りのそうめんが出来上がります。
う~む、これは根気のいる作業なので、私には難しいかも。マネキン人形を通して、職人さんたちの情熱を感じました。

さて、そうめんについて学んだ後は、とうぜん揖保乃糸を食べなくては。
1階のレストランにて、そうめん料理を完食。そうめん単体でもいいですが、他の料理と組み合わせてもGood。
お腹も満たしたことですし、予は満足じゃ・・・いやいやいや、まだ旅は続くのでお安心を。これからよいよ本日のメインとなる「かかしの里」へ向かいます。
揖保乃糸資料館「そうめんの里」については、下記関連記事でくわしく紹介します。
かかしの里へ向かう道中にて

そうめんの里をあとにして、一般道を北上すると一面に広がる菜の花畑に息を飲みました。
陽光が降り注ぐ中、太陽にように鮮やかに輝くその風景を見ていると、テンションが上がる上がる。
旅へ出かけると、このような景色にふと出会う機会が多いのが嬉しいですね。その後、因幡街道(国道29号)へ合流すると、そのまま道なりに北上。
高いテンションを保ちつつ、軽やかな足取りで自転車のペダルを回します。


しばらくして、気になるお店を発見。名前とソフトクリームの看板から察して、絶対にゆずソフトがあると思う。
予想通りにゆずソフトがあったので早速注文しました。外で食べようとした矢先、私の不注意でソフトを落としてしまった次第です。まだ一口も食べてないのに・・・・
肩を落としてると、店員さんの御厚意でただでもう一本ソフトを頂きました。本当にありがとうございます。こういうのは、本当に嬉しいですね。

気を取り直してゆずソフトを食べる。ゆずの酸味と甘さのバランスが良く美味しい。それに爽やかな香りもいい感じ。
これならば、いくつも食べられそうかな。あっという間に完食すると店員さんへお礼を言って、旅を再開します。

ゆず工房から約500mほど北上して、安志南交差点を右折。三木宍粟線(県道23号)を道なりに進むと、東河内安富線(県道430号)へバトンタッチ。
そのまま北上し続けると、目的地である「奥播磨かかしの里」へ辿り着きます。

奥播磨かかしの里へ向かう途中には、民家として全国レベルの古い遺構が残されているという。事前に情報はバッチリと仕入れ済みなので、古井家住宅のある場所へやってきました。
「千年家」とも呼ばれるこの住宅は、屋根は竪穴住居の名残が見て取れます。それに床下には亀石があり、厄除けとして祀られているそうな。
また、姫路城の建築中に、すみぎを持ち帰り天守に打ち付け無災の縁起を担いだ記録があるといいます。そう考えると、民家というより儀式的な建物なのではないかと思えてしまうかな。
ちなみに、土日祝日には一般公開されるぞ。なので時間に都合がつくのであれば、土日祝日に訪れるのが無難です。

この頃には天気は下り坂となり、空には分厚い雲に覆われているではないですか。頼むから雨だけは降らないで~~。
古井家住宅を後にして約2kmほど北上すると、安富ダムが見えてきました。ダムを見かけると足を運びたくなるのは何故だろうな。それに、周囲を山々に囲まれた場所にあるダムの存在は、とても雰囲気を感じます。

通路からダム湖を覗くと、まるで地底深くまで続くような深い穴にビックリ。実はこれ、ダム穴と呼ばれる洪水吐きのこと。
見続けていると、地底へ吸い込まれそうな感覚になるぞ。なので、初めて見た人は絶対に驚くと思います。
安富ダムまで来ると、奥播磨かかしの里までは残り約2kmほど。ロードバイクであれば簡単なお仕事ですね。

安富ダムを後にして、一気に坂道を駆け上っていると、遠くに井戸端会議をしている住民を発見。田舎では、よく見る日常の風景なので、気にしない人がほとんどだろうな。
それにしてもピクリと動かないのはどういうこと。近づいてみると、なんと案山子ではないですか。う~む、これは人間そっくりなので、遠目では気付かないと思います。
こうして、ついに「奥播磨かかしの里」へ到着すると、いきなり案山子の洗礼に出会いました。
【自転車旅に役立つアイテムの紹介】
自転車旅に役立つ様々なアイテムを、下記記事で紹介します。
案山子たちの日常

姫路市の最奥地となる安富町関地区の一帯は、過疎化や高齢化が進んだ集落です。村おこしの一環として、かかしの里は誕生しました。
そのため、村の至るどころでたくさんの案山子たちを見かけます。その数はなんと、約130体にものぼるというのだから、すでに住民ですよ。
そもそも案山子というのは、竹やわらなどで作った人形のことで、主に鳥獣から田畑を守る存在だ。しかし、奥播磨かかしの里の案山子たちは、生き生きとした表情で今を生きているのが分かるかな。
そんな案山子たちの日常に触れあえるのは、面白いですね。






また、赤い屋根が特徴的な古民家では、「ふるさとかかしのギャラリー」の開催場となっており、案山子たちの団らんを楽しめる。それに、案山子の学校もあるぞ。学校では、父兄の授業参加の様子を窓越しから見物できます。
そんなこんなで村内を駆け巡り、案山子が織りなす日常ドラマを楽しみました。
その後、東河内安富線(県道430号)を南下して、安富町安志地区へ辿り着くと、西側へ進路を変更して本日のお宿がある宍粟市へ向かった次第です。こうして本日の旅は終わりを告げました。
奥播磨かかしの里については、下記関連記事でくわしく紹介します。
まとめ

本日の旅を振り返ると、天気がコロコロと変わっていきましたが、山の天気というのは不安定なものなので、仕方がないでしょう。
それでも全体を通して、満開の桜が咲き誇る中、旅を続けられたのは楽しかったですね。
龍野の古い町並みや龍野城跡の佇まいにノスタルジーを感じたり、揖保乃糸資料館「そうめんの里」では、楽しくそうめんの歴史や文化を学べました。それに加え、奥播磨かかしの里では、約130体の案山子たちが繰り広げる日常ドラマが面白かったです。
明日は福崎町へ向かい、町中や辻川山公園にいるという不思議な妖怪たちに出会う予定。さらに、チタンの大鳥居が目を引く鹿嶋神社へお詣りに行くぞ。
どんな旅になるのか乞うご期待。