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旅の体験談

石畳神社へプチ登山、総社市で神を祀る自然石の御神体にビックリ

石畳神社の御神体

日本国内には、巨大な自然石を御神体として崇める神社は沢山あります。

その中で、岡山県総社市にある石畳(いわだたみ)神社の御神体は、高さ60mに及ぶ磐座(いわくら)です。

岡山三大河川の一つに数えられる高梁川沿いからその姿を見上げ、ビックリするでしょう。

これが御神体と知っていなければ、ただの奇峰として扱うかも知れません。

本記事では、石畳神社とその御神体について紹介します。

本記事は、以下に該当する人向けです。

  • 巨大な自然石である御神体について興味がある
  • 神社仏閣巡りを行なっている
  • 石畳神社について知りたい

石畳神社とは

石畳(いわだたみ)神社は岡山県総社市秦地区に位置し、古くから神殿を設けず磐石を神の御室と定めています。

御神体の磐石は、高梁川(たかはしがわ)の上流に架かる新豪渓秦橋を渡ると、対岸の下流側にそびえ立つ巨大な奇峰(石柱)です。

石畳神社の御神体の景色

石畳神社の創建は不明ですが、御祭神は古事記にも登場する磐座経津主神(いわくらふつぬしのかみ)であり、一説によると、神武天皇に与えた刀である布津御霊(ふつのみたま)を神格化した物と言われています。

古代の人々にとって高梁川は、水運と農地へ水を供給する灌漑(かんがい)のため、非常に大切な存在でした。

しかし、暴れ川として知られていた高梁川は、洪水の被害が大きく、石畳神社は川の氾濫を鎮めるため祭祀されたと思われます。

総社市の秦(はだ)地区は、渡来人である秦氏が住んでいたため、名付けられた地名と考えられていますね。

秦氏は、中国の秦(古代の王朝)に由来する漢民族で、朝鮮半島を経由して日本へ渡ってきました。

日本で天皇家と共に朝廷の設立に関わったり、機織の技術を始め治水や土木、養蚕、製鉄、酒造などの技術に長けていたそうです。

また、秦氏は磐座信仰をしていたため、石畳神社との関係が注目されています。

石畳神社の拝殿へ参拝

石畳神社

石畳神社の拝殿は、高梁川に架かる新豪渓秦橋から見えていた御神体と比べると、とても小さく見えますね。

かつての拝殿は、御神体の大岩塊(石柱・磐座)の真下にあったそうですが、1955年(昭和30年)に「旧豪渓秦橋」を架ける際、現在の位置へ移転されました。

当時は屋台も出店されていて、参拝者も多く盛大にお祀りが行われていたそうです。

今ではそんな面影が見て取れず、ひっそりと佇みながらこの周辺を見守っているのでしょう。

鳥居をくぐり抜け、階段を上り拝殿へ向かい参拝します。

石畳神社の拝殿

高台から眺めた高梁川の風景がこちら。う~ん、良い景色ですね。

高梁川の風景

高梁川と言えば、2018年の西日本豪雨の影響で高梁川支流の小田川が氾濫したことは、まだ記憶に新しいです。

特に真備町全域は、水没する大災害となり記録的な被害となりました。

近年、異常気象が多発し、日本だけでなく世界各地でも多くの災害が発生しています。

私たちが住む地球に、何かが起こっているのかも知れませんね。

高さ60mの巨大な磐座

山道

石畳神社の拝殿正面から向かって左側には、山道が続いています。

御神体の磐座までは300mも歩きませんが、山道を歩くので動きやすい服装で向かいましょう。

山道の途中から道が分岐していました。

分岐点には案内板が立てられており、磐座へ向かう方向とパノラマ展望台へ向かう道に分かれているので、磐座を示す方向へ歩きます。

石畳神社の御神体へ向かう案内板

すると、石畳神社の御神体(磐座)が見えてきました。

石畳神社の磐座

御神体の周りには、特に柵はされていないため、近づく場合は慎重に足元に注意しながらゆっくりと近づきましょう。

足元を滑らすと最悪、転落してしまう危険があります。

また、山道を歩いて近づくため、足元に突然蛇などが現れても不思議ではありません。

ちなみに、私が御神体へ近づこうとした時に、目の前2mぐらいのところを蛇が地面をはって通過しており、その姿を見て少し「ビク!」としました。(汗)

御神体の下側には、小さな赤い鳥居が添えられています。

石畳神社の磐座

その姿が何だか可愛らしく見えるのは、私だけでしょうか。

小さな赤い鳥居

まるで人工物のように見える御神体ですが、これが自然に出来た物とすれば凄い奇跡的な確率で造られたと思います。

石畳神社の磐座

積み木のように積み上げられた石の上へ登れるようにも見えますが、絶対に止めた方が良いでしょう。

そのような行為は不敬であり、何より足を踏み外すと、間違いなく断崖の下へ落下してしまいます。

この御神体は、日本に現存する最古の和歌集である万葉集で「石畳さかしき山と知りながら我は恋しく友ならなくに」と詠まれているそうです。

古くから多くの人々に影響を与えてきた証拠ではないでしょうか。

御神体へ近づき、眼下を眺めた景色がこちら。

眼下には、高梁川に架かる新豪渓秦橋とその周辺の綺麗な景色が見て取れます。

新豪渓秦橋

尚、御神体の全景がこちら。見事な奇峰であり存在感が凄いですね。

石畳神社の磐座の全景

神社仏閣巡りを趣味にしている人はもちろんのこと、そうでない人も総社市へ訪れる機会があれば、石畳神社へ参拝してみませんか。

高さ60mにも及ぶ磐座は一見の価値があります。

【奇岩・奇峰の紹介】

石畳神社の御神体のように、日本各地では古くから巨石信仰が行われていますね。例え信仰されていなくても奇岩や奇峰は十分見応えがありますので、下記記事で紹介します。

秦パノラマ展望台の眺め

石畳神社の磐座へ訪れた後は、秦パノラマ展望台へ向かってみましょう。

磐座から秦パノラマ展望台までは、約10分ほど歩きます。

しばらく山道を歩いていると、秦パノラマ展望台が見えてきました。

秦パノラマ展望台
秦パノラマ展望台

こちらは、秦パノラマ展望台の内側の景色です。

秦パノラマ展望台の内側

眼下には、秦地区一帯が見渡せます。

秦パノラマ展望台からの景色

そこには、自然と供に人々が生活を営む住宅地と雄大な高梁川の流れが織りなす景色が広がっていました。

全く良い景色が見られて、個人的に大満足です。(嬉)

また、眼下の至るどころには、多くのハウスが見て取れますね。

秦パノラマ展望台からの眺め

秦地区は、西大寺や船穂と並び岡山県内では有名なブドウの産地です。

恐らくマスカットを栽培しているのでしょう。

今回は訪れませんでしたが、秦パノラマ展望台から更に上った城山山頂には、荒平城跡の展望台があり、こちらの方が標高が高いので更に良い景色が見られそうです。

【展望台からの景色】

日本全国の絶景スポットには、展望台が設置されていることが多いですね。下記記事では、そんな展望台からの景色を紹介します。

秦氏と古代日本の謎

石畳神社との関わりが注目されている秦氏について触れてみましょう。

秦氏といえば、古代日本へ大陸から渡来してきて、日本に治水や製鉄など高度な技術を持ち込んだ有力氏族です。

日本へ渡来するまで、秦氏は長い年月をアジアで費やし、政治経済の分野で古代中国で多大な影響力を培ってきました。

始皇帝の時代には、一族は繁栄を極めたそうですが、秦(今の中国)の崩壊後、中国大陸の政情が混乱し始めると、一族は拠点を東へ移し始め、最終的には日本へ渡来してきたと思われます。

石畳神社の周辺
石畳神社の周辺の景色

秦氏は技術を日本へ伝達しただけでなく、沢山の神社を建てたそうです。

それらの神社は「八幡神社」と呼ばれ今日に至るまで信仰が続いていますね。

八幡神社は実は「キリスト教の神 ヤハウェ」を祀っているのではないかと言う考えもあります。

例えば「八幡」と言う漢字ですが、一般的には「はちまん」と読みますね。

しかし、本来の読みは「ヤハタ」だったそうです。

確かに「ヤハタ」と「ヤハウェ」は似ていますね。

また、「秦(ハタ)」という読みに、ヘブライ語で神を意味する「ヤ」を接頭語とした「ヤハタ」と言う説もあります。

秦氏のルーツを辿ると、紀元前6世紀から8世紀にかけて南北のイスラエル国家が崩壊した際、アジア大陸東方へ移動したイスラエル民族の一部族(今のユダヤ人)と言わています。

そうすると、日本人の祖先には、ユダヤ人が含まれていたとしても不思議ではありません。

秦氏の渡来により、高度な製鉄の技術や漢字の文化を始め醸造や灌漑技術、律令制に則った統治制度などにより、古代日本社会が急速に発展しました。

つまり、秦氏の渡来は、日本古代史における歴史的転換点になったのは間違いないでしょう。

どこまで本当にあったことなのか、今となっては知る由もありませんが、秦氏と古代日本の謎はロマンがありますね。

石畳神社の基本情報とアクセス

住所岡山県総社市秦3995

【アクセス】

  • JR豪渓駅から徒歩約15分
  • 総社ICから車で約20分

石畳神社の駐車場

石畳神社の駐車場

石畳神社には無料駐車場がありますが、かなり狭いです。(普通車:約3台)

まとめ

石畳神社の御神体は、万葉集にも詠われているという磐座であり、古来より信仰されてきました。

高さ60mに及ぶ磐座であり、その見事な奇峰は一見の価値があります。

御神体へ参拝し終えた後は、秦パノラマ展望台からの絶景を楽しみましょう。

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