日本全国にある神社の数は、約8万社以上と言われており、一生かかっても全ての神社へお詣りにいくのは難しいですね。
数多くある神社の中には、様々な理由で参拝しない方よいと言われている神社があることをご存じですか。
既に神様がいなくなった神社があったり、神様と違って動物霊や低級霊など悪い霊が群れている場合もあります。
もし、悪い霊が巣食っているような神社に参拝してしまい、何か悪いことが起こるかも知れないので、そのような神社は避けるに越したことはないです。
誤解のないように言っておきますが、散歩がてらに身近な神社へ参拝するのは、決して悪いことではありません。
本記事では、参拝しないほうがいい神社の特徴を説明します。本記事を読んで、様々な神社へ安心して参拝できれば幸いです。
参拝しない方がいい神社の特徴とは
神社は、本来神様へ感謝の気持ちを伝える場所です。けれど、ご加護を授かりたいと思う気持ちは誰もが持っているでしょう。
自分では解決が難しい悩みであればあるほど、神様にすがる気持ちは良く分かります。参拝することで、心が晴れることがあれば、物事に前向きに進めるきっかけとなり、開運につながるかも知れません。
そのためには、願をしっかり神様へ伝えなければならず、神社を選択する必要がありますね。
どんなに願いが叶いやすいと評判のいい神社でも、必ずしもあなたに向いているとは限りません。自分にあった神社を探しだす必要があります。
その際、注意しておきたいのが、参拝しないほうが良い神社の存在です。確立こそ低いものの、下手に参拝したために不運に見舞われることも。
そこで、主な参拝しない方がいい神社の特徴を以下にまとめました。
それぞれについて説明します。
【特徴①】神社の名前に「疱」「瘡」の文字が入っている
もし神社の名前に「疱」「瘡」の文字入っている場合は、参拝しないようにしましょう。
「疱瘡(ほうそう)」とは、人類史上最も恐れられた病気である天然痘ですよ。
今でこそ治療法が確立したものの、かつては感染力が高く致死率は20~50%もある恐ろしい病気として忌み嫌われていました。
かつて医学の知識や医療技術のなかった時代では、祈ることでしか対処する方法がなく、疱瘡という恐ろしい病魔を神として祀り鎮めていたのです。
日本各地には、疱瘡神社と呼ばれる神社があり、疱瘡神を祀っています。
そんな病魔の神様へ一体に何を願うつもりですか。恐らく神職以外には、参拝する人がいないと思われます。
疱瘡神を祀る神社は、気軽に参拝できる場所ではありません。
天然痘について簡単に説明すると、発病すれば高熱にうなされ、全身に発疹ができます。
その発疹は皮膚や体内の臓器までに及び、やがて化膿して、皮膚の下に白や黄色みがかった膿が溜まって盛り上がったしまう。その醜さはすさまじく、思わず目を背けたくなるものですよ。
天然痘は、ワクチンの普及により1980年5月にWHOが根絶宣言をしています。
【神社の紹介(その1)】
旅先で訪れた神社を、下記記事で紹介します。
【特徴②】暗い・汚い・壊れている神社
神道の考え方には「罪穢れを嫌う」というものがあります。
つまり、綺麗な場所にこそ神様が宿るということですね。反対にいえば、汚くて手入れが行き届いていない神社には、神様は宿らないともいえます。
神様がいないだけならまだしも、汚い場所には邪気が集まり、動物霊や低級霊など悪い霊が群れる可能性が高いですよ。
具体的に以下のような状態の神社は、参拝しない方がいいです。
- 地面には、落ち葉が散らかし放題
- 雑草に覆われ、手入れがされてない
- 手水舎の水が汚く濁っている
- 境内が清掃されておらず、ゴミが散らかし放題
- 建物に埃や塵が積もっている
- 建物のガラスが割れていたり、壁や屋根がボロボロである
- 薄暗く不気味さを醸し出している
- 寂れていて、ほとんど人がいない
下手に参拝した結果、体調が悪くなってしまったり、悪い霊を持ち帰ってしまうと目も当てられません。
小さい神社には、社務所がないところが多く、神職の方が常住していないことは良くあります。たとえ神職の方が普段からいなくても、きちんと清掃がされており、地元に人々に愛されている神社は決して寂れている訳ではないですね。
【特徴③】直感的に入りなくないと思う神社
神社の境内へ足を踏み入れると「何となく嫌だな」「よく分からない物が出てきそうで怖い」と感じたことはありませんか。
そのように直感的に入りなくないと思った神社は、参拝しない方がいいです。
人は通常、五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)を使って物事の判断をしますが、それ以外にも第六感と呼ばれるものがあります。
この第六感は、直感力やインスピレーション、霊感、超能力など五感で説明できないものばかりですね。
この第六感は、他人に理解されるのが難しい(ほとんど無理)ですが、全くバカにできません。自分の直感を信じた結果、上手くいった経験をした方も多いでしょう。
つまり、境内へ足を踏み入れ、嫌な雰囲気を感じたらならば、あなたの直感が、間違いなく何か不穏なものを感じ取っていると言えます。
特に「ここへ足を踏み入れてはダメだ!」と嫌な気分を通り越して、本能的に恐怖を感じるのならば、絶対に参拝するのはやめて下さい。
それは、あなたにとって危険である可能性が高いですよ。滅多にないことですが、もしそのような感覚を感じたならば、その感覚を信じましょう。
【神社の紹介(その2)】
旅先で訪れた神社を、下記記事で紹介します。
【特徴④】参拝客が多すぎる神社
パワースポットとして有名な神社には、多くの参拝客が訪れます。
どんなに清廉潔白な人であったとしても、人である以上「邪気」が全くない訳ではありません。
そのため、多くの参拝客が集まれば集まるほど、邪気も集まり、濁りや澱みが発生してしまうのです。
更に神様に対して感謝せず、自分だけの欲を押し付けているだけでしたら、澱みがより深くなるばかりでしょう。
また、神社の規模によっては、願を引き受けることができるキャパシティーがあります。
それを越えてしまえば、感じの良い神社であったとしても、マイナスエネルギーに支配されてしまうかも。
パワースポット巡りをするならば、人が多く訪れる時間は避けるのが無難ですよ。
参拝客が多すぎる神社は、注意しましょう。
【神社の紹介(その3)】
旅先で訪れた神社を、下記記事で紹介します。
【特徴⑤】家系に因縁のある神社
あなた自身に身に覚えがなくても、あなたの家系が氏神様に対立した過去があるといった因縁があるならば、その神様を祀る神社は参拝をやめるべきです。
そのような因縁めいた関係がある神社へ参拝すれば、何があってもおかしくはありません。
特に有名な話として、「神田明神」と「成田山新勝寺」にまつわる話がありますね。
平安時代の東国(今の関東地方のこと)を手中に収めた平将門は、自ら「新皇」を名乗りました。
いわゆる「平将門の乱」ですね。当然、あまりにも不遜なため、激怒した朝廷側が討伐に乗り出しましたが、東国は手強く苦戦を強いらげます。
そこで用いたのが「呪術」です。朝廷から命を受けた京都の層・寛明は、現在の成田山の地で祈祷を行なうと戦局が一変することに。
平将門は、戦場で1本の流れ矢に目を打つ抜かれ、あえなく討ち死にしました。
その後、寛明は「長くこの地に留まり、朝敵降伏のため働く」という託宣を受け、成田山の地に不動堂を建立して祀ったのが、成田山新勝寺の起原になります。
一方、平将門は京都でさらし首となりましたが、伝説によれば、首はある夜に東国へ飛び去り、五体を探すも力尽きて、地上に落下。
その落下地点が、千代田区にある首塚です。そして、将門の怨霊を鎮めるために供養を行っているのが、当時首塚の近くにあった神田明神ですね。
このような関係性があるため、神田明神の氏子は、成田山へは決して行かず、成田山の信者も神田明神へは足を運びません。
たとえ、自分の家系と直接関係なくても、神田明神と成田山新勝寺は同日に参拝してはいけないと言われています。
【特徴⑥】仏教派の稲荷神社
「お稲荷さん」の愛称で親しまれている稲荷神社は、日本全国に点在しています。そのため、誰しもが、1度は参拝したことがあるでしょう。
この稲荷神社は、「神道派」と「仏教派」に分かれていることを知っていますか。
神道派の稲荷神社では、五穀豊穣の神様であられる宇迦之御魂神(うかのみたまのおおかみ)を祀っています。
仏教派の稲荷神社では、茶枳尼天(だきにてん)という凄まじい神通力を持った神様を祀っているのです。
この茶枳尼天ですが、人肉を食べる夜叉の一種といわれているとか。そのため、1度稲荷神社へ参拝すると、その後も一生参拝し続けなければならないという。
何だか無茶苦茶な話ですね。これは、祟られるとかいう話ではなく、神様に願い事を叶えて頂いても、お礼もしないような無礼な振る舞いはいけないといった意味ですよ。
仏教派の稲荷神社は、必ずしも参拝してはいけないのではなく、参拝しない方が無難と言えます。
まとめ
本記事では、参拝しない方がよい神社の特徴について説明しました。
神社は、清廉な場所であるイメージが先行しがちですが、必ずしもそういう訳ではありません。
確率こそ低いものの、参拝したために悪い霊に取りつかれ、不運に見舞われることも。そんなことにならないためにも、参拝へ訪れる神社については、色々知っておきたいものです。
また、せっかく興味を持って神社へ参拝しているのであれば、歴史や祀っている神様の信仰などに目を向けると、より面白いですよ。それに御朱印を集めるのも面白い。お洒落で人気のある御朱印帳はこちらで紹介します。
参拝しない方がよい神社の特徴を知れば、無理に参拝しようとは思わないもの。それが、思わぬ不幸を回避して安心して参拝できることにつながります。