兵庫県赤穂市といえば「忠臣蔵の聖地」として多くの人に知られていますね
この聖地には、忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助(おおいし くらのすけ)を筆頭とする四十七義士(赤穂浪士)を祀るパワースポット「赤穂大石神社」が鎮座しています。
忠臣蔵ファンはもちろんのこと、そうでない方も赤穂市へ訪れたら、足を運んでお詣りしたい神社ですね。「天下の大仇討ち」を成功させ、本懐を成し遂げたことから、「大願成就」のご利益がありますよ。
参道には、ズラリと47人の赤穂浪士像が並ぶ姿は壮観です。また、大石邸長屋門・庭園や義士史料館など見どころも満載なので、参拝後にぜひ足を運んでみて下さい。
本記事では、忠臣蔵とゆかりある「赤穂大石神社」の見どころを紹介します。
忠臣蔵のふるさと「赤穂大石神社」とは
赤穂大石神社は、1912年に創建された比較的新しい神社です。
徳川幕府が治めた江戸時代では、忠臣蔵の話の内容から神格化するのは、難しかったのだろうと予想ができますね。
創建のきっかけは、1868年(明治元年)に明治天皇が、泉岳寺へ勅使を出しことから始まります。
泉岳寺では、赤穂浪士を供養している墓があり、このことから神社創建の機運が高まりました。そして、1900年(明治33年)に政府の許可を得て、1912年(大正元年)に社殿が完成した次第です。
ご祭神は、大石内蔵助を含む四十七義士命と中折の烈士・萱野三平命(かやのさんぺいのみこと)ですね。
社殿の周りには「忠臣蔵ものがたり」という絵馬型絵巻が掲げられており、「忠臣蔵」の話を知らない人に対して、分かりやすく解説しています。
【周辺の見所】
赤穂大石神社の周辺の見所を、下記記事で紹介します。
忠臣蔵とはどんな話
忠臣蔵は江戸時代の話です。幕府より天皇が出す使者が江戸にくるということで、その際、接待役に播磨赤穂藩主の浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)が選ばれたことから話が始ります。
天皇家に関わりのある使者なので、当然様々なしきたりがありますね。そこでアドバイス役に選ばれたのが、最終的にボスキャラとなる吉良上野介(きら こうずけのすけ)でした。
吉良からのアドバイスされた内容は、しきたりとは違う物ばかり。吉良が故意にウソを教えたのかは不明ですが、そうなると、次第に2人の中はギクシャクしていきます。
ついに、浅野内匠頭は怒り心頭、吉良に対して憎しみを抱くようになりました。ある日、脇差で吉良へ切りかかり、背中と額に傷を負わせた次第です。
ここまで聞くと、今も昔も人間関係によるトラブルが発展して刃傷沙汰になるのは、人の性(サガ)かも知れませんね。
吉良は軽傷ですみましたが、浅野内匠頭はその場で捉えられ、即日切腹する羽目に。吉良には何もお咎めがありませんでした。
その後、赤穂城は、江戸幕府に引き渡すことになると、赤穂藩の武士は全員浪人になってしまったのです。こうして、赤穂浪士が誕生した訳ですね。
主君の恨みを晴らすため、大石内蔵助がリーダーとなり、入念の計画の下、時間をかけてついに吉良邸へ討ち入りを行なった結果、みごと憎き吉良上野介を打ち取りました。
その後、幕府から大石内蔵助を始めとする四十六義士全員に切腹が命じられ、刑が執行されました。オシマイ。(47名中、1人は討ち入り後に失踪?)
【神社の参拝に役立つ話】
神社の参拝に役立つ様々な話を、下記記事で紹介します。
【見所①】参道に立ち並ぶ47人の赤穂浪士像
赤穂大石神社の社殿へ向かう入口は、南側と東側の2箇所あります。
南側の参道の両脇には、ズラリと47人の赤穂浪士(四十七義士)の石像が並んでますよ。1人1人、凛々しい面構えをしており、命を懸けて主君のために戦ったものたちです。
そんな義士を少し紹介します。
まずは、リーダーの大石内蔵助から。
赤穂浪士といえば、やはりこの人でしょう。それほど知名度抜群の人物ですね。赤穂藩の筆頭家老を務めていました。そのため、赤穂浪士をまとめるのは、自然に彼になったのも頷けます。
こちらは、堀部安兵衛(ほりべ やすべえ)です。
吉良邸の討ち入り決行に向けて、中心的な役割を果たした重要人物。江戸からの急使や内蔵助の説得、在江戸の同士の取りまとめ役など彼が行った役割は多岐に渡ります。
彼がいなかったら、スムーズに討ち入りができず、失敗していたかも知れません。
こちらは、唯一の生存者であった寺坂吉右衛門(てらさか きちえもん)。
彼は家老・大石内蔵助の使用人ですね。なので、当時の時代を考えると赤穂藩主・浅野内匠頭の顔を知らない可能性があります。
そんな彼は、藩主の仇討ちというより、律儀に大石内蔵助についてきただけだったのかも。
最終的には、彼は討ち入り後に失踪?して生き残りますが、使用人を死なせることを不憫に思った大石内蔵助が、別の役目を頼んで逃がしたという説があります。
彼は、切腹した赤穂浪士たちの家族のところを訪ねて、浪士たちの活躍と最後の言葉を伝えたそうです。
彼が生き残ったからこそ、忠臣蔵とは何であったのか、今に伝わっているのでしょう。
47人それぞれに人生があり、様々な思いを胸にしまい込んで、吉良邸への討ち入りに挑みました。
少なくとも彼ら47人は、他の人からは想像できない絆の強さがあったものだと思います。
現代人の感覚でいえば、討ち入りは暴挙の最たるものですが、全く気持ちが分からない訳ではありませんね。
【神社の紹介】
旅先で訪れた様々な神社を、下記記事で紹介します。
【見所②】大石邸長屋門・庭園
境内からは、有料ですが庭園へ入れます。(義士史料館とセット料金、くわしくは後述します)
大石邸宅は1900坪もあったそうで、跡地に作られた庭園は、広々としていました。
庭園内の一番の目玉は「長屋門」です。大石内蔵助の一家が3代57年に渡り、住んでいた屋敷の正門が残されています。
主君が切腹してしまった凶報をもたらす早かごが、この門をくぐっており、唯一当時のまま残っている貴重なものですよ。
門の内側には、事件の知らせを受けた大石内蔵助の様子を人形で再現していました。
そんな人形の仕草がリアルであり、大石内蔵助や妻りく、子供たちがただならぬ空気を感じつつも、決して取り乱すことなく、振舞っている様子がありありと分かりますね。
この長屋門は、元禄時代唯一の建築物であり、1923年(大正12年)に国の史蹟に指定されました。
また、瓢箪池を含む一帯の庭園は、散策していて気持ちがいいです。
園内には、樹齢約350年で幹周囲4mもある御神木の楠がありますので、優しく手に触れてパワーを授かってみませんか。
この楠の近くには、「子宝陰陽石」なるものが。
陽石(男性)と陰石(女性)がお互いに向き合う配置となっており、その真ん中の位置に石(子供)がありますよ。それぞれ撫でると、夫婦和合・子孫繁栄にご利益があるそうです。
また、園内には、小さな社の「大石稲荷社」がありますので、参拝していきましょう。
【庭園の紹介】
旅先で訪れた魅力的な様々な庭園を、下記記事で紹介します。
【見所③】義士史料館の展示品
義士史料館は、有料ですが忠臣蔵ファンならば必見ですよ。
この史料館は、3つの建屋(義士宝物殿・義士宝物殿別館・義士木像奉安殿)に分かれていますので、それぞれ違った見所がありますね。
義士宝物殿は、もともと楠木正成公を祀る湊川神社の宝物殿を移築したものです。
日本を代表する二大忠義の士(楠木正成公と赤穂義士)がこの地に揃うなんて、何かしらの縁を感じられずにいられません。
今では、数々の忠臣蔵ゆかりの品物が展示されています。
展示品の中には、大石内蔵助が討ち入り時に使用したと伝わる「采配」や「呼子鳥笛」があるので、お見逃しなく。
また、内蔵助自らデザインしたといわれる「木盃」もありますね。なんでも酒席で心得るべき戒め五か条が記されているとか。
その他にも内蔵助が所用していた刀も展示しています。刀銘は「備前長船清光」脇差銘は「備前長船康光」ですね。
まだまだ忠臣蔵にゆかりある品物が、たくさん展示していますので、ゆっくり見て回りましょう。
義士宝物殿別館では、浅野家・大石家の宝物や、浅野家断絶後の城主森家に伝わる重宝類を展示しています。
中に入り、一番最初に目に留まるのは、両国橋のジオラマでしょう。
橋を渡ろうとする義士たちの様子を表しています。
個人的に気に入ったのは、こちらの「竜頭兜(りゅうとうかぶと)」。
森長可(もり ながよし)の所用だったそうです。龍の前立が豪快で面白そうな兜ですね。
こちらの「人間無骨の十文字槍」のポスターは、無料で貰えるそうですよ。希望者は、受付でお申し出て下さいね。
義士木像奉安殿では、平櫛田中(ひらぐし でんちゅう)氏ら当代超一流の木彫家49人が、1人1体ずつを彫り、奉納された義士の木像が展示されています。
この木像は、1953年(昭和28年)に義士自刃満250年大祭を記念して企画されたもの。
参道に並ぶ義士の石像とはまた違ったリアルさを感じます。
- 義士史料館は、神職による無料ガイドを依頼できる
- 入館料金は以下の通り(20名以上で団体割り引きが適用される)
- 大人(高校生以上)450円
- 小人(中学生以下)無料
- 障害者(身分証提示)220円
【見所④】阿形しかいない狛犬
社殿の両隣には、珍しい形をした狛犬に目が留まります。
見た目は何だかロボットのように見えるのですが、立派な狛犬ですよ。
この狛犬は、社殿が建てられた年に作られたものであり、奈良の東大寺の南大門裏にある日本最古の狛犬を模倣したんだとか。そう聞くと、結構由緒ある造形だったんですね。
花崗岩を使って造られており、高さ98cm(台座を含めると260cm)もあります。
普通、狛犬は2つで1組であり、片方が口を開く、もう片方は口を閉じている、いわゆる「阿吽」がいるのでは。
この狛犬は、阿形しかいない。少しだけ違和感を感じるのは、決して私だけではないでしょう。
境内や参道には面白い物が多い
先ほど紹介した見所以外にも、境内を散策していると、面白い物を見つけますよ。
こちらは、国家「君が代」に詠われている「さざれ石」です。
このさざれ石は、徳島県海南町の山渓から掘りだされたもの。私たちが参拝のおり、霊力を授かる祈念がされているとか。うん、嬉しいですね。
こちらは、「心響石」です。
説明板によれば、香川県高松市の西に産出した石で、ドイツの地質学者バインシェンクにより、「サヌカイト」と命名されています。赤穂大石神社では、心響石と名付けていますね。
是非、バチを使って心響石を叩いてみて下さい。名前の通り、心に響く美しい音色を奏でます。そんな音色を聞いていると、癒されますよ。
そして、この2つの石柱の存在を忘れてはいけません。
「忠魂」「義膽(ぎたん)」の文字が書かれた石柱ですが、この文字は、世界的に有名な提督「東郷平八郎元帥」の揮毫(きごう)ですよ。
知らないままですと、そのまま素通りしそうです。
尚、神社へお詣りしながら御朱印を集めてみては如何ですか。そこで、お洒落で人気のある御朱印帳をここをクリックして開く記事で紹介しますので、参考にして頂ければ幸いです。
赤穂大石神社の基本情報とアクセス
住所 | 兵庫県赤穂市上仮屋129 |
電話番号 | 0791-42-2054 |
【アクセス】
- JR播州赤穂駅から徒歩約10分
- 山陽自動車道「赤穂IC」から車で約10分
赤穂大石神社の駐車場
赤穂大石神社には、無料駐車場があります。(普通車 50台)
まとめ
赤穂大石神社は、忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助を含む四十七義士(赤穂浪士)を祀るパワースポットです。
参道前には、47人の赤穂浪士像が参拝客をお出迎えしてくれます。
境内には、大石邸長屋門・庭園や義士史料館など見所が多いので、所要時間は30~60分ほどみておいて下さい。
忠臣蔵にあやかり、赤穂大石神社でパワーを授かれば、きっと「大願成就」されるのではないでしょうか。