※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
旅の体験談

伊賀上野城の観光、藤堂高虎が築いた高石垣や天守の天井絵は見事なり

伊賀上野城の紹介サムネ

お城好きの人の大半は、江戸時代から残る現存天守や復興させた天守を好むものですね。

全国にはそれら以外にも、模擬天守と呼ばれるものがある。それはお城の地域周辺に暮らす人々の願いによって建てられたものが多く、そのようなお城に対して赴きを感じませんか。

そんなお城の一つが、三重県伊賀市の町のシンボルとしてそびえ立つ「伊賀上野城」です。

特に築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が築いた高石垣は、大坂城の高石垣とともに日本で一、二を競うほど迫力満点ですよ。また、天守の天井絵も見事なり。伊賀観光へ訪れた際には、伊賀上野城の観光は外せません。

本記事では、高石垣や天守を中心に伊賀上野城の見どころを紹介します。

本記事は、以下に該当する人向けです。

  • お城に興味がある
  • 伊賀市を観光する予定
  • 伊賀上野城の見どころを知りたい

伊賀上野城とは

伊賀上野城
伊賀上野城

伊賀上野城は、三重県伊賀市の上野公園内に建つ平山城です。

盆地の中央にある大地の北部に建てられており、東側を除き川が流れているため、まさに天然の要塞を彷彿させます。

1585年(天正13年)に豊臣秀吉に仕えていた筒井定次(つついさだつぐ)により築城され、現在の天守の東側に3重の天守があったそうです。その後に築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大規模改修を手掛けました。

当初は、東からの脅威に備えていた城が、関ヶ原の合戦で筒井氏は東軍につくと、西側からの脅威に備える重要拠点の1つとして整備されたそうな。万が一に備えて、家康が避難する役割のあったお城だったそうです。

少し遠くから伊賀上野城を眺める

大坂の陣により、豊臣氏が滅亡したため大規模改修が中止されることに。江戸時代には、本丸・二ノ丸などの主要部分は、城代屋敷を除いて未完成のままでした。

現在では、お城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、園内には伊賀流忍者博物館や忍者伝承館、芭蕉翁記念館などがあります。

また、天守台には1935年(昭和10年)に木造建築による模擬天守を完成させました。2006年には、日本100名城の1つに選ばれ今に至ります。

築城の名手・藤堂高虎が築いた「高石垣」は必見!

高石垣
高石垣

伊賀上野城の本丸の西側には、高さ約30mという規模を誇る高石垣があります。

高虎が築いた石垣の集大成といっても過言でない造りであり、築城当時は他に類のないほど桁外れの高さでした。

石垣といえば、「扇の勾配」と呼ばれる美しい曲線が見物だったりしますが、この高石垣は直線的だ。そのため、石垣の上から下を覗くと足がすくほどの怖さがある。私なんて、思わず「うぉ~~」と声が出ましたね。

大人でもそうなのだから、小さなお子さんは近づかさせない方が無難です。

石垣の端には柵などがないので、気を付けること
石垣の端は危ないので、近づき過ぎないように

それに周囲はフェンスや柵も無く、ただロープが張られているだけなので、端に近づく際には気を付けよう。そのような状態なので、当時のままの迫力ある風景が楽しめるのは嬉しいですね。

ただし、特に風が強い日は絶対に近づかないように。本当に危なすぎですよ。

もしフェンスや柵ができてしまうと、昔ながらの景観が損なわれしまうのは確実だ。安全を取るのか、歴史ある景観を取るのかというのは、実に難しい問題かな。なので、今のまま事故が起きないことを願っています。

このような石垣を眺めていると、伊賀忍者なら登れるのではないかとつい考えてしまうのは、きっと私だけではないと思う。超人的な存在の忍者には、期待感しかありません。

県立上野高校の第2グラウンドが見える

石垣の上から眼下を眺めると、正面に県立上野高校の第2グラウンドが見えます。

このグランドの延長線上には、当時豊臣氏の居城であった大阪城があり、伊賀上野城にとって最大の防衛ラインだった訳ですね。

川端康成の歌碑
高石垣周辺で川端康成の歌碑を発見

また、黒澤明が監督した映画「影武者」のロケ地として選ばれています。武田信玄と徳川家康の激しい戦いが繰り広げられるシーンに高石垣が登場。

そんな石垣を眺めながら、当時戦国武将たちがしのぎを競った時代に思いを馳せてみてはいかがですか。

地元の名士が私財で建てた「天守」は白鳳のごとし

大天守と小天守
大天守(右)と小天守(左)

藤堂高虎は、かつて伊賀上野城に5重の大天守を建設していたのですが、1612年(慶長17年)に発生した暴風雨の影響で、完成目前だった天守が倒壊しました。

その後、長い間江戸幕府の方針により建設が禁止され昭和を迎えた次第です。

昭和に入り6年の歳月が流れると、伊賀上野城の天守の再建が検討され始めたという。これには鉄筋コンクリート製の大阪城天守が、再建されたことに影響があったのでしょうね。

天守の入口へ向かって階段を上る
天守の入口へ向かって階段を上る
天守の近くにはシャチホコがあるぞ
天守の近くにはシャチホコがあるぞ

現在の模擬天守は、伊賀出身の衆議院議員・川崎克(かわさき かつ)氏が私財を投じて再建したといいます。それも当時では珍しく、木造建築だというのだから天守に掛ける想いが凄くないですか。

天守内部の様子
天守内部の様子(2階)

川崎氏は「耐震耐火の近代建築を要求して居る時代に、古代の桃山形式の建築を復興するのは、極めて物好きの感があるが、日本精神のために日本建築の美を賞美することが意義深いと信ずる」と話していたというのだから、その本気度が伝わりますね。

こうして多くの支援者の協力を得ながら1935年(昭和10年)10月18日に模擬天守「伊賀文化産業城」が完成しました。

大天守のアップ

戦国時代の雰囲気そのまま残された天守は、まるで鳳凰が翼を休めている姿に見えるということから「白鳳城」とも呼ばれています。

天守は白漆喰塗籠の層塔型3層3階の高さ23mの大天守と、2層2階の小天守で構成されており、もちろん瓦葺きですよ。

当時建設していた大天守の資料は残っていないので、比較することはできませんが、きっと藤堂高虎も草葉の陰で喜んでいるのではないでしょうかね。

美術品や調度品の数々を展示

た伊賀ーくん
た伊賀ーくん(虎のキャラクター)

天守の中へ入ると、藤堂高虎像とマスコットキャラクターの「た伊賀ーくん」がお出迎えしてくれます。

天守内には、美術品や調度品が展示されており、当時の武家の風俗に触れられる。普段そんな機会なんてそうそうないのだから、隅々まで見て回って下さいね。

様々な甲冑
様々な甲冑
楽茶碗
楽茶碗

当時使われていた甲冑や藤堂家の調度品などが展示されており、戦国マニアならば必見でしょう。それに三重県の伝統工芸品である伊賀焼の作品が紹介さています。

また、歴代の藩主の書画を始め、天守を復興した川崎氏に関する資料もある。地域の文化や歴史について学んでいこう。

伊賀上野出身である「おくのほそ道」で有名な俳聖・松尾芭蕉のゆかりの品も見られるぞ。特に芭蕉の形見として伝わる芭蕉旅笠は一見の価値あり。

芭蕉が旅笠を身にまといながら、旅路を勤しんでいた光景が目に浮かぶようだ。

顔出しパネル
様々なデザインの顔出しパネルがたくさんある

観光スポットとして忘れてならないのが、記念撮影用に顔出しパネルだろう。

1階には、この顔出しパネルがズラリと並んでいるのが面白い。ふすまのように12枚も並ぶと見応え抜群です。

藤堂高虎の実物の兜あり!?

藤堂高虎の兜の模型
真中にある角が生えたような兜が藤堂高虎の兜(模型)

藤堂高虎の兜は、豊臣秀吉からご褒美で頂いたものです。初めて見ると、その見た目に驚く人が多いのではないだろうか。

残念ながら私が訪れた時期は、宇和島城へ出張展示中ということで少し衝撃を受けたかな。というのは、その出張期間中に所用で宇和島市へ訪れていたので、その事実に思わず「ナンテコッタイ」となりましたね。

だけど、模型が展示されているのでイメージはつかめたぞ。両手を広げるほどの大きな兜ですが、見た目はカッコイイ!

高虎の身長は約190cmで体重が約110kgの大男だったそうなので、大きな兜は似合うと思います。しかし、これだけ角が長いと戦場で動き回るには使いずらくなかったのかな。

本物の兜は、黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)という名前で、三重県指定文化財に指定されています。

天守最上階から伊賀の城下町を眺める

伊賀の町並み
伊賀の町並み

天守3階からは、伊賀の城下町を一望できます。

全体的に高層ビルは少なめ。それなりに発展している町模様といったところか。周囲を山々に囲まれた美しい景観が良く、自然と調和がとれていると思いました。

個人的には、かつてこの城下町に忍者が暮らしていたと思うと、自然にテンションが上がるかな。

黒装束の忍者人形
忍者人形が後ろ向きに張り付いている

ちなみに天守1階には、黒装束の忍者人形が太い柱に飛びのり張り付いている姿が見られるぞ。

伊賀市の風景
伊賀市の風景、のどかさを感じる
伊賀の町並み
伊賀の町並み(カメラのズーム機能を使い撮影)

最上階から風景を眺めるには、できれば双眼鏡を持参しておきたい。双眼鏡があると、より遠くまでしっかりと確認できるので便利です。

この模擬天守が完成した時に訪れた地元の人たちにとって、ここから眺めた伊賀の町並みに感無量だったのだろうな。

未来に残して起きたいと思う景色が広がっています。

天守最上階の「天井絵」は見応えあり

天井絵
天井絵

天守最上階には眺め以外にも注目したいものがあり、それは格天井に描かれた「天井絵」です。

築城当時の財界人や文化人46名による、1メートル四方の46枚の書画がはめ込まれている様は壮観ですね。これらの書画の数々は、天守の復興を願って寄贈されました。

中央に見えるのは画家・横山大観の「満月」なり。日本画の大家・横山氏のファンならば、ぜひチェックしておきたい。ちなみにその隣には、天守建築に尽力した川崎氏の絵が飾られています。

その他には、俳人・高浜虚子や第23代内閣総理大臣・清浦奎吾などの名前が見受けられました。

天井絵の説明
天井絵の説明

もちろんそれぞれの書画について、別途くわしい説明があるのでご安心して下さいね。

どうせなら説明文を読む前に天井絵を眺めてみて、どのような感想を持つのか先入観なしで確認してみるのも面白いと思います。

ミステリアスな「忍び井戸」の存在

忍び井戸
忍び井戸

小天守の1階はギャラリーとなっており、中央には「忍び井戸」があります。

籠城中に水は大事となるため、約五十間の深い井戸が設けられたそうな。そして、お城の井戸といえば、抜け穴を連想する人も多いだろう。

ご多分に漏れず、忍び井戸も城内と外部とを行き来できる抜け穴だといわれています。

抜け穴なのだからその存在は他言無用なのは当たり前。当然書物などに残しておらず、口伝にのみで伝えられたみたい。

実際、忍び穴を掘った穴太衆(あのうしゅう)の子孫には、口伝による一子相伝だったそうです。

井戸の中を覗くとかなり深いことがわかる

井戸の中を覗いてみると、これは深そうだ。抜け穴の審議を確認するのは大変だろうな。

聞くところによると、井戸は複数あり偽物の井戸は、途中で行き止まりになるという。2017年に人気テレビ番組「探偵ナイトスクープ」がこの井戸に入って調査したところ、抜け道の存在が確認できなかったそうですね。

ということは、今もどこかで抜け穴が残っている可能性はゼロではないということ。これは歴史ロマンを感じさせる、まさにミステリアスな存在といえます。

大規模な城代屋敷跡あり、台所門西側の石垣に注目

城代屋敷跡
城代屋敷跡

伊賀上野城に現存する数少ない遺構として、天守から少し離れたところにある芝生エリアには、城代屋敷跡として礎石や石列などが残っています。

至るどころに案内板を立てていたり、広間や居間周辺といった間取りを記したプレートが埋め込まれているので、分かりやすいですね。

台所門周辺の跡地
台所門周辺の跡地
表門跡
表門跡

屋敷の東側には広間や書院、西側に小部屋群が位置しており、玄関・使者之間・小玄関・銅壷(どうこ)之間・通之間・次書院など部屋数が多い。

さらに台所棟や蔵群、長屋群、表門、裏門などがあり、かなりの大きさを誇る屋敷だったことが分かります。

伊賀市街が間近に見える
伊賀市街が間近に見える

高台に建てられているため、きっと屋敷の住人たちは、眼下に広がる城下町の様子を眺めていたのだろう。

部屋の全体図
部屋の全体図

案内図で見つけた古地図を眺めていると、なんとなくだけど部屋の全体図がつかめるかな。

しかし平面図だけでは、屋敷の全体構造がいまいちピンとこないと思うので、今風にVRを活用した方がイメージがしやすいですね。

台所門西側の石垣
台所門西側の石垣

屋敷跡の中でも台所門西側の石垣に注目しよう。この石垣の上には、塩噌蔵や米蔵、柴小屋が建っていました。

見た感じは普通の石垣に見えるのですが、その経緯が面白いですよ。

なんと平成20年の発掘調査で藤堂時代(1608~1871年)の石垣の内側から、藤堂時代以前と考えられる石垣が見つかったという。どうですか、面白いでしょ。

発掘調査により石垣の中から石垣が見つかった

外側の石垣と比べて内側の石は非常に小さくて、加工痕である矢穴が残った石は3つしかなかったそうです。

発掘調査により次々と新事実が見つかり、当時の状況が紐解かれていくのは歴史ファンにとってワクワクしますね。

城郭とは関係ないけど雰囲気が似合う立派な「白鳳門」

白鳳門
白鳳門

伊賀上野城には「白鳳城」という別名がつけられていますが、その名前にちなんだと思われる「白鳳門」があります。

実はこの白鳳門は、「伊賀上野城図」には記載されておらず実在していない門なんだとか。「一体どういうこと?」と疑問をおぼえますね。答えをあかすと疑似門ということ。

城郭とは関係なく、昭和時代に建てられてそうで、大阪市内の篤志家による寄付で建築されたといいます。

見た目からして城下町の雰囲気にあう門なのが素晴らしい。観光用の門として立派な門ですよ。

この門をくぐり抜けて、先へ進むと本丸表門跡へ続いています。

伊賀上野城の基本情報とアクセス

住所三重県伊賀市上野丸之内106
電話番号0595-21-3148
営業時間9:00~17:00(入館は16:45まで)
休館日年末(12/29~12/31)
登閣料
(天守のみ)
大人(高校生以上)600円(500円)
小人(小・中学生)300円(250円)
※30名以上で団体割引きあり、( )内の金額は割引き後の料金

【アクセス】

  • 伊賀鉄道・上野市駅から徒歩約8分
  • 名阪国道「中瀬IC」や「上野IC」から車で約10分

伊賀上野城の駐車場

伊賀上野城の駐車場は、上野公園の有料駐車場を利用しよう。(第1駐車場 47台、第2駐車場 53台)

営業時間は8:00~17:00で、料金(1回/日)は以下の通りです。

  • 普通車 600円
  • バイク 200円
  • マイクロバス 1,200円
  • バス 1,500円

まとめ

伊賀上野城の天守内にある展示物

伊賀に住む人たちの想いが詰まった伊賀上野城。

江戸時代から残る現存天守や復興させた天守ではありませんが、模擬天守ならではの趣があります。

伊賀上野城へ訪れるならば、築城の名手藤堂高虎が築いた「高石垣」は必見ですよ。柵などが整備されておらず、近付きすぎると危険なので注意しよう。

また、伊賀上野城が建つ上野公園には、伊賀流忍者博物館や芭蕉翁記念館などがあるので合わせて見学してみてはいかがですか。さらに大迫力のパフォーマンスを繰り広げる忍者ショーも開催されているので、ぜひ足を運んでみて下さいね。

上野公園を歩きながら、伊賀上野城の再建にかけた想いを感じつつ見学すれば、また違った楽しみ方ができるというものです。



日本ブログ村、人気ブログランキングへ参加しています。
記事を読んで頂いて、良かったらクリックして頂けると励みになります。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 自転車ブログへ   国内旅行ランキング




本記事を読んで頂きありがとうございました。
日本ブログ村、人気ブログランキングへ参加しています。

良かったらクリックして頂けると励みになります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 自転車ブログへ   国内旅行ランキング


管理人
この記事を書いた人

年齢:40代。
職業:旅人兼ブロガー。

私にとって自転車旅が一番の楽しみであり、知らない土地、景色、一期一会の出会いなど様々な体験をしました。当ブログでは、自転車旅などを通じて体験した事や訪れた絶景・観光スポットについて紹介します。また、自転車全般に役立つ情報を発信しています。

当ブログのURL:https://tabirin2021.com
ここをクリックすると当ブログの説明と管理人のプロフィールを紹介します。

こーさんをフォローする
たびりん ~ふるさと探訪記~
タイトルとURLをコピーしました