岡山県赤磐市の熊山の頂上には、誰が何のために造ったのか全くわかっていない遺跡があります。
それは「熊山遺跡」と呼ばれ、その姿はまさにピラミッドに類似しているのです。
今回はその熊山遺跡を訪れます。
いったいそこで何を見て、何を感じることができるのか興味津々です。
また、熊山遺跡の周辺には熊山神社が鎮座しており訪ねてみましょう。
それでは、謎に満ちた熊山遺跡を紹介します。
謎に満ちた熊山遺跡とその周辺を散策する
熊山遺跡へ向かおう
香登駅から東へ約1.5kmほど進んだ後で、北へ向けて坂道を上ります。
熊山遺跡付近の駐車場までは、ほぼ一本道のため迷う事はないでしょう。
道中には、岡山県内で有名なあじさい寺である大滝山西法院の前を通過します。
大滝山西法院については、下記記事の中で紹介しています。
私は熊山遺跡の存在は知ってはいましたが、今まで実際に訪れたことはありませんでした。
前から一度訪れてみたいと思っていたので、今回の旅で訪ねることにしたのです。
この熊山は地元では知られたハイキングコースがあります。
熊山の標高は508mで、熊山駅の近くに登山道の入口があり、道に迷う可能性が低く2時間ぐらいで登る事ができます。
山頂へ向かう道中の山道には、所々に道案内の標識が立てられています。
また、石畳などにより歩き易く、東屋などで休憩できたり、かえる岩などの見所もあるのです。
これなら、楽しみながらハイキングを漫喫できますね。
今回私が進んでいるコースは、道幅はそれほど広くはありません。
対向車が来た場合には困ってしまいます。
その点、自転車の場合は、車より小さいため路肩へ退避することが容易ですね。
自転車では、結構きつい坂道を上る事になりますので覚悟が必要です。
しばらく坂道を上り続けていると、沿岸には道標がありました。
道標に従い、熊山の方向へ進みます。
今、走行している道は10%前後の坂道が続いていますね。
また、斜度16%の所もあり、とても辛いです。
しばらく坂道を駆け上がって行くと、だんだんと斜度が緩くなってきました。
そして、遂に頂上付近にある駐車場へ到着したのです。
その時の感想は「やった~、やっと到着した。」喜びが体全体から溢れてきました。(嬉)
万人はおすすめはできませんが、自転車で上りきった後の達成感は格別です。
【自転車のアイテム紹介】
自転車に役立つ様々なアイテムを、下記記事で紹介します。
熊山神社で参拝しよう
駐車場へ自転車を止めて、徒歩で頂上を目指します。
この駐車場の近くに案内板があり、熊山遺跡へ向かう道もわかり易く書いています。
この地図を見ると熊山遺跡から少し離れた所に「熊山神社」があることがわかります。
少し休憩した後で、まずは遺跡へ向かう通り道にある熊山神社へ向かいました。
道は整備されているため、歩き易いですね。
途中で分かれ道になりましたが、どちらから進んでも熊山神社へ到着できます。
階段を上る方が神社への近道ですね。
階段を上り先へ進むと鳥居が見えてきました。
その鳥居を見て、直観的に何か特別な存在を感じたのです。
直ぐにそのような感覚はなくなりましたが、いったい何だったんでしょうね。
鳥居をくぐり抜け、拝殿へ向かいます。
境内にはお行儀よく座った備前焼きの狛犬がいました。
狛犬を眺め終えた後で、拝殿の前に立ち、神様へお祈りを捧げました。
その昔、山頂付近には中世「帝釈山霊山寺」があり、僧侶が集まって修行する清浄な場所でした。
その場所を護る神様を祀っていたのが熊山神社なのです。
明治時代初期の神仏分離令によって人々に公開されました。
本殿は切妻平入り神明造りです。
御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)であり、ご利益は縁結びですね。
また、4月中旬には、熊山神社境内で白装束に身をまとった若者たちが400kgもある神輿を担いで練り歩くお祭りがあるようです。
拝殿で参拝した後で、境内を散策しました。
すると、立札を見つけたのです。
どうやら、児島三郎高徳が挙兵した時の腰掛岩があるようです。
この岩が腰掛岩ですね。
後日、この児島三郎高徳について調べてみると興味深い事がわかりました。
児島高徳は1331年(元弘元年)に醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の挙兵に参加したそうです。
醍醐天皇は戦いに敗れ、幕府に捕らえられ、隠岐へ流されます。(この辺りは有名な話ですね)
児島高徳は、天皇を救出しようとしましたが失敗します。
それ以降も朝廷側の武士として活躍したそうです。
江戸時代以降には、南朝の忠臣として称えられたそうですね。
児島高徳は太平記でしばしばその名が出てきているそうですが、他の資料で見ることがないため、太平記の著者とされる小島法師と同じ人物ではないかと考えらえている説もあります。
南朝で活躍したのならば、良くも悪くも何かしら記録が残っていても不思議ではないはずですね。
太平記にしかその名前が出てこないとなると、いろいろと疑問を感じます。
それはさておき、境内にはその他には、稲荷社もありました。
境内の散策を終えた後で、熊山神社を後にしたのです。
この神社へ来た道を引き返さずに、参道を進んで、熊山遺跡へ向かう道へ戻りました。
【神社仏閣の紹介】
熊山神社は熊山遺跡へ向かう途中にある神聖な神社です。是非訪れて参拝しましょう。私は旅の道中には、神社仏閣へ立ち寄ることは多いので、下記記事で訪れた神社や寺院を紹介します。
天然杉を発見
熊山遺跡へ向かう道中を歩いてきます。
整備された道で歩き易いですが、木々で光を遮るため夜歩くとかなり怖いですね。
少し歩くと立札が見えてきました。
天然記念物に指定されている杉の木があるようです。
しめ縄が付いているこの杉の木がきっとそうでしょう。
迫力がありますね。
この熊山の天然杉は、1972年9月に天然記念物に指定された熊山神社の山道脇にそびえ立っています。
樹高38m、幹の直径は1.5mあり、樹齢約1,000年と言われていますね。
少しの間、2本の杉の木を眺めた後で熊山遺跡を目指しました。
【巨木あれこれ】
実は旅の道中に巨木を見かけることは良くあります。神社仏閣などでは御神体として祀られることも多いですね。私が旅の道中で目撃した巨木について、下記記事の中でお伝えします。
和製ピラミッド、謎の熊山遺跡
天然杉があった場所から少し進むと、熊山遺跡へ辿り着いたのです。
奥の方には、とても目立つピラミッドが見えます。
あれが熊山遺跡です。
その姿を目にして「お~、凄い!!」と思わず声を上げたのです。
自分の目で見るのと写真で見るのでは、やはり全然違いますね。
その存在感に驚かされます。
更にこの遺跡へ近づいてみましょう。
遺跡の周りには柵が張られ、立入禁止になっています。
遺跡へ直接触れる事はできませんが、見るだけでも十分堪能できます。
熊山遺跡は、熊山の山頂にある全国に類をみない石積みの遺構です。
石積みは4段からなっており、各段は四角形となっています。
基底部は1辺11.5m、2段目は1辺7.6m、3段目は1辺5m、最上段は1辺3.5mで石積みされており、高さは3.5mあります。
まさしく和製ピラミッドと呼ぶに相応しいですね。
1956年9月27日に国史跡に指定されました。
段の中央部分には縦横約80cmの穴が開いています。
この穴の中からは陶製の筒型容器などが発見されたそうです。
容器には三色で彩られた小壷と巻物があったそうですが、盗難により紛失しました。
この筒方容器と小壷から年代は奈良時代前期と言われています。
この特殊な方形で作られた熊山遺跡は、誰が何のためにこの熊山に造ったのか全くわかっていません。
仏教の戒壇、仏塔、豪族の墓、修験道の遺構など諸説がいろいろと言われていますが決定打に欠けているようです。
まさしくミステリーですね。
また、この熊山遺跡以外にも熊山一帯には、32ヵ所に及ぶ石積遺構が確認されています。
確認された遺跡は、熊山遺跡の石積みによく似ていますが、年代などが異なっていると言われていて謎が謎を呼んでいます。
私見ですが、恐らくかつてこの遺跡は、儀式に使っていたのではないでしょうか。
この遺跡を通じて、五穀豊穣などの祈りを捧げたり、神託を授かったりしていた場所なのではないかと考えました。
熊山遺跡の近くには、鐘楼跡などいろいろと見るところもあります。
【悠久の時の中で残る物】
世の中には何百年前や何千年前から造られて、今もその姿を残している物を見かけます。熊山遺跡もその内の一つですね。私が旅の道中で見かけた悠久の時を過ごした物を下記記事で紹介します。
展望台からの光景
熊山遺跡の直ぐ近くには展望台がありますので、そちらへ向かいました。
展望台に上って、眼下を見下ろします。
残念ながら雲で霞んでいたため、遠くは良く見えませんでした。
それでも良い景色を眺める事ができて満足です。
しばらくの間、眼下の景色を楽しみ熊山遺跡を後にしました。
【サイクリストの管理人からの一言】
自転車旅やサイクリングを行なっていると、展望台から絶景を眺める機会は良くありますね。私は絶景巡りが旅の目的の一つになっていますが、自転車旅の魅力はいろいろです。下記記事で自転車旅の魅力をお伝えします。
熊山遺跡の基本情報とアクセス
住所 | 岡山県赤磐市奥吉原 |
電話番号 | 086-966-6310(赤磐市熊山遺跡管理等) |
【アクセス】
- JR香登駅からタクシーで約20分
- JR熊山駅からタクシーで約20分
- JR熊山駅から約750m歩いた所には、熊山遺跡を目指すハイキングコース(熊山登山口)があります。徒歩で約120分ぐらいで登ることができます。
熊山遺跡の駐車場
熊山の頂上付近にある駐車場では、約20台の普通車が駐車できる広さがあります。
まとめ
熊山遺跡は和製ピラミッドと呼ぶにふさわしい存在です。
昔の人たちは、いったい何を思い熊山の頂上へこの遺跡を造ったのでしょうか。
この遺跡以外にもたくさんの石積遺構が確認されていますので、当時熊山は神聖な場所であったに違いありません。
この遺跡の謎が解明できる日を心待ちにしておきます。