今回の旅では、主に播州赤穂を見て回ります。
播州赤穂といえば「忠臣蔵のふるさと」ですね。天下の大仇討ちを成し遂げた様子は、時代劇や映画などでご覧になった方も多いでしょう。
そんな赤穂浪士たちが生活を営んでいた地へ足を運びますよ。
旅の舞台は、兵庫県相生市から赤穂市です。赤穂観光を漫喫した後で上郡町を目指します。道中では、坂越の町並み、赤穂御崎、赤穂大石神社、赤穂城跡などを見て回りました。
サイクリングの最中に、装備品が壊れる悲しいアクシデントに見舞われことも。全く嬉しくありませんが、それも含めて旅ですね。
本記事では、播州赤穂とその周辺を自転車で旅した道中の様子をお届けします。
播州赤穂へ向かう道中にて
本日の旅のスタートは、兵庫県相生市にある相生駅から始まります。
この場所から赤穂市までは、距離にして約15kmほど。距離的には、大したことはありませんが、その道中には高取峠が立ちはだかりますね。
すでに準備運動は万全なので、張り切っていきましょう。
相生駅から南下を続けると、はりまシーサイドロード(国道250号)へ合流。その後、進路を西に取ります。
しばらくして、華やかな中国風の建物が目に留まりました。
この建物は「道の駅 あいおい白龍城」ですね。
見て下さい。このドラゴンの模様がカッコイイでしょう。
あいおい白龍城は、道の駅内に温泉施設を有するありがたい施設です。なんでも兵庫県内には、そのような道の駅が3ヶ所あるとか。
道の駅なので、レストランを始め、農作物や乾物、土産物などが揃っています。特にこの辺りは、牡蠣が美味しいですよ。
昔、冬の瀬戸内海沿岸を自転車で旅していた時に、この道の駅へ立ち寄り、焼き牡蠣をたらふく食した記憶が蘇りました。(笑)
瀬戸内海を横目にしながら、自転車のペダルを軽やかに回し続けて高取峠を目指します。
平坦地が終わり、よいよ高取峠が牙をむきだし始めてきましたが、マイペースで上りますよ。
すると、赤穂まで残り8kmの標識を発見。実際、目的地まで10km以下の標識を見かけると「あと〇〇kmか」と思ってしまうもの。ほとんど庭かご近所感覚ですね。
高取峠の頂上へ辿り着くと、そこには大きな駕籠のモニュメントが設置されていました。
この駕籠も忠臣蔵に関係ありますよ。江戸から赤穂城へ早籠にて使者を届ける勇壮な姿を再現したものです。
それにしても、人物の造形がリアルですね。
頂上は休憩地となっており、東屋があるのですが、なぜかトイレはなく、自動販売機もないので飲み物が入手できません。
休憩地にしては、片手落ちではないでしょうか。なので、早々と退散することに。
下り道の滑走感を楽しんでいると、あっと言う間に平野部に流れる千種川へ合流。
そこで、高瀬舟船着場跡を見つけました。
【自転車旅の紹介(その1)】
本記事のような自転車旅の様子を、下記記事で紹介します。
高瀬舟船着場跡でのアクシデント
かつてこの辺りは、高瀬舟が行き来しており、物資の荷揚げ積込みが行われ、坂越浦の裏玄関と言われたそうですよ。
道の上から見える河原には、モニュメントが見て取れます。よく見てみると、船の形をした物が見えますね。
河原へ降りて近づいていると、「コローン」と何か地面に落ちた際に発する音が聞こえてきました。
気になって後(うしろ)を振り向けば、テールライトの取り付け部が折れている!!
そして、地面にはテールライトが転がっていました。(シクシク)
テールライトは、もともと2つ装備しているので、夜間走行になったとしても問題はありませんが、悲しい出来事です。
今は旅の途中。原因と対策については、旅の終了後に考えましょう。
気持ちを切り替えて、高瀬舟船着場跡を後にしました。
せっかくなので、近くにある坂越(さこし)の町並み見学へ向かった次第です。
【自転車旅の紹介(その2)】
本記事のような自転車旅の様子を、下記記事で紹介します。
坂越の町並みを見学
坂越(さこし)は、瀬戸内海に面した港町。北前船の寄港地の1つとして、坂越の町並みや文化財が「日本遺産」に指定されています。
坂越の町並みは、内陸部から海に向かって延びる石畳の道(大道)に沿って、商家や船主屋敷、酒蔵、寺院などが軒を連ねていますね。
瀬戸内海の多くの港町は、海岸沿いに広がっているものなので、坂越の町並みは、そういう意味では珍しいかも。
じっくり町並みを見学しますよ。うん、情緒を感じる良い雰囲気ですね。
こちらは、坂越まち並み館。
坂越の歴史や文化について様々な資料が展示しています。
こちらは、奥藤酒造ですね。
酒蔵を見学できるので、興味のある方には嬉しいかも。赤穂の地酒「忠臣蔵」や銘酒「乙女」などの利き酒体験もできますよ。
海岸近くにまで進むと、かつて坂越の行政・商業事務を担った「旧坂越浦会所」があります。
赤穂藩主の立ち寄り処としても利用されていたとか。建物の中は無料で見学できますね。
この旧坂越浦会所の目の前にある通りで、船の形をしたやぐら台を見つけました。
このやぐら台は、「とうろん台」と呼ばれ、坂越湾を航行する船舶に対して、海洋気象を知らせる施設だったとか。
当時は、役場の人が、天候条件を示す布製蛇腹の「吹き抜き」をぶら下げて、入出港する船舶に天候や風向きを知らせる重要なお役目があったそうです。
夜になると、ランプを吊って船舶に報せていたという。当時は、なくてはならない物であったことが良く分かりました。
海岸線も整備されており、潮風を感じながら散策するのが楽しいですよ。
坂越の町並み見学を終えた後は、海岸を眺めながらしばし休憩。旅の道中ですごす、このような時間に至福を感じます。
その後、赤穂市の景勝地「赤穂御崎(あこうみさき)」へ向かいました。
【古い町並みの紹介】
坂越の町並みのような古い町並みについて、下記記事で紹介します。
赤穂御崎で瀬戸内海の絶景を堪能
赤穂御崎は、古くから景勝地と知られている観光スポットです。
春は桜が咲き誇り、夏は海水浴やキャンプ、秋・冬には温泉や新鮮な海の幸が魅力的。1年通じて楽しめます。
急坂を上り終えると、赤穂御崎へ到着。「赤穂温泉」の大きな看板がよく目立ちます。
無料駐車場へ自転車を止めて、早速、赤穂御崎の観光としゃれ込みましょう。
赤穂御崎では、2021年3月に新たな観光スポットができたのが、記憶に新しいですね。
その名は「きらきら坂」。
恋愛のパワースポットとして知られている伊和都比売(いわつひめ)神社から、海辺へ向かう坂道が「きらきら坂」ですよ。
なだらかな坂道には、石畳が敷かれており、まるでイタリアの町並みを彷彿させる景観は、大変素晴らしい。
海岸沿いには、遊歩道が整備されており、最高のロケーションを楽しめる。
さすがは、「日本百景」の赤穂御崎ですね。
実は、ここは恋人の聖地にも選ばれていますよ。それにカフェやナポリ料理を提供するお店などお洒落なお店が次々にオープンしていて、若い女性やカップルに大人気。
私が訪れた日は、平日でしたが、そこそこの観光客で賑わっていました。男性に比べて女性の割合が多かったですね。
後から知りましたが、休日は観光客が多いそうなので、平日に訪ねたのは大正解。
伊和都比売神社の境内には、海に向かってそびえ立つ鳥居があるので、絶好のフォトスポットですよ。
観光客が入れ替わりで、記念撮影に勤しんでいました。赤穂御崎でしばらくの間、観光を楽しんだ後は、よいよ赤穂市街へ向かいます。
尚、赤穂御崎・きらきら坂について、下記関連記事でくわしく紹介しますね。
赤穂浪士を祀る赤穂大石神社へお詣り
赤穂御崎を後にすると、辺りは都市の景色になってきました。
そんな都市部を自転車で軽やかに走っていれば、千種川の河口を目撃。
思わず1枚撮ってしまいました。うん、中々いい映り。奥に薄っすら映っているのは小豆島ですね。
小豆島は、ほぼ毎年サイクリングへ出かけているので、私にとっては御用達の島といえるかな。
来年もよろしく!そんな気持ちで赤穂市街へ向かっていると、赤穂城の隅櫓が見えてきました。
さっそく、赤穂城跡とその近くにある赤穂大石神社へ向かいますよ。
自転車を赤穂城大手門近くにある無料駐車場へとめて、ここからは歩いていきます。
大手門前の周辺で見つけた郵便ポスト。個人的にこのような郵便ポストを見つけるのが好きですね。
この大手門をくぐって奥へ歩けば、右手側に赤穂大石神社が見て取れる。左手側を歩くと赤穂城跡へ辿り着きます。
まずは、赤穂大石神社へ向かいましょう。
赤穂大石神社では、忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助(おおいし くらのすけ)を筆頭とする四十七義士(赤穂浪士)を祀っています。
参道の両側には、ズラリと四十七義士が立ちならんでいますよ。
彼らに見送られながら、社殿に到着。参拝後、境内を見て回りました。
有料となりますが、義士史料館は忠臣蔵ファンならば必見ですよ。
この史料館は、3つの建屋(義士宝物殿・義士宝物殿別館・義士木像奉安殿)に分かれており、忠臣蔵ファンならば喜ばずにいられない品々が展示されています。
義士史料館を見て回った後は、庭園へ足を運びました。(こちらも有料です)
大石内蔵助の一家が3代57年に渡り、住んでいた屋敷の正門(長屋門)が残っており、唯一当時のまま残っている貴重なものですよ。
かつて、主君が切腹してしまった凶報をもたらす早かごが通過したそうです。
長屋門の内側では、人形を使って、凶報の報告を受けている大石内蔵助の様子を表していました。
凶報を受けた大石内蔵助は、どんなに驚き悲しんだことでしょうか。
その後、大石内蔵助率いる47人の赤穂浪士たちが、天下の大仇討ちを成功させ、本懐を成し遂げたことは、忠臣蔵の物語として現代にまで語り継がれています。
このことから、赤穂大石神社では「大願成就」のご利益がありますよ。
一通り境内を見回した後で、今度は赤穂城跡へ向かった次第です。
尚、赤穂大石神社について、くわしくは下記関連記事で紹介します。
赤穂城跡の観光
赤穂城へ向かっていると、こちらの案内板が目に留まりました。
なるほど、赤穂城の二之丸庭園の案内ですね。庭園の入口へ目を向けると、何となく呼ばれている感じがしたので、足を運んでみることに。
こちらが、二之丸庭園の景色です。うん、実に広々としています。
絵になるな。
奥には、石垣や城壁が見て取れますよ。
犬を飼っている方ならば、ドックランさせたら気持ち良さそうですが、ペットの持ち込みは禁止なので残念ですね。大人しく散策して過ごしたり、水辺にある東屋でゆったり過ごすのがよいでしょう。
それにしても、解放感が堪らない。足を運んで正解でした。(嬉)
二之丸庭園を後にして、赤穂城の本丸門の前へ到着。
本丸門を通過すれば、そこには本丸跡が広がります。
敷台は、東京大学史料編纂所に保管されている赤穂城御殿間取り図を基に復元しているという。
それぞれの場所には、かつて何があったのか分かるようになっていました。
たとえば、この場所は「茶の間」だったみたい。当然面影は何もなし。
こちらは「床」。今では、先ほどの「茶の間」と何も変わらない。
こちらは「縁側」です。確かに縁側と分かる証拠がありますね。
こちらの本丸大池泉は、1984年(昭和59年)の発掘調査で全容が明らかになったそうで、立派に復元されていますよ。
また、奥に見える天守台は、展望台になっているので、そこから本丸跡の全体を見下ろせます。
残念ながらこの天守台は、幕府から許可が下りず、天守が築城されなかったそうです。
こちらは、天守台からの景色。うん、綺麗ですね。
赤穂城は1661年に初代赤穂城主・浅野長直の指示で築かれました。
平和な時代に築かれた、珍しいお城だったといいます。そんなお城で起こった忠臣蔵で語られる悲劇。
なんだか、やるせないですね。天守台から本丸跡を眺め、そんな風に感じていました。
赤穂城跡は、1971年(昭和46年)に国の史跡に指定され、2002年(平成14年)には「本丸庭園」と「二之丸庭園」が国の名勝になりました。そして、2006年(平成18年)には、「日本100名城」に選ばれています。
【お城・城跡の紹介】
旅を続けていると、様々なお城や城跡へ訪れることが多いので、下記記事で紹介します。
上郡町へ向かう
赤穂城跡を後にして、本日のゴール「上郡駅」へ向かいます。
赤穂城跡から約20kmほどです。本日はもう観光スポットへ立ち寄る予定はないので、後は真っ直ぐ上郡駅を目指すだけ。
道中では、人形の親子に見送られたりしながら、北上を続けていると、上郡町へ入りました。
千種川を眺めながらのんびり走っていると、川面にはたくさんのカモが泳いでいる景色を目撃します。
そんなカモの泳ぎを眺めていれば、癒されますね。
そのような調子で、気になる所があれば立ち止まること数回、ついに上郡市街まで残り1kmです。
ここまでくれば、上郡駅まであと少し。ラストスパートをかけますよ。
そして、本日のゴール「上郡駅」へ辿り着き、本日の旅は終わりを告げました。
まとめ
今回の旅は、忠臣蔵のふるさと・播州赤穂を中心に見て回りました。
坂越の町並みや赤穂御崎、赤穂大石神社、赤穂城跡など素敵な観光スポットが多く、充実した旅でしたね。
特に赤穂御崎は、絶景スポットとしてお勧めです。フォトスポットとしても素晴らしいので、興味を持たれた方は、是非足を運んでみて下さい。
赤穂温泉もあるので、最高のロケーションで1泊して過ごせます。