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旅の体験談

松江城の謎、明智光秀の夢を砕いた城主「堀尾吉晴」と人柱伝説

松江城の入口前

お城には、様々な逸話や伝説が語り継がれています。その中の一つに国宝「松江城」の人柱伝説がありますね。

人柱とは、人身御供の一種であり、建造物の工事の際、災害や敵襲などで破壊されないことを神様へ祈願するために人を生きたまま埋める風習です。

今でこそそのような風習はありませんが、江戸時代まで普通に行われていました。

松江城には、初代城主となった堀尾吉晴(ほりおよしはる)を始め、次々に城主が急逝したという話が残されています。

これは、築城の際、人柱となった娘の呪いなのでしょうか。

本記事では、松江城の謎「人柱伝説」について考察します。

本記事は、以下に該当する人向けです。

  • 逸話や伝説などの話が好き
  • 松江城の人柱伝説はどんな内容なのか知りたい
  • 松江藩で人柱の伝説が生まれた理由に興味がある

国宝「松江城」とはどんな城

松江城
松江城

松江城は、島根県松江市に位置し、日本国内で12城しか残っていない現存天守の1つです。

現存天守は、江戸時代またはそれ以前に建てられた城で、壊れることなく今の世に残す貴重な存在なのは言うまでもありません。

1607年に築城が開始され、1611年に完成した松江城。

関ケ原の戦い後、出雲と隠岐を所領した堀尾吉晴(ほりおよしはる)によって、築城されました。

そもそも城とは、防衛施設であり軍事基地なのです。美しい外観を持つ松江城も例外ではなく、様々な戦う仕掛けが作られています。

明治時代の廃城令で松江城は廃城されましたが、その際、有志の方たちの努力の末、天守だけは守られたそうです。

2015年7月には、国宝に指定されており、多くの観光客が訪れています。

松江城を築城した「堀尾吉晴」はどんな人

堀尾吉晴の像
松江城の入口前にある堀尾吉晴の像

堀尾吉晴(ほりおよしはる)は、今の愛知県に産まれ、織田信長に仕えていたと言われています。

そして、木下秀吉(豊臣秀吉)の家臣となり、秀吉の下で全国各地を転戦して着実に出世を重ねていきました。

秀吉の死後は、徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いで功績を残したそうです。戦国時代の超有名人である信長・秀吉・家康と関わっているなんて凄い経歴ですね。

1582年の備中高松城攻めでは、敵将「清水宗治」の切腹を見届けた後で、本能寺の変で有名な明智光秀と戦いました。

備中高松城攻めの跡地
備中高松城攻めの跡地

その戦いは「山崎の戦い」と呼ばれており、戦国マニアの方ならば良く知っているでしょう。

この戦では、秀吉軍の鉄砲頭を務め、敵将を討ち取るなどの武勲を飾り勝利を納めました。

その後、関ケ原の戦いでは、徳川家康の東軍について武勲を重ね、その功績から出雲・隠岐24万石の大名となった次第です。

ここまで聞くと、時流を読むのにたけ、優秀な武将であったことが伺い知れますね。

性格は温厚であり、仏の茂助(茂助は通称)と呼ばれていたという。また、戦になれば勇敢な武将へと変貌を遂げ、鬼の茂助と呼ばれることに。

今でいうと、車のハンドルを握ると人格が変わるのような人なのかも知れません。

堀尾氏は、1611年に松江城が完成したのを見届けて、67歳で死去しました。

堀尾家断絶、松江城の城主は次々と亡くなった謎

松江城の築城と人柱

松江城の石垣
松江城の石垣

松江城は築城の際、本丸や天守台の石垣工事がとても難航していました。

そこで、工事の成功を祈願するために人柱を立てることになります。

当時は今と違って人命が軽かった時代であり、人柱を立てる発想が普通にありました。今の時代で考えると「なんて非科学的な」「非人道的で許せない」と思うもの。

戦国時代の大物である毛利元就は、人命を尊重し人柱の代わりに「百万一心」の文字を石に書いて埋め、築城を成功させた話がありますね。

百万一心の石碑
郡山城跡にある百万一心の石碑

その話を知らなったのでしょうか。それとも知っていて無視したのでしょうか。

今となっては分かりませんが、人柱の話を立ち上がった時期が折しも盆踊りの時期と重なっていたことが悲劇の始まりでした。

吉晴の家臣たちは「盆踊りで一番踊りがうまく、美しい娘を連れてきて人柱にしよう」と話し合って決めてしまい、何の罪もない若い娘をさらったそうです。

そして、生きたまま人柱にしたという。若い娘の怒りと悔しさは、さっしてあまりあるでしょう。

松江城を襲う怪異と盆踊り

松江城の周辺
松江城の周辺

松江城の天守ができた喜びもつかの間、完成直後に行われた盆踊りでは、様々な怪異現象に見舞われました。

それは、天守が不気味な音をたてて揺れるのです。

また、どこからか女の悲しげなうめき声が響いてきます。こうなると、誰しも思い浮かべるのが人柱になった若い娘のこと。

すると、誰となく「人柱にされた娘の怨霊に違いない!」と言い始め、その噂は松江城下に瞬く間に広がったのです。

そうなってしまえば、盆踊り何てやってる場合ではありません。以後、盆踊りを踊らなくなりました。

そして、それは今の時代にも引き継がれており、松江市内の一部では盆踊りをしない習慣が残っています。

人柱にされた娘の呪い?で城主が急逝

松江城
松江城

松江城を襲ったの怪異だけではありません。人柱にされた娘の呪い?は、城主を苦しめ始めます。

まずは初代城主となった吉晴は、松江城完成後に亡くなりました。吉晴は当時としては長生きした方なので、寿命だったかも知れませんね。

しかし、続けざまに堀尾家に不幸が訪れます。

吉晴の息子の忠氏は、マムシに咬まれ、その毒で命を落としたという。忠氏の息子の忠晴が後を継ぎますが、早逝してしまい堀尾家は断絶の憂き目に。

その後、京極家の京極忠高が城主になりましたが3年後に急逝。たった1代でお家断絶となりました。ここまで不幸が続くと、偶然とは思えないですね。

何度も同じような不幸が立て続けに起こるのは、何かしら原因があり、そう考えるのは当然です。

当時の人々の感覚では「人柱にされた娘の呪い」が一番しっくりくるのでしょう。

呪いの終焉

宍道湖の夕日
宍道湖の夕日

意外な形で娘の呪いが解決します。

京極氏の後を継いだ松平直政が城主になると、今度は天守の最上階に娘の亡霊が現れることに。それは、何度も直政をひどく悩ませたという。

ある時、直正は意を決して娘の亡霊に「お前は何ものか」と問うたところ、「この城の主です。この城は誰にも渡さない!」と返事がかえってきたのです。

そこで、直政は一計を案じ「コノシロ(この城)を与えよう」と言って、宍道湖で取れた魚のコノシロを祈祷櫓に供えて祀ったところ、2度と女の亡霊は現れなくなりました。

呪いの終焉は、オヤジギャクだったのです。

どこかの偉いお坊さんの祈祷や今でいう霊能者たちの不思議な力を借りた訳でなく、オヤジギャクで解決する呪いっていたったい何?と思われる方も多いのでは。私もこの話を初めて聞いた時は、そう思ったものです。

何にしても、その後松平家は、10代に渡り明治維新まで続きました。そして、現在でも祈祷櫓の下では、毎年供養祭を行っています。

【宍道湖あれこれ】

宍道湖は有名な夕日スポットですね。また、サイクリングで一周するのも楽しいですよ。下記記事では、宍道湖について紹介します。

本当に人柱はあったのか

石垣

人柱伝説には、他の言い伝えがあります。

人柱にされたのは旅の虚無僧であり、自ら進んで人柱になったそうです。

この虚無僧は、吉晴の旧友であり、虚無僧の指示で石垣の崩落部分を掘ったところ、槍の貫通した頭蓋骨がでてきたため、吉晴は祠を建てて丁重に供養したという。

虚無僧は「それだけでは不十分、自分が人柱になるので息子を仕官させてほしい」と吉晴に願い、自ら人柱になったとか。

また、別の話では虚無僧が奏でる尺八音があまりにも不気味なため、捉えて人柱にした話も伝わっていますね。

娘や虚無僧の人柱の話ですが、時代が進み今では城郭建築で人柱が立ったと証明されたケースはありません。

実際には、人形やお札などで代用されたそうです。松江城でも人柱を裏付ける史料は確認されていません。

小泉八雲の像
小泉八雲の像

怪談で知られる作家の小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)は、妻のセツから松江城の人柱の話を聞いて書き記しました。

1894年(明治27年)に出版した英文の紀行文「知られぬ日本の面影」にその話が登場します。

そのため、明治時代に人柱の話が広まったのではないでしょうか。

盆踊りを禁止するために人柱伝説を利用した

塩見縄手
塩見縄手

松江城の人柱伝説は全くなかったと仮定すると、なぜこのような話が生まれたのが気になりますね。

そこで、私はこの話に出てきた「盆踊り」に注目しました。

性に対して非常に大らかだった明治以前では、盆踊りと性愛の関係は切っても切り離すことができません。

盆踊りの場は、若者たちにとって、出会いの場として機能した一面があります。出会ったばかりの男女が、こっそりと会場を抜け出した後で、一夜を共にするのは当たり前。今で言う「リアル出会い系」です。

更に男性が女性の家へ性交目的に夜這いも広く行われていたという。きっと、松江藩も風紀の乱れに頭を悩ませていたのでしょう。

そこで、人柱とからめて盆踊りをタブーにしたのではないかと考えました。

実際そうであったかは知る由もないですが、当たらずといえども遠からずと言えるのではないでしょうか。

明治時代には「風紀を乱す」との理由で、盆踊りの取り締まりが行われ、一時盆踊りが衰退した歴史があるよ。

ロマンある伝説】

今回紹介した人柱伝説のように様々な伝説が世の中にはあります。そんな伝説の中にはロマンあふれるものもあるでしょう。そういう意味では、UMA(未確認生物)もロマンがありますね。下記記事では、そんなロマンのある話を紹介します。

まとめ

松江城の入口

堀尾吉晴により築城された松江城には、人柱となった娘の伝説が残っています。

今でこそ人柱のような非人道的なことを考え実行する人はいませんが、昔は普通にありました。呪いはオカルトの分野であり、現代科学では解明できないことも多いです。

今は理解が及ばなくても、結果に対して何かしらの原因があることは間違いありませんので、今後の科学の進歩や歴史の再検証により、新事実が見つかる可能性がありますね。

100年後の未来では、松江城の人柱伝説について新たな解釈がされていても不思議ではないでしょう。

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