村上水軍をご存じですか。
村上水軍は、平安時代から戦国時代にかけて瀬戸内海の島々を拠点に、一大勢力を築いた日本最大の海賊です。
愛媛県今治市の大島には、村上水軍の歴史と活躍を紹介している博物館「村上海賊ミュージアム」があります。
屋内・屋外には、数々の魅力ある展示品が並んでおり、見学しているうちに彼たちが活躍した時代に思いを馳せるでしょう。
また、3階にある展望室からは、大島の町並みや瀬戸内海の多島美を堪能できますね。
本記事では、村上水軍の歴史と村上海賊ミュージアムの見どころを紹介します。
村上海賊ミュージアムとは
村上海賊ミュージアムは、冒頭でも触れましたが、村上水軍の歴史と活躍を紹介する施設です。戦国時代の乱世を生き抜いてみせた、村上水軍の足跡をたどれます。
2004年に「村上水軍博物館」の名称でオープンし、2020年4月より「村上海賊ミュージアム」に改名されました。
展示品には、能島村上家の末裔に伝わる古文書や美術工芸品、能島城跡の出土品など数多くあり、村上水軍のファンの人にとっては垂涎ものかも。
サイクリングで有名な「しまなみ海道」の定番コースから少し離れていますが、気にするほど離れている訳ではないので、サイクリングの途中で立ち寄りのも十分ありですね。
3階建ての建屋には、以下のフロアがあります。
- 1階:講座室、ライブラリー、ミュージアムショップ、カフェテリア
- 2階:常設展示室、企画展示室(2階の展示品は撮影禁止)
- 3階:展望室「しまなみ空中散歩」
- 屋外:小早船や繋船石など
所要時間は、一通り見て回ると約30~60分ぐらいですね。ゆっくり館内を歩いて、ぜひ日本最大の海賊の記憶を肌で感じてみましょう。
【周辺の見所】
村上海賊ミュージアムの周辺の見所を、下記記事で紹介します。
日本最大の海賊、村上水軍の歴史
村上水軍は、平安末期から戦国時代にかけて瀬戸内海を拠点に活動していました。
戦国時代では、能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家に分かれており、その中でも最大勢力を誇ったのが能島村上家です。
この三家は、時にはライバルとして戦い、時には共同戦線をはったりしながら瀬戸内海をほぼ支配下におさめ、海の安全を守っていたのは歴史が知るところ。
戦国時代の西国では、水軍が活躍できる場面が多く、強力な水軍を味方につけた者が戦の勝者になる確率が高かったという。
げんに1555年(弘治元年)におきた「厳島の戦い」が、水軍の質が重要なことを物語っています。
陶晴賢(すえ はるたか)率いる陶軍は、2万の大軍と500の大船団を組み厳島へ押し寄せました。
応戦する毛利元就(もうり もとなり)率いる毛利軍は、城兵500を含む3,500の将兵のみ。圧倒的な戦力差があるため、誰がみても毛利軍の惨敗は目にみえています。
しかし、救援に駆け付けた村上水軍の200艘の大船団により戦況は一変。最終的に毛利軍が勝利をつかみ取りました。
破竹の勢いにのる村上水軍は、「第一次木津川口の戦い」で織田信長の水軍である九鬼水軍と激突。この戦いで村上水軍は、手榴弾と火矢を使い、敵船を焼き払い見事に勝利をかざります。
この敗戦を知りこのまま黙っている信長ではありません。火に負けない鉄の船を作るよう九鬼水軍の頭・九鬼嘉隆(くき よしたか)に命じました。
そして「第二次木津川口の戦い」で九鬼水軍は、鉄装甲で大砲を搭載した巨大な安宅船(あたけぶね)を運用。この船には村上水軍の戦法もかなわず敗走してしまうことに。
その後、村上水軍内で紛争が勃発し、次第に勢力が衰え始めた次第です。
信長が本能寺で亡くなった後、豊臣政権下で1588年(天正16年)に「海賊禁止令」が出されます。すると村上水軍が生活の糧としていた、海の通行税の徴収も廃止になる。これは致命傷ですね。
そして水軍は大名のもとでの兵力として組み込まれ、村上水軍は消滅しました。
【見所①】魅力ある屋外展示品
村上海賊ミュージアムの館内へ入る前に、屋外にある展示品を見て回りましょう。
まずは小説「村上海賊の娘」の本屋大賞受賞を記念した石碑に目が留まります。
村上海賊の娘は、和田竜さんによる長編歴史小説です。
村上武吉(むらかみ たけよし)の娘である主人公・景(きょう)が軍船へ乗りこみ、瀬戸内海で悪事を働く者を成敗したり、男勝りの活躍をするお話。興味がある方は、一読してみてはいかがでしょうか。
こちらは村上水軍を率いた能島村上家の当主・村上武吉の石像。貫禄がありますね。
使っている石は、大島の特産品である「大島石」ですよ。大島石は、高級な墓石や有名な建築物に使われている。たとえば国会議事堂や大阪心斎橋などが有名です。
また、村上武吉の次男・村上景親(むらかみ かげちか)の石像もありました。
景親は関ケ原の合戦などで活躍し、大名から誘いを受けますが、これを固辞して生涯毛利家に忠節を尽くした忠義の士。
視線を足元に移すと、これは村上武吉の家紋じゃないですか。
「丸に上の字」というシンプルさ。これは覚えやすい。この家紋は「文字紋」と言って文字を家紋にしたものです。
村上水軍のシンボルとして良く知られています。
石のベンチに腰を下ろし、眼前の瀬戸内海の風景を楽しめる。これはいい。
その他にも村上水軍の機動力として活躍した小型の船「小早船(こはやぶね)」が展示さています。
見るからに潮流にのると、スピードが出そうな形状ですね。
聞くところによれば、日本一の水軍レース大会を目指して、1990年(平成2年)に宮窪町が復元を行った第1号船なんだとか。全長8.4m、幅2mもあり、長さ6.6mの5丁櫓を搭載してますよ。
この小早船と縄でつながっている石に注目して下さい。
一見、何とも思わない石ですが、かつて船を繋ぐ木柱を立てるために使用されたと推測されている石です。
繋船石(けいせんせき)といって、宮窪町戸代沖、古波止より発見されました。直径25~30cmの円形孔が穿たれた花崗岩の台座です。
個人的に面白いと思ったのは、こちらの全長が短い船ですね。
この船を後ろから覗いてみると、何と自転車になっている。
うん、この船で近所をサイクリングできれば楽しそう。残念ながらこの自転車に乗ってはいけないので、悪しからず。
【博物館の紹介(その1)】
村上海賊ミュージアムのように多くの博物館では、その土地の歴史や文化などを学べますね。下記記事では、旅先で訪れた博物館を紹介します。
【見所②】村上水軍の活躍を知る屋内展示品
屋外の展示品を堪能した後は、館内へ入りましょう。
1階は、ミニシアターとして利用する講座室、村上水軍に関する書籍を揃えたライブラリー、お土産が買えるミュージアムショップ、カフェテリアがあります。
その他にも色々と見どころがある。たとえばこちらは、村上水軍が使用した船の模型展示です。
白地の帆に、赤くデザインされた「丸に上の字」。戦場でこの帆を見かけた敵兵たちは、いったいどんな顔をするのでしょうかね。
こちらは、能島村上家の本拠地・能島の海岸で見つかった謎の大穴の原寸大レプリカ。
直径1mにもなる2基の大穴で深さは2m以上あることが、発掘調査の結果わかりました。能島城へ向かう緩やかな登城路にあり、満潮でも海水が入らない位置に穿たれている。
その用途は未だに不明だそうです。
2階には、常設展示室と企画展示室があります。撮影は禁止なので注意するように。ご自分の目でぜひ確かめてみて下さい。
展示品には、古文書や遺跡出土品、伝来美術工芸品、民俗資料などがあり、能島村上水軍の活躍を紹介している。
その中でも修復して現代によみがえった甲冑や、村上武吉・景親親子が着用したと伝わる陣羽織は見物ですよ。
それは、村上水軍の家紋が入った真っ赤な「猩々陣羽織(しょうじょうじんばおり)」。本当に昔のものとは思えないほど色鮮やかです。お見逃しなく。
【博物館の紹介(その2)】
旅先で訪れた博物館を、下記記事で紹介します。
【見所③】展望室「しまなみ空中散歩」の景色
館内の展示品を一通り見て回った後は、3階へ足を運びましょう。
3階は展望室になっています。大きな窓から目の前には、瀬戸内海に浮かぶ能島が見て取れます。
床には、しまなみ海道の大きな地図が描かれている。
しまなみ海道は車でも通過できますが、できればサイクリングがおすすめ。
しまなみ海道の本州側の入口となる尾道や、四国側の入口となる今治でレンタサイクルをかりて、島旅を漫喫して欲しいかな。
展望室から屋外へ出ることもできる。
こちらが屋外からの景色です。能島を含む瀬戸内の多島美が目の前に広がります。
遠くには大島の町並みを望み、山の方へ視線を向ければ、大島石の採掘場が見えてくる。
潮風の香りが漂う瀬戸内海の景色を眺めながら、村上水軍が愛した風景を目に焼き付けてみませんか。
【しまなみ海道の紹介】
しまなみ海道について、下記記事で色々紹介します。
KAIZOKU(海賊)文化を今に伝える
村上水軍の活躍は、宣教師ルイス・フロイスに「日本最大の海賊」といわしめました。
そもそも水軍とは、軍事的側面が強い水上兵力を表しますね。そういう意味では、村上水軍は、海上交通の案内などを行なっている「海賊」といった方がしっくりきます。
この「海賊」とは、海外ではパイレーツと表現する。パイレーツは、理不尽に船を襲って金品を奪う悪党ですよ。
村上海賊は、掟を順守し航海の安全を守り、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支えてきた存在。パイレーツと同列に扱うのは失礼すぎる。
村上海賊ミュージアムでは、日本独自の存在である「KAIZOKU」文化を伝えています。
合わせて体験したい、村上水軍ゆかりの潮流体験
村上海賊ミュージアムの目の前には、物産館兼魚食レストラン「能島水軍」があります。この能島水軍では、村上水軍が活躍した瀬戸内海をクルージングしながら潮流体験ができる。
能島城跡や船折瀬戸、見近島、伯方・大島大橋をめぐり、特に流れの早い潮流の体験が面白い!
ぜひ村上水軍の歴史ロマンを感じてみて下さい。くわしくは、下記関連記事で紹介します。
村上海賊ミュージアムの基本情報とアクセス
住所 | 愛媛県今治市宮窪町宮窪1285 |
電話番号 | 0897-74-1065 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
定休日 | 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12/29~1/3) |
入館料 | 大人310円 学生160円 高校生以下または18歳未満は無料 高齢者(65歳以上)250円 ※30名以上で団体割引きあり |
【アクセス】
- 今治港から協和汽船のフェリー(約25分)に乗って、大島・下田水港下船後、タクシーで約15分
- 西瀬戸自動車道「大島北IC」から車で約5分
村上海賊ミュージアムの駐車場
村上海賊ミュージアムには、無料駐車場があります。(普通車50台、大型車3台)
まとめ
日本は周囲を海に囲まれた島国です。海と共に歩んできた日本の歴史を語るのに、海賊の存在はかかせません。
村上水軍は、海賊といってもパイレーツとは一線を画しており、瀬戸内海の流通や交流の安全を保障していた存在でした。
大名や商人たち多くの人々から必要とされていたからこそ、時代が変わっても、今もなお支持されているのでしょう。
穏やかな瀬戸内海のそばに建てられた村上海賊ミュージアムで、かつて縦横無尽に活躍していた村上水軍の歴史ロマンを学んでみませんか。