神仏習合を知っていますか。
いつから始まったが定かではありませんが、日本では神道と仏教信仰が融合して一つの信仰体系に再構成されていた時期がありました。
この再構築された現象の事を神仏習合と言っています。
今回ご紹介します「餘慶寺」では、神仏習合の名残が色濃く残る貴重なお寺です。
なぜなら、明治政府が神仏分離を言い渡す約200年前には、時の備前岡山藩主であった池田光政公により既に寺院整理が行われていました。
そのため、明治政府が推進していた仏教に関する仏閣、仏像、経典などを捨て去る廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響を大きく受ける事がなかったのです。
そのため、今でも寺と神社が共存しています。
また、餘慶寺ではマンダラ巡りを体験することができます。
マンダラ巡りを体験して大日如来のご加護を頂きましょう。
それでは、餘慶寺で体験した出来事をお話します。
東向き観音で知られる餘慶寺を訪ねて
本堂の参拝と東向き観音の言い伝え
眼下には吉井川を見下ろせる小高い山の上に上寺山餘慶寺があります。
749年(天平勝宝元年)に報恩大師が寺院を創始したと伝えられる天台宗の古刹です。
かつては、日待山日輪寺と呼ばれ、備前48ヶ寺の一つとして栄えました。
平安時代になり、慈覚大師が再興し本覚寺と改めたそうです。
その後、近衛天皇の勅願所となってからは上寺山餘慶寺と改めて今に至っています。
宇喜多氏、池田藩主の尊崇と保護の元、多いに栄えました。
ご本尊は、千手観世音菩薩。
山号は上寺山(うえてらさん)です。
境内の案内板を見ると、それなりに敷地が広いことがわかります。
まずは本堂へ向かいました。
とても古い歴史を歩んできた威厳のような物を感じます。
本堂手前の階段を一歩ずつ丁寧に上がった後で、千手観世音菩薩へお祈りを捧げました。
この千手観世音菩薩は、この本堂が東側に向いているため、東向き観音と呼ばれています。
また、この本堂は観音堂と呼ばれていて、国指定重要文化財に登録されています。
1570年(永禄13年)に建立して、1714年(正徳4年)に再建したそうです。
室町末期の密教本堂の特徴を色濃く残しています。
先ほど本堂で参拝した東向き観音には、岡山藩主池田継政公の有名な言い伝えがあります。
継政公が江戸の在勤中に重い病に伏せられた時に、夢枕に千手観音が現れたそうです。
千手観音は「我は備前国の東向きの観音である。病苦を解消したければ悩む心を祈る心に改めて、我を厚く祈れ」(文章は現代風にアレンジしています。)と告げたそうです。
そこで、備前の国中を探し回り、上寺山に東向きの観音様を見つけました。
その観音様に祈願すると、病気が直ぐに治ったと言われています。
この事について感謝した継政公が直筆で奉納したという額(看板のこと)があります。
【神社仏閣の紹介】
私は旅の道中で良く神社や寺院へ立ち寄り参拝しています。また、御朱印も頂いていますね。私が訪れたことのある神社仏閣について下記記事でお伝えします。
本堂周辺を散策する
本堂参拝後に向かったのは、鐘楼ですね。
見て下さい、立派な鐘楼がありました。
鐘楼は、1571年(元亀2年)に明人(今の中国人)が豊後国大分郡府中(今の大分市)の惣道場に寄付した物と言われています。
尚、鐘楼の隣には地蔵堂がありました。
また、本堂周辺には蓮の花が咲いていて見る人の心を癒してくれます。
可愛らしいですね。
奥の方へ進むと八角堂があったため、中へ入ってみましょう。
天井には様々な花の模様が描かれていました。
それなりに見ごたえがあります。
他にもいろいろと見てまわれる所がありますね。
餘慶寺のマンダラ巡り
境内にて、その存在感を露わにしている三重塔へ向かいます。
この三重塔を使ってマンダラ巡りを行なうのです。
マンダラ巡りの手順については、近くにあった看板を見て確認しました。
手順はこの三重塔を時計回りで3周します。
その際、四方にある蓮台石へ乗った後で、塔に向き合い合唱礼拝して「オン バサラ ダトバン」と唱え念じ所願成就を祈ります。
ポイントとして、全ての人は仏になる性質を持っているため、蓮台石へ乗り、自分自身の中に存在する仏様の事を思いながらお参りする事です。
この看板には、参拝後にお参りをした証として納経所にて特別御朱印を頂くことをお勧めしていました。
この蓮台石の上に乗った後で、文言を唱えて合唱礼拝を行い、祈りを捧げて塔の周りを回ったのです。
蓮台石の形は、方角により若干異なっています。
これにて、先日西大寺で行ったマンダラ巡りと合わせて、私の中でマンダラが完成したのです。(喜)
尚、西大寺で行ったマンダラ巡りについては、下記記事の中で紹介しています。
薬師堂へ赴く
マンダラ巡りを終えると、薬師如来を祀る薬師堂へ参拝を行いました。
薬師如来は薬壺を持ち病気を治す仏様として知られていますね。
旅を続けて行くには健康が第一です。
病気にならないようお祈りを捧げました。
また、境内には可愛らしい地蔵様もいます。
名前は「夢咲く地蔵」と言うそうです。
そっと頭をなでると癒されるようですね。
試してみると確かに少し癒された気がします。
ブラシーボ効果ではありませんよ。(笑)
豊原北島神社へ向かう
餘慶寺に隣接して「豊原北島神社」がありました。
行ってみましょう。
神社へ向かう道中には、凛々しい狛犬たちがいます。
外敵から神社を護っているのですね。
餘慶寺では備前岡山藩主の池田光政公により寺院整理が進められ、餘慶寺と豊原北島神社を区別したそうです。
その結果、明治政府が進めた神仏分離の影響を大きく受けることがありませんでした。
江戸時代と変わらない風景を今でも見ることができて、うれしいですね。
夜の侵入は禁止ですよ。注意しましょう。
豊原北島神社は634年に比咩大神(ひめおおかみ)を祀ったのが、この神社の創建とされています。
ご祭神は、豊原北島神、応神天皇、神功皇后、比咩大神です。
拝殿の前で立ち止まり、神様へ祈りを捧げました。
この神社には、岡山県内で最も完全な形で残した大鎧である「色々威大鎧」(いろいろおどしおおよろい)が保存されていて、国の指定重要文化財に登録されています。
この大鎧は、南北朝時代に作られたとされており、源平藤戸の合戦で活躍した佐々木盛綱の物と言われています。
弁天池で弁財天様へお祈りしよう
豊原北島神社から少し離れた所には、弁天池がありました。
その池の中心には小さな社が建っています。
この社には弁財天様を祀っているのです。
早速、この社の前へ向かい、お祈りを捧げました。
直ぐ近くにはベンチがあるので、散策に疲れたら休憩しましょう。
餘慶寺の基本情報とアクセス
住所 | 岡山県瀬戸内市邑久町北島1187 |
電話番号 | 086-942-0186 |
営業時間 | 8:00〜17:00 |
【アクセス】
- JR西大寺駅からタクシーで約10分
- 最寄り駅のJR大富駅からでは、約1kmの距離があり徒歩圏内
- 岡山ブルーライン西大寺ICから車で約10分
餘慶寺の駐車場
普通車は20台、バスは2台ほど駐車できますね。
まとめ
神仏習合が今でも色濃く残る餘慶寺は、それなりに広い敷地面積があります。
境内をゆっくりと散策して時間をかけて見てまわるのが楽しいですね。
神と仏の両方にお祈りを捧げ心の安寧を図ってみましょう。
【旅に役立つアイテムやサービスの紹介】
旅先で役立つ様々なアイテムやサービスを、下記記事で紹介します。