奈良の大仏さまで知られる東大寺。古都・奈良で一番人気の観光スポットですね。修学旅行の定番スポットにもなっているので、学生時代に訪れた方も多いでしょう。
広大な境内には、大仏殿を始め、南大門や二月堂、法華堂など多くの国宝があり、見どころ満載です。
1,300年の歴史を誇り、波乱に満ちた歴史を今に伝える、東大寺の境内をゆっくり歩きながら、可愛い鹿たちを愛でるのも楽しいですね。
本記事では、大仏殿の大仏さまを中心に、東大寺の見どころを紹介します。
世界遺産「東大寺」とは
東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町に位置し、華厳宗の大本山の寺院です。
ご本尊は、奈良の大仏として多くの人たちに知られており、観光の目玉としてたくさんの観光客が訪れます。また、観光名所としてだけでなく、信仰の礼拝対象ですよ。
この大仏さまが鎮座する大仏殿は、木造建築としては世界最大級。大仏さまと共に見応がある。実は、この東大寺の前身は、金鐘寺(こんしゅじ)というお寺。このお寺は、聖武天皇が皇太子を供養するために建立したものですね。
その後、国が管理するお寺(国分寺のこと)として建立し、明治時代までは学僧を養成する大学のような役割を果たしました。
1998年(平成10年)には、「古都奈良の文化財」を構成するものの1つとして、ユネスコ世界遺産に登録され今に至ります。
金鐘寺は、大和国の国分寺だよ。
東大寺が創建された理由
創建は、奈良時代までさかのぼります。724年に聖武天皇が即位した頃は、社会情勢が非常に不安定な時代でした。
具体的にいえば、政争が相次ぎ内乱が行ったり、大地震が発生して、家が倒れ多くの民衆が圧死する出来事が起こる。
さらに国民の3人に1人が亡くなるという天然痘が大流行。まさに世紀末のような世の中だったそうな。
そんなおり、聖武天皇は悟ります。「自分が天皇になって社会が混沌な状態が続いている。これも自分の不徳のせいだ」と、そして仏教の力で国を良くするという鎮護国家(ちんごこっか)の思想をもとに、日本全国に国分寺を建立していくのは、歴史の知るところです。
聖武天皇が行ったことは、以下の2つ。
- 741年 国分寺建立の詔(みことのり)を発令
- 743年 大仏造立の詔を発令
大仏の造立には、聖武天皇のひたむきな思いを感じ取れる。民衆が力をあわせ、人々の思いがこもった大仏を作ることで、心を一つにまとめたかったのでしょう。そうなれば、社会を安定させられると考えていたに違いありません。
749年に多くの人々の力で大仏さまは完成すると、752年にはお経を読んで、大仏さまに魂を入れる法要(開眼供養)を行ないました。
こうして、大仏さまは、奈良時代からずっと私たちの心の支えであり続けています。
【旅に役立つサービスの紹介】
旅先の移動や長期の旅に役立つサービスを、下記記事で紹介します。
奈良のシンボル的な存在、国宝・奈良の大仏とご対面
東大寺の表参道には、食事処や土産物屋が並んでおり、たくさんの鹿が闊歩しています。その表参道を進んだ先にあるのが、東大寺の中核である「大仏殿」ですね。
大仏殿自体が国宝に指定されており、高さ48m・幅57m・奥行き50mの巨大な木造建築物。この堂内に「奈良の大仏」で知られるご本尊がいらっしゃいます。
堂内へ入ると正面に巨大な大仏さまがドーンと現れる。スゴイ迫力だ。
ご本尊の正式名称は、「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」または「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」といい、宇宙そのものを体で表した偉大な存在です。
世界最大の金銅仏であり、主なスペックは以下のとおり。
- 高さは約15m、幅は約12m
- 顔の長さ約5m
- 大仏の重さは約250t、台座が約130t
- 使われた金は400㎏以上、水銀は2.5t
高さ約15mといえば、だいたい5階建てのビルの高さに相当する。創建時は、金メッキが施され、まばゆくばかりに光り輝いていたそうです。
鋳造された大仏さまは、水銀と金を練り合わせたものを塗る。そして、炭火で水銀を蒸発させて、表面に金だけが残る手法が用いられたといいます。
建立当時は、国民の2人に1人にあたる約260万人が造立に関わってたそうなので、国を挙げてのビッグプロジェクトでした。
正面だけでなく、後方や左斜め下、右斜め下などあらゆる角度で大仏さまを拝見してみよう。穏やかなご尊顔を眺めていると、心が安らぐのを感じます。
【神社仏閣の参拝のすすめ】
神社仏閣の参拝に役立つ話を、下記記事で紹介します。
奈良の大仏は、何度も再建された
大仏さまの生い立ちは、決して順風満帆だった訳ではありません。855年におきた地震では、大仏さまの頭部が落ちました。
また、平安時代末期には、平重衡(たいらのしげひら)が平家に歯向かう奈良の寺院勢力に対して、焼き討ちを行ないます。これがいわゆる源平合戦に起こった「南都焼き討ち」です。(南都とは今の奈良のこと)
その際、東大寺や興福寺などの建築物、仏像の大半を焼き尽くされてしまいました。なんとも罰当たりな行為でしょう。
その後、後白河法皇や武家の協力と支援のもと、大仏さまと大仏殿が再建されるのですが、時は流れ再び悲劇が訪れる。
戦国時代には、将軍・足利義輝を殺害した三好三人衆と松永久秀が主導権を巡り、大仏殿の前で争います。世に「東大寺大仏殿の戦い」と呼ばれる戦いですね。その戦いのおり、松永秀長が大仏殿に火をかけ、焼け落ちました。
その後、仮堂が造られたのですが、台風で堂が倒壊すると大仏さまの頭も落ち、雨ざらしの首なし状態が長い間続く。そして江戸時代になり、1684年(貞享元年)にようやく修理が始まります。それから25年が経過したのち、1709年(宝永6年)に大仏殿も再建されました。
このような歴史をたどったため、今に残る大仏さまの部位は、4つの時代に跨っている。詳細は以下のとおりです。
- 奈良時代:胸から台座
- 鎌倉時代:腰部
- 戦国時代:上半身
- 江戸時代:頭部
うん、これは珍しい。大仏さまや大仏殿は、度重なる自然災害や戦火を潜り抜けて今の姿がある。その度に再建されてきたのは、人々の篤い信仰のたまものでしょう。
【神社仏閣の紹介】
旅先では、その土地の神社仏閣へ足を運ぶ機会が多いので、下記記事で紹介します。
柱の抜け穴にチャレンジ
大仏殿の堂内には、大仏さまに向かって右後方の柱に1本の穴が開いています。
穴の大きさは、縦37cm、横は30cmの長方形に近い形。奥行きは110cmほどあるという。実はこの穴、くぐり抜けると無病息災などの厄除けのご利益があるそうですよ。
修学旅行生や外国人観光客から人気が高い。私もチャレンジしようと思ったのですが、コロナの影響で穴が塞がっていました。(シクシク)
またの機会にチャレンジするぞ。
国宝・八角灯篭をスルーしないように
中門から大仏殿まで歩いていくと、その正面には高さ約4.6mの巨大な灯篭が立っています。これが八角灯篭(はっかくとうろう)ですね。
大仏さまのご尊顔をみるため、急ぎ大仏殿の堂内へ向かいたい気持ちは分かるのですが、この八角灯篭は、東大寺創建当初の姿を残す数少ない貴重なもの。
国宝に指定されています。スルーしないで、じっくり見学してみては。楽器をもった菩薩のレリーフが見て取れますね。
鏡池ごしの大仏殿は抜群のフォトスポット
鏡池ごしから眺める大仏殿は、非常に美しい。中門や回廊と合わせた風景は実に壮大だ。おすすめのフォトスポットです。
風が弱い晴れた日には、水面に大仏殿が映り込む。当時もこのような姿がみられたのだろう。奈良時代から続く美しい風景を堪能しましょう。
ちなみに、この鏡池ごしの大仏殿は、修学旅行生の記念撮影スポットとして有名。私が訪れた日も記念撮影をしていました。
【カメラに関する話】
カメラを使って記憶にのこる1枚を撮ってみよう。下記記事では、カメラに関する話を紹介します。
これは大きい、大仏さまの手のレプリカ
南大門を入った左側にある東大寺ミュージアムの入り口付近には、大仏さまの手のレプリカがあります。この手の大きさは、実物と同じですよ。
右手を突きだし、左手の手のひらを上に向けている。その左手の大きさは、手首から中指の付け根までが約1.8m、中指の付け根から先端までが約1.5m。
間近で見れば、その大きさを実感できますね。
【見所①】金剛力士像が護る「南大門」
東大寺の参道を歩いていると、その真ん中に堂々とした歴史を感じる国宝・南大門が建っています。
創建当時のものは、平安時代の台風で倒壊しましたが、今あるのは鎌倉時代のもの。2重屋根構造の重層門は、実に大仏殿へ向かう参道に相応しい。
高さは約25mもある国内最大の山門です。中国宋代の建築様式を取り入れている。
この南大門で有名なのは、門内左右に安置されている高さ8mを越える金剛力士像(仁王像)ですね。
1203年(建仁3年)に作られて以降、約800年以上も参拝者を出迎えてきました。憤怒の表情や盛り上がった筋肉は躍動感にあふれ迫力満点。
2体一対でにらみを利かせ、東大寺をお護りしています。
ちなみに、南大門周辺には、とりわけたくさんの鹿が集まってくる。恐らく、観光客がくれる鹿せんべいがお目当てなのだろう。
南大門と鹿を一緒に撮るベストスポットので、一緒に記念撮影をしてみてはいかがですか。
【見所②】お水取りで知られる「二月堂」
大仏殿の裏にある裏参道を歩いていくと、石畳の道が続き、その先には長い階段が見えてきます。
その階段を上った先にあるのが国宝・二月堂(にがつどう)です。
二月堂という名は、毎年3月(旧暦の2月)に修二会(しゅにえ)がここで開かれることから、その名が付きました。752年に始まって以来、現在まで約1,300年も一度も途絶えたことがないという。そのため、「不退の行法」ともいわれている。
そもそも修二会とは、古い年の穢れを払って新しい1年の平安を祈る伝統行事。その際、十一面観音にお供えするお香水(こうずい)が汲み上げられることから「お水取り」の名が広まりました。
二月堂には、大きな釣灯籠や提灯が並んでおり、その独特の景観が実によい。
また、高台のお堂からは、奈良市を一望できます。
この景色には、長い階段を上ってきた疲れが吹き飛びますね。
季節ともに移り変わる風景を満喫しましょう。
【見所③】東大寺現存最古の建物「法華堂」
法華堂(ほっけどう)は、東大寺に現存する数少ない奈良時代の建築物です。毎年3月に法華会(ほっけえ)が開かれていたことから、法華堂と呼ばれている。
一般的には、三月堂(さんがつどう)として知られ、国宝に指定されています。
東大寺は2度の大きな火災に見舞れましたが、法華堂は無事であったため、東大寺最古の建物となりました。
この建物の屋根に注目すると面白い。建物の左側は奈良時代に建てられた正堂。右側が鎌倉時代に建てられた礼堂ですね。
もともと別の建物を一つに改築したため、このように融合された次第です。
堂内には、奈良時代に作られたご本尊の国宝・不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのんぞう)をはじめ、10体の仏像が安置されています。
【見所④】東大寺ミュージアム
東大寺ミュージアムは、東大寺に受け継がれてきた寺宝を展示するミュージアムです。館内は、撮影禁止なので気を付けて下さい。
メイン展示室は、第1室から第5室までで、各フロアごとにテーマを設けています。
釈迦の生まれたばかりの姿を表した「誕生釈迦仏立像」や、天平彫刻を代表する法華堂の「日光・月光菩薩立像」など国宝・重要文化財クラスの仏像が見学できる。
それに、東大寺の歴史や意義を深く学べるので、まずはこのミュージアムに足を運んだ後で、各お堂へ向かわれるとよいでしょう。
また、併設されたミュージアムショップでは、おみやげにピッタリな東大寺オリジナルグッズを販売しています。
滋賀の大仏になっていたかも知れない史実
聖武天皇は、740年~745年の5年間で4回も遷都を行なっています。
遷都の場所は以下のとおり。
- 平城京(奈良県)
- 恭仁京(京都府)
- 難波京(大阪府)
- 紫香楽宮(滋賀県)
- 平城京(奈良県)
恐らく国を安定させようとした結果だと思いますが、関係者やそこに住んでいる人々からすると、さぞや大変だったのは想像に難くないですね。
度々の遷都に反対する人も多く、最終的には平城京に落ち着きました。
743年に大仏造立の詔が発令された時は、紫香楽宮(しがらきのみや)が都であったため、作業もこちらで進められていたそうです。
その後、再び平城京に戻すことになり、大仏さまも平城京で造りました。
もし、平城京に遷都しなければ、今ごろは「滋賀の大仏」として歴史に名を残していたでしょう。
東大寺の基本情報とアクセス
住所 | 奈良県奈良市雑司町406-1 |
電話番号 | 0742-22-5511 |
拝観時間 | 【大仏殿】4月~10月 7:30~17:30、11月~3月 8:00~17:00 【法華堂・戒壇院千手堂】 8:30~16:00 【東大寺ミュージアム】4月~10月 9:30~17:30、11月~3月 9:30~17:00 (最終入館は閉館の30分前) |
定休日 | |
拝観料 | 大仏殿・法華堂・戒壇院千手堂・東大寺ミュージアムでは、それぞれに拝観料金が必要 大人 600円(550円) 高校生 600円(500円) 中学生 600円(400円) 小学生 300円(200円) 30名以上で団体割引きあり、( )内の金額は割引き後の拝観料 |
【アクセス】
- 近鉄奈良駅から、徒歩約20分
- JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」で下車後、徒歩約5分
- 名神高速道「京都南IC」から京奈和自動車道を経由して車で約60分
東大寺の駐車場
東大寺には、専用駐車場はありません。近隣の駐車場をご利用ください。
2023年現在、東大寺の公式ホームページでは、以下の駐車場をご案内していました。
- GSパーク東大寺西大門駐車場(有料)/奈良市押上町6-1
まとめ
東大寺は、奈良で一番人気の観光スポットであり、奈良の大仏で広く知られています。
そのため、日本国内だけでなく、海外からも多くの観光客が訪れる。1,300年の歴史を誇る、古都の魅力が詰まったこの地を歩き、当時を偲んでみてはいかがでしょうか。
奈良公園周辺には、東大寺だけでなく、興福寺や春日大社、若草山、夢風ひろば、奈良国立博物館など多くの見どころが集まっている。
丸1日かけて、ゆっくり過ごすのをおすすめします。