神社巡りをするに当たり、「〇〇国一宮」の存在に特別感を感じる人は多いだろう。
かつて岡山県の中国山地側にあった美作国(みまさかのくに)の一宮が「中山神社(なかやまじんじゃ)」です。
今では岡山県津山市に鎮座しており、全国的にも珍しい「中山造」と呼ばれる建築様式の本殿が素晴らしい。その威風堂々した佇まいに、とてつもないパワーを感じます。
まさに「これが一宮、これぞ一宮、これこそが一宮!」と叫んでしまうほどですよ。のどかな場所に鎮座する巨大な社殿へ足を運び、ぜひそのパワーを体感して下さいね。
本記事では、美作国一宮「中山神社」の魅力を紹介します。
美作国一宮「中山神社」とは
中山神社(なかやまじんじゃ)は、岡山県津山市一宮に鎮座している神社です。
創建は、文武天皇の時代と古く707年(慶雲4年)までさかのぼります。本殿の規模は大変大きく、全国でも五指に入るほどですよ。また、本殿裏を歩いた先には、平安時代に書かれた「今昔物語集」に登場する猿神社があるのは見逃せません。
鎌倉時代では、後白河法皇が「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」という歌謡集を編集し、その中で中山神社は、安芸の厳島・備中の吉備津と肩を並べるほどの関西における大社に選ばれています。
1511年(永正8年)と1533年(天文2年)の2回にわたり、兵火にあい社殿や宝物、古文書等を喪失しました。その後、1559年(永禄2年)に当時の出雲国を納めていた尼子晴久(あまご はるひさ)によって社殿は再建され今に至ります。
【周辺の見どころ】
中山神社周辺の見どころを、下記記事で紹介します。
中山神社のご祭神・ご利益・所要時間
中山神社のご祭神は、以下の通りです。
- 主祭神 鏡作神(かがみつくりのかみ)
- 相殿神 天糠戸神(あめのぬかどのかみ)
- 相殿神 石凝姥神(いしこりどめのかみ)
鏡作神は、鏡作部(古代の鏡作りの匠たちのこと)の祖神ですね。さらに石凝姥神の御神業を称えた神名を表します。
それでは、石凝姥神とはどんな神様かというと、岩戸隠れの際に八咫鏡(やたのかがみ)を作った鋳物や金属加工の女神様ですよ。神名に「姥」の文字が入っていることから、老人ということが分かるのは珍しいかな。天糠戸神は、石凝姥神の父神ですね。
美作国は製鉄業が盛んで栄えた歴史があり、製鉄業の神様として鏡をつくった石凝姥神がご祭神として祀られてきたのだと思います。
ご利益には「五穀豊穣・事業繁栄・家内安全・商売繁盛など」がある。特に鍛金・冶工・鏡に関する仕事に対して、ご利益が抜群でしょうね。また、力の強い鏡には、魔を祓う力があるというのは良く聞く話なので、厄払いも期待できます。
これらのご利益から、安定した豊かさをもたらしてくれるパワースポットといえるだろう。
拝殿にて参拝するだけならば、所要時間は10分もあれば十分です。けれど、鳥居をくぐり抜け、境内をじっくり一通り見て回るならば、所要時間は30~60分はみておきたい。
本殿の奥から約100mほど先には、境内社の猿神社がありますので、ぜひお詣りに足を運ぶことをおすすめします。(猿神社については、後で説明します。)
【神社詣りに役立つ話】
神社詣りに出かける際、役立つ話を下記記事で紹介します。
中山鳥居から拝殿へ向かう参道に見どころ多し
中山神社の入口となるのが、中山鳥居と呼ばれる大きな鳥居です。普段から鳥居を見なれている人ならば、おそらく「あれ、この鳥居はいつもと比べて何かが違う」と思う方が多いと思う。
実は、両柱を支える貫はありますが、その柱より出た部分(木鼻)が全くない。これが違和感の正体ですよ。このような鳥居は全国的にも珍しく、中山式の鳥居と呼ばれているという。うん、出鼻から実に面白いですね。
この中山鳥居は、1791年(寛政3年)に造られ、高さ8.5m、幅は7m弱ほどある花岡岩製の鳥居。いかにも丈夫そうに見える。
この鳥居をくぐり抜け、参道を歩くのは、ちょっと待ってください。この鳥居の手前から数メートル離れたところには、立派な大ケヤキがそびえ立っています。なので、近付いて見物していこう。
この樹齢800年以上の大ケヤキは、「祝木(いほぎ)のケヤキ」と呼ばれ、名木百選に選ばれたご神木ですよ。
幹回り8.5m、樹高10mもある岡山県下で一番の巨木です。地上5mくらいのところから、枝分かれしており、内部の空洞がとても目につく。
洞内には、小さな祠が建てられ「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が祀られています。まずはご神木に挨拶をしませましょう。
鳥居をくぐり、左側にも立派なムクノキが見て取れる。推定樹齢500年もあり、幹周が5.3m、樹高は23mもある名木百選の1つ。いきなり2本の巨木の出迎えにテンションがあがりますね。これらの巨木は、中山神社の社叢を代表する大木ということ。
道幅が広く玉砂利が敷き詰められた綺麗な参道の奥には、神門や拝殿が見えている。まっすく拝殿に向けて歩いても良いのだけど、参道の沿岸に目を向けて欲しい。
少し歩くと、右手側に天満宮で見かける撫で牛がありました。思わず「なぜ?」と疑問に感じ調べてみると、どうやら菅原道真公の末裔が、太宰府から津山市へ移住したそうです。なるほど、これも縁ですかね。
特に面白いと思ったのは、大きな撫で牛の手前に2匹の小さな撫で牛が並んでおり、2匹の間にはザルが置いてあること。そしてザルの中には、たくさんのお賽銭がありました。
防犯上大丈夫なのか?と思いましたが、神前で罰当たりな行為をする人はいないでしょうね。
子牛と目が合ってしまい、こうなると撫でないわけにはいかないじゃないですか。早速、お賽銭を入れて、小さな撫で牛をゆっくり撫でた次第です。
参道の両側には、樹木が植えられていたり、小さな池があったりする。池の中には、ポツンと苔の生えた岩が浮かんでいる。まるで亀のような形をしているので、亀石と勝手に命名。後から知ったのですが、本当に亀石の名称だったのには、びっくりしましたね。
その他にも忠魂碑や歌碑などがあるので、足を停めて見てみよう。
おっ、2対の狛犬を発見。神域を守護するため立派な体躯です。
神門前にも2対の狛犬がいたのですが、お顔を見るとどう見ても「猿」にしか見えない。狛犬ならぬ狛猿?なのかな。境内社に猿神社があり、猿神伝説が伝わっているので、その関係なのでしょうね。
参道と神門の間には、御手洗川が流れています。淀みなく透き通った水は、この地が神聖な場所であることの証なのだろう。
神門に目を向けると、檜皮葺きの屋根が実に良い味を出している。もともと津山城二の丸にあった四脚薬医門を、明治初頭に移築したそうだ。この神門は、津山市指定重要文化財に指定されています。
神門を抜けると、より空気感がピリッと感じてしまう。目の前には、御垣まで檜皮葺きの屋根が特徴的な入母屋造りの荘厳な拝殿が現れました。この拝殿は、国の登録有形文化財の選ばれています。
大き目な注連縄(しめなわ)や並べられた半円状の木の置物、正面に張り出した屋根のふちが曲線状に反り曲がった「唐破風向拝(からはふごはい)」がGood。
それに内部の格子形に木材が組まれた「格天井」の美しさも素晴らしい。惚れ惚れする面構えに拍手喝采を贈りたい。
中山神社は、元寇などの国家の非常時に勅命により、国家安穏の祈願の祭祀を執り行われた七ヶ国(武蔵・上野・伊豆・駿河・若狭・美作・肥後)の一宮の内の一つです。それほど朝廷にも一目置かれたパワースポットといえます。
呼吸を整えて、ゆっくり参拝しましょう。
【神社仏閣巡りに役立つアイテム】
神社仏閣巡りには、双眼鏡やカメラがあると便利ですね。下記記事では、双眼鏡とカメラについて紹介します。
中山神社の注目すべき見どころを紹介
中山神社では、特に注目したいのが「本殿」と「猿神社」です。それぞれについて紹介します。
「中山造」と呼ばれる建築様式の本殿
中山神社の本殿は、単層入母屋造妻入・桧皮葺きです。
1559年(永禄2年)に尼子晴久が再建し、その後、江戸・明治・大正・昭和時代にかけて大修理が行われましたが、永禄の原形を損なうことなく室町の特徴を今もなお残しています。1885年(明治18年)には、今の位置に移されました。
他に類をみないその造りは「中山造」と呼ばれる建築様式であり、美作国の多くの神社の模範とされたという。
御垣に囲まれているため、近付くことはできませんが、それでも間近で見るその巨大な建築物からは、強力なパワーにみなぎっているのが分かりますね。
右側や左側、裏側など様々な角度から本殿やその周辺を眺めてみよう。さらに少し高台にある境内社の総神殿(惣神殿)がある場所や、御先社へ向かう階段の途中から振り返り、本殿を眺めると全体像がより分かるというものだ。
拝殿や幣殿を含めた全体像は荘重優美であり、その姿に感心させられる。本殿が再建される前の外観は、平入り(一遍上人絵伝)だったそうですが、今の姿を見ると晴久氏は実に良い仕事をしてくれたと思いました。
また、至るどころに彫刻された蟇股(かえるまた)は、室町時代の典型を残しています。
豊富で華麗な彫刻が多い建築物というのは、優れた建築物として価値が高いものですね。1914年(大正3年)に国重要文化財に指定されました。
【神社仏閣の紹介(その1)】
旅先で訪れた様々な神社仏閣を、下記記事で紹介します。
今昔物語集に登場する「猿神社」
境内の奥へ歩いて行くと、こちらの鳥居が見えてきます。これが猿神社への入口ですね。鳥居へ近づくと、これまでの雰囲気とは一変していることに気が付くだろう。
鳥居をくぐると、うっそうとした森が続く。昼間でも薄暗いので、暗いところが苦手な人は足がすくむかも知れません。
猿神社(さるじんじゃ)へ向かう道中には、足元が悪い場所があったりしますので、スニーカーや運動靴など歩きやすい靴を履こう。ヒールのような靴だと危ないですよ。
奥へ向けて歩くこと約100mほどで、赤いのぼり旗と小さな祠が見えてきた。岩山の断崖絶壁にくっついているように建てられた祠が猿神社です。手すり付きの階段を上り、祠前まで移動しましょう。
猿神社は、今昔物語集の26巻第7話に書かれている「中山の猿」というお話に登場する猿の霊を祀っており、牛馬安産の神としてこの地の人々に篤く信仰されてきました。今では、猿田彦神(さるたひこのかみ)が祀られています。
この祠を見て、まず驚くのは奉納されている沢山の小さいな赤い布で作られたぬいぐるみだろう。知らない人が見たら「ギョッ!」とするかも。
これは、牛馬の安産を祈願するときに、子猿のぬいぐるみを奉納する風習なんだとか。昔からの風習が今もなお廃れることなく残り続けるのは、どれだけ地元住民に大事にされているのかが分かります。
ちなみに中山神社の絵馬には、お猿さんの顔を描いたものがあるのも、おそらく猿神社の影響なのでしょうね。
【神社仏閣の紹介(その2)】
岡山県内で訪れた様々な神社仏閣を、下記記事で紹介します。
中山神社の境内社の紹介
中山神社の摂社・末社は、かつて112社もあったそうですが、尼子氏の美作攻略の際に焼失し、今は5社しか残されていないそうですよ。
その内の1つが先ほど紹介した猿神社ですね。主な境内社は以下の通り。
- 猿神社(さるじんじゃ)
- 総神殿(惣神殿)(そうしんでん)
- 国司社(くにししゃ)
- 御先社(みさきしゃ)
残念ながら残り1つがどこにあるのか見つけられなかったので割愛。(ひっとすると、祝木のケヤキに合った小さな祠が5つ目かも知れない?)
総神殿(惣神殿)は、美作国にあった12郡の大小神社の神を祀るという。つまり、かつてあった112社の総社なのかも知れませんね。
1742年(寛保2年)に再建されたもので、以前は御手洗川手前に建てられていましたが、1913年(大正2年)に今の位置に移築されました。社殿は、津山市指定重要文化財に指定されています。
こちらは、国司社ですね。ご祭神は大国主命。社殿は流れ造りで1877年(明治10年)に造営されました。
御先社では、中山の神の祖神を祀っています。社殿の周りにはお稲荷さまの置物があるので、お稲荷さんだということは一目でわかる。
個人的には、社殿がボロボロなのが気になりました。
中山神社の基本情報とアクセス
住所 | 岡山県津山市一宮695 |
電話番号 | 0868-27-0051 |
【アクセス】
- JR津山駅から西田辺方面行きバスに乗り「中山神社前」のバス停で下車してすぐ(バスの乗車時間は約20分)
- JR津山駅からタクシーで約15分
- 中国自動車道「院庄IC」から車で約15分
中山神社の駐車場
中山神社には、無料駐車場が2ヶ所あります。1ヶ所目は、中山鳥居のすぐ隣にあり、普通車が約3台ほど駐車可能です。
その場所から奥に坂道が続いており、その先には普通車が約60台ほど駐車できる広い駐車場があります。
まとめ
古代から重要な神社として脚光を浴びてきた中山神社。全国的にも珍しい「中山造」の本殿や、今昔物語集に登場する「猿神社」など魅力ある見どころは見応えがあります。
製鉄の国と呼ばれた美作国の一宮として、地元周辺の人々に親しまれており、長い歴史を感じさせられる神社ですね。
三種の神器の1つ八咫鏡を作った神様を祀り、五穀豊穣・事業繁栄・家内安全・商売繁盛など豊かな安定をもたらすご利益を授かれるパワースポット。アクセスが決して良い訳ではありませんが、ぜひ足を運んでパワーを授かってみてはいかがでしょうか。