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絶景・観光スポット紹介

美しい建築模様の日本遺産「閑谷学校」のスゴサに触れよう

「閑谷学校」(しずたにがっこう)について知っていますか。

この学校のことは、知れば知るほど驚くスゴサがあります。

閑谷学校は、江戸時代前半に完成した現存する世界最古の庶民のために作られた公立学校です。

その建築物と庭園の美しさには目を見張るものがあり、訪れる人を楽しませてくれますね。

本記事では、美しい閑谷学校を紹介すると共に、閑谷学校のスゴサに迫ります。

本記事は、以下に該当する人向けです。

  • 世界最古の庶民のための公立学校について興味がある
  • 江戸時代の公立学校について知りたい
  • 閑谷学校に興味がある

閑谷学校とは

閑谷学校は、江戸時代前期の1670年に岡山藩主 池田光政(いけだみつまさ)により日本で初めてとなる「庶民が学ぶ学校」として設立された経緯があります。

岡山県備前市閑谷に位置しており、深き谷の地に建築されました。

閑谷学校の正門前です

閑谷学校では、地方のリーダー育成を目指して、庶民の子弟や武士の子弟、他藩の子弟も学ぶことができたと言われています。

現在の日本の歴史を形作る有能なリーダー達を輩出してきており、日本の近代化の原動力になりました。

2015年4月に「近代日本の教育遺産群」として最初の日本遺産に認定されたのです。

閑谷学校以外に最初の日本遺産に選ばれたのは、「旧弘道館」「足利学校」「咸宜園(かんぎえん)」があるよ。

閑谷学校ができた経緯とは

当時の岡山藩主 池田光政は学問好きの殿様として有名でした。

光政は、岡山藩の領地内で池田家墓所に適切な場所の探索を家臣の津田永忠に命じます。

命を受けた永忠が探し当てた一つが閑谷学校になる用地でした。

その用地は、谷合を分け入るようにたどり、一番奥まった場所にあるポッカリと空いた谷間の広がる自然豊かで静かな盆地であり、その光景を見た光政は、「ここは墓所ではなく、学校にうってつけの場所だ」と直感したそうです。

その後、永忠に命じて閑谷学校を建築させた経緯があります。

池田光政は、江戸中期の三名君の一人として、儒学における仁政の実現を目指し、飢餓救済や新田開発、藩政改革などにより岡山藩の基礎を固めた人物だよ。

家臣の津田永忠は土木の天才であり、閑谷学校や新田開発、後楽園など多くの土木事業に従事し、多大な功績を残しているね。

世界最古の公立学校、閑谷学校のスゴサを見てまわろう

美しすぎる正門を眺めて

閑谷学校へ到着して、道なりに入場券売場へ向かうと目にするのは、美しすぎる正門です。

備前焼で作られた瓦葺の屋根が美しく、足を止めてしばらくの間眺めていました。

屋根の上に乗っているシャチホコが、何気に存在感をアピールしていますね。

この正門は別名「鶴鳴門」とも呼ばれていて、門の開け閉めをした時に出る音が、まるで鶴の鳴き声に似ていることが名前の由来になっています。

備前焼の瓦が印象に残る、美しい講堂

閑谷学校のほとんどの建築物に言えることですが、備前焼の瓦葺の美しさが目を引きます。

特に閑谷学校を代表する中心的建造物の講堂は、必ず立ち寄りたいスポットです。

創建当初は、茅葺でしたがその後改築され、現在の堅牢な備前焼の瓦葺に葺き替えられました。

土木の天才であった津田永忠の工夫が至るどころに光っている講堂には、目を見張るものがあります。

まず目につくのは、何と言っても備前焼の瓦葺でしょう。

一般的な瓦の寿命は60年と言われていますが、撥水性と耐久性に優れている備前焼は、300年が経過した現代でもほとんど割れていません。

また、壁土を使わずに木材に引っ掛けて瓦を葺いていることで、土の風化を防ぎます。

そして、基礎の部分には、和風のセメントを使用することで、地面からの湿気を防ぎ、長い年月が経過しても腐敗することがないよう様々な工夫を施しているのです。

そのため、現在でもその美しい姿を訪れた人たちに楽しませてくれます。

講堂では、1と6の付く日に儒教の講義が行われていたそうです。

講堂の内部は、十本の欅の丸柱で支えられた内室と、四方を囲む入口で構成されています。

また、拭き漆の床は、生徒たちによって良く磨かれており、火灯窓(かとうまど)から入る陽光が柔らかく反射されていますね。

多くの生徒が、この室内で学問を勤しんでいたことを想像して、思わず襟を正す思いがしました。

尚、室内は立入禁止なので気を付けましょう。

講堂から習芸斎や飲室へ移動でき、その途中で見かけた見事な梁の太さと形状に見とれてしまいました。

習芸斎では、3と8が付く日に「五経」や「小学」、月初には農民も聴講できる「朱文公学規」の講釈が行われていたそうです。

飲室は、教師と生徒が湯茶を喫した休憩室として使われていました。

まさに「学問の殿堂」に相応しい講堂ですね。

普段は立ち入ることができない講堂の室内ですが、閑谷論語塾のイベントでは、室内へ入ることができる貴重な機会があります。

周りの景観にマッチしている石塀

閑谷学校を訪れて、最初に目に付くのは校門と石塀です。

特に石塀は、全国的にみてもとても珍しいかまぼこ型の形をしており、現代でも表現することが困難と言われている美しいカーブの曲線が特徴的ですね。

この石塀は、学校全体を取り囲むように配置されており、高さ2m、幅1.8m、全長765mもあります。(隣接する椿山まで含めると石塀の総延長は846mまで伸びますね。)

この石塀のスゴイところは、300年がたった今でも隙間から草1本も生えてこないことです。

そのためには、内部に詰められている石を良く洗浄して植物の種や土を徹底的に洗い流し、隙間なく石を密着させることで草木の成長に必要となる日光を差し込めないように工夫しました。

ここでも、天才 津田永忠の手腕が光ります。

樹齢100年を越える2本の楷の木が育つ美しい庭園

閑谷学校の敷地内では、広々とした広大な芝生広場が広がっており、多くの建築物が建てられています。

また、樹齢100年を越える大きな2本の楷の木が特に目を引きますね。

この楷の木は、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り、苗から育てた内の2本です。

特に紅葉の時期には、赤く色づけされた楷の木の美しさは、多くの観光客の目を楽しませてくれます。

【庭園・公園あれこれ】

閑谷学校のような綺麗な庭園は、散策しているだけで気分が良くなりますね。そんな素敵な庭園や公園を下記記事で紹介します。

火災対策に活躍、防火山

木造建築にとって一番怖いのは火災です。

その火災対策の一環として、閑谷学校では何と人工の山が作られ「火除山」と呼ばれています。

右側には写っているのが人工山です。

ここでも天才 津田永忠のスゴサを見る事ができますね。

防火のためにわざわざ山を作ると言う発想がスゴイですね。

この火除山のおかげで、実際に1847年(弘化4年)に起きた学房からの失火で、西側の建物は焼失した時も東側の建物への延焼はなかったと伝えられています。

閑谷学校の創始者を祀った閑谷神社

閑谷学校の創始者たる池田光政を祀った神社が「閑谷神社」です。

1686年(貞享3年)に池田光政の遺徳を偲んで建立されました。

江戸時代には「東御堂」や光政のおくりなを取って「芳烈祠」とも呼ばれていましたが、1875年(明治8年)に祖父輝正、父利隆を合祀し、閑谷神社と改称された経緯があります。

備前焼の瓦には、池田家の家紋である揚羽蝶の紋があることが見て取れますね。

また、本殿内には御神体として光政の座像が安置されています。

孔子像を祀った聖廟

閑谷学校では儒教を広めており、そのため最も重要な施設として、一番高い場所へ金色の孔子像を安置した聖廟が作られました。

年に数回、特別公開が行われていますので、それに合わせて訪れて見るのも良いでしょう。

特別公開は、毎年1月4日に行われる「読初の儀」や10月第4土曜日に行われる「釈菜」などがあるよ。

孔子像は、朱子学者の中村惕斎に委託して、京都の名工が鋳造した金剛像であり、椅子に腰掛けた物で高さ90cmあります。

資料館へ行こう

1905年(明治38年)に学房跡に建設されたのが「私立中学閑谷黌(しずたにこう)」でした。

現在では、その本館部分を資料館として一般公開されています。

本館の外観は、明治時代に建てられた木造大型建築の特徴が見て取れますね。

この資料館の内部は1階と2階に分かれており、元教室を利用して様々な展示品が並んでいます。

主な展示内容には以下の物があり、とても興味深く見学することができました。

  1. 閑谷学校の創設と沿革
  2. 池田光政と津田永忠
  3. 閑谷学校の教育
  4. 聖廟と釈菜
  5. 閑谷学校の文化財
  6. 岡山藩学校の教育
  7. 学制頒布後の閑谷学校

尚、展示品の撮影は禁止になっています。

【資料館・博物館あれこれ】

資料館や博物館では、知らないことを楽しく学べますね。下記記事では、そんな博物館などを紹介します。

論語の小径と黄葉亭

閑谷学校から少し離れたところにある論語の小径を散策して黄葉亭を目指しましょう。

論語の小径の沿岸には、孔子とその弟子のやり取りを記録した書物である「論語」の一文がたくさん掲示されていました。

例えば「子曰く、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。」という言葉は有名ですね。

意味は「やりすぎは足りないと同じで良くない」であり、現代でも十分当てはまります。

その他にも聞いたことがある言葉がたくさん掲示されており、何千年時が経とうが基本的に人間の在り方は変わらないと言うことが良くわかりますね。

もし時間があれば読みながら歩くことをおすすめします。

論語の小径を歩いていると、津田永忠の邸宅跡を見つけました。

邸宅跡はそれなりに広く、かつてここに邸宅が建てられていたことを想像すると、永忠の晩年は静かに暮らしていたのでしょう。

今では邸宅の跡地に石碑が建てられ、当時のことを表す唯一の物になっています。

津田永忠の邸宅跡から少し歩くと、渓流沿いに黄葉亭が見えてきました。

黄葉亭は、閑谷学校へ訪れた人をもてなす茶室です。

また、教師や生徒、儒者、文人までもが茶を楽しんだ憩いの場でした。

当時、この黄葉亭で多くの人たちが親交を結んでいた事が容易に想像できますね。

閑谷学校のかつての校門を発見

閑谷学校から南へ1kmほど離れた所には、閑谷学校の石門跡がありました。

これは、閑谷学校のかつての校門であり、ここから先の土地は全て閑谷学校の敷地であったことを表します。

今では、地上から約1mぐらいしか石門が見えませんが、江戸時代には約3.3mは見えていたそうです。

当時は閑谷学校へ通っていた子供たちは、この石門を通り抜けて通学していました。

閑谷学校の基本情報とアクセス

住所岡山県備前市閑谷784
電話番号0869-67-9900(保存会事務局)
0869-67-1436(史跡受付)
営業時間9:00~17:00(入門は16:00)
定休日年末(12/29~12/31)
入館料大人400円、小中学校100円、65歳以上200円

【アクセス】

  • JR吉永駅からタクシーで約10分(市営バスの場合は約12分)
  • JR備前片上駅からタクシーで約13分(市営バスの場合は約15分)
  • 備前ICから車で約15分

閑谷学校の駐車場

閑谷学校の入口前に無料駐車場があり、駐車場に隣接している広場にも駐車できます。(普通車500台、大型5台)

まとめ

閑谷学校は、現存する世界最古の庶民のために作られた公立学校であり、いろいろと見所は多いです。

美しい建屋や庭園などをじっくりと見て周っていると、いつの間にか時間が経っていますね。

教育は優れた人物を育成するために必要不可欠な物であり、早くからそれに目を付けていた池田光政の志が現代でも受け継がれた結果、今の日本があるのでしょう。

閑谷学校へ訪れると、教育の重要さをより一層感じます。

【サイクリストの管理人からの一言】

教育は重要ですが、体験することも重要ですね。ロードバイクへ乗り続けていると人生に様々な影響を与えますので、下記記事で紹介します。

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