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旅の体験談

大洲市の臥龍山荘へ観光、伊予の小京都が誇る希代の名建築と庭園

臥龍山荘の母屋

清流・肱川湖畔のもっとも優れた景勝地に築かれた「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」。

日本の美が宿る数寄屋建築の傑作が見られます。

母屋「臥龍院」は、素朴な外見なのですが、周囲によくマッチしており、「わびさび」を感じ取ることができるでしょう。

人によっては「昔ながらの農家の住宅?」と思うかも。

けれど、その内部は非常に手の込んだ造りになっており、大変素晴らしい。

庭園を散策しながら、「わびさび」の神髄に触れてみては如何でしょうか。

本記事では、伊予の小京都が誇る希代の名建築と庭園が楽しめる「臥龍山荘」の見どころを紹介します。

本記事は、以下に該当する人向けです。

  • 珍しい建築物や趣のある建築物に興味がある
  • 風流を味わえる場所が好き
  • 臥龍山荘の見どころを知りたい

肱川流域随一の景勝地「臥龍山荘」とは

母屋(臥龍院)の様子
臥龍山荘の母屋(臥龍院)の様子

臥龍山荘(がりゅうさんそう)は、愛媛県大洲市に位置し、大洲市を流れる大河・肱川流域の景勝地に建築された他に類を見ない匠の技を施した山荘です。

肱川流域には、風の穏やかな日に、新緑や紅葉を水鏡のように映し出す「臥龍淵」と呼ばれる景勝地があり、大洲藩時代から殿様たちが愛でた景色があります。

「臥龍」の名前から三国志ファンならば、「諸葛孔明と何か関係が?」と思われるかもしれませんが、全然関係ありません。(笑)

その名前は、大洲藩第3代藩主加藤泰恒が、「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」から名付けられたという。

幕末までは、歴代藩主の遊賞地として、厚く保護されていましたが、明治維新後に補修されることなく自然荒廃されました。

臥龍山荘の入口前
臥龍山荘の入口前

今の山荘は、貿易商を営んでいた河内寅次郎がこの地を購入し、生涯を過ごす地として1897年(明治30年)頃から10余年の構想と工期を費やし築いたそうです。

残念ながら、河内氏は、1909年(明治42年)10月に亡くなり、実際に居住したのはごく僅かな期間でしかありません。

短い期間ながら、人生の最後に自分が追い求めた場所で過ごせたのは、幸せだったのではないでしょうか。

肱川の景色
肱川の景色

1980年(昭和50年)には、大洲市の観光拠点として一般公開され、自由に見学できるようになったのは嬉しいですね。

2011年(平成13年)には、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにおいて一つ星を獲得し、海外からも注目されることに。

2016年には、茶室・数寄屋建築・庭園が国の重要文化財に指定され、2021年になると庭園が国指定名勝となり、今に至ります。

入口にある特徴的な石積みに注目

臥龍山荘の入口
臥龍山荘の入口

大洲市の市街地へ訪れ、臥龍山荘の案内板に従い足を運んでみると、この山荘の入口前にあった時代を感じさせる門に期待感が高まりますね。

この門をくぐり抜けて、受付のある臥龍院(がりゅういん)へ。

臥龍院とは、臥龍山荘の母屋ですよ。

後からスタッフに教えて頂いたのですが、門から臥龍院へ向かう道にある石垣には深い意味があります。

石垣
石垣(手前の石垣には末広積みが見られる)

初見では、独得な石積みに目を見張り、「凄い石垣が続いているな」と驚きますが、その石垣が配置されている意味を知ると、より感銘を受けるでしょう。

実はこの石垣は、「乱れ積み」「末広積み」「流れ積み」と変化を持たせ、石垣の中で生きている「チシャの木」が自然と人工の共存を感じさせます。

乱れ積み
乱れ積み

特に細長い石を「肱川」に見立て、丸い臼は月を表し、向かって左端上の辺りに見える手水鉢が船を表現しているとか。

石垣で表す肱川の表現(流れ積み)
石垣で表す肱川の表現(流れ積み)

その話を聞いて、石垣を使って風景を表現したこだわりに、深い感銘をうけました。

門をくぐり抜けて、石垣の前に立ち止まり、この素晴らし石垣を見学していくことをお勧めします。

計算され尽された臥龍山荘の母屋「臥龍院」

臥龍山荘の母屋
臥龍院(臥龍山荘の母屋)

臥龍院は、河内寅次郎がその情熱を最もそそいだ建物です。

外観は、茅葺屋根の農家風の平屋ですが、周囲に調和した均整の美を取り入れています。

桂離宮・修学院離宮・梨本宮御常御殿などを参考に建築されたという。

隅々まで計算されて設計されており、全国各地より吟味した銘木を使用しました。

また、相談役には茶室建築家の八木氏を迎え、施工は大洲(中野寅雄)、京都(草木國太郎)の名大工が手掛けたとされる。

建物細部には、千家の茶道具職家、絵画も当時の大家に手によるもの。

材料の選定から始まり、名工たちの卓越した技術、他より抜きんでて優れている着想により建築された稀にみる建物と言えるでしょう。

臥龍院の部屋を外から眺める
臥龍院の部屋を外から眺める

臥龍院の部屋へ足を運ぶと、様々な見所がありました。

部屋は全部で4つに分かれており、玄関口から上がると「迎礼の間 → 霞月の間 → 清吹の間 → 壱是の間」へつながります。

尚、迎礼の間は、受付に使われていますね。

残りの部屋について詳しく見ていきましょう。

壱是の間

壱是の間
壱是の間

臥龍院のメインとも言える部屋は「壱是の間(いっしのま)」です。

とても格調高い書院座敷であり、丸窓や濡縁、障子戸、天井板などには、桂離宮様式が取り入れられている。

例えば、床の間には、松皮菱(まつかわびし)型書院窓や別名櫛形窓(くしがたまど)と言われる桂離宮新御殿と同じ形の窓ですね。

壱是の間の様子

とても風雅な佇まいを見せてくれます。

また、この部屋の畳をあげれば、能舞台になるという。

実に面白い発想です。

尚、床下には音響をよくするために備前壺を12個埋め込んでいるそうだ。その話を聞いて、「まじか!」と思うのは私だけではないでしょうね。

この部屋で忘れてならないのは、こちらの欄間彫刻。

鳳凰の透かし彫り
鳳凰の透かし彫り

優雅な鳳凰の透かし彫りなので、お見逃しなく。

特に普段忙しい人に試して欲しいのが、縁側に座って庭園を眺めることです。

臥龍山荘の庭園
臥龍山荘の庭園

忙しい現代人にとっては、まさに贅沢な時間の使い方。

静かな空間に包まれながら、美しい自然を身近に感じるのは、心が落ち着きます。

【美しい建築物の紹介(その1)】

旅を続けていると、臥龍山荘のような周辺とマッチした建築物に出会いますので、下記記事で紹介します。

霞月の間

霞月の間
霞月の間

「霞月の間(かげつのま)」は、武家屋敷などでよく見かける部屋に見えます。

しかし、それはあくまで第1印象。

この部屋は、あえて素朴に清楚に仕上げられているそうです。

まずは床の間に注目して下さい。

富士山を描いた掛け軸の前に違い棚を設けていますが、これは霞がたなびく様を表現しています。

違い棚
違い棚

また、右手の襖もあえて鼠色にすることで薄暮を表し、更に右上の壁の部分には、一部あえて塗り残した下地窓(したじまど)が、侘びの表情を強く表現していました。

この下地窓は、別名「破れ窓」「ぬりさし窓」とも呼ばれており、あの千利休が、農家の剥げ落ちた壁の下地を見て侘びを感じて茶室に採用したそうです。

月を表現した丸窓や和紙で仕上げた天井など細かな心配りを随所に感じますね。

縁側廊下には、仙台松の一枚板にあえて目地を入れ、一般家庭の廊下と同じように仕上げているとか。

仙台松の一枚板
仙台松の一枚板

襖の引手にも注目して下さい。コウモリの形をしており可愛い。

襖の引手
襖の引手

更に欄間彫刻には、瓢箪の透かし彫りが見て取れて面白い。

瓢箪の透かし彫り
瓢箪の透かし彫り

じっくり見ていると、色々な発見に気が付く素敵な部屋ですね。

【美しい建築物の紹介(その2)】

美しい建築物は、見ているだけでもテンションが上がりますね。旅の道中で出会ったそんな建築物を下記記事で紹介します。

清吹の間

清吹の間
清吹の間

清吹の間(せいすいのま)は、「夏の間」とも呼ばれており、他の部屋よりも天井が高いです。

夏でも涼しくなるように、他の部屋よりも風通しがよくなるよう作られている。

この部屋で一際目に付くには、こちらの透かし彫り。

花筏の透かし彫り
花筏の透かし彫り

高台寺の蒔絵を模した「花筏」の透かし彫りだそうだ。

清流を流れる筏を見ていると、涼しく感じてくるかも。

春を表現している花筏の他には、水玉で夏を表し、壱是の間との間にある欄間には菊水で秋を表現、そして雪輪窓で冬を表している。

部屋全体を四季それぞれ水にちなんだ細工で表現し、涼やかな空間を作り上げています。

ここまで手の込んだ造りには、脱帽するしかありません。

肱川随一の絶景を楽しめる「不老庵」

不老庵
奥に見える建物が「不老庵」

臥龍山荘の中で最高の景色が楽しめる場所が「不老庵(ふろうあん)」です。

景勝地である臥龍淵を眼下に見下ろす崖の上に建てられており、庵全体を屋形船として見立てています。

まるで清流・肱川を流れていく様を思い浮かべるかも。

庵の中へ入ると、先ほど紹介した臥龍院同様に様々な工夫が見られますよ。

不老庵の室内
不老庵の室内

緩やかな丸みをつけた竹で編んだ天井に注目して下さい。

不老庵の天井
不老庵の天井

この天井は、臥龍淵の川面で反射した月明かりが、ほんのりと天井を照らすという。

つまり、夜でも部屋を明るくする趣向が施されているのです。

残念ながら夜には、入場できないので確認できません。

けれど、想像するだけでも幻想的な景色を思い浮かべてしまうため、思わずニッコリしてしまいました。(笑)

眼下を流れる肱川の景色がこちら。

肱川の景色(その1)
肱川の景色(その1)
肱川の景色(その2)
肱川の景色(その2)

明治時代には、帆掛け船が盛んに行き来していたと言われています。

それに肱川と言えば「鵜飼い」で有名ですね。

ひょっとしたら不老庵から、篝火(かがりび)を炊いた鵜船は見えるかも知れません。

また、裏手には生きた槇の木を使った「捨て柱」がありますよ。

建築当時から現在まで生き続けている木を使用した柱だそうです。

眼下の景色を眺めながら、心ゆくまで四季折々の景色を楽しみましょう。

元浴室から茶室に改装された「知止庵」

知止庵
知止庵

知止庵(ちしあん)は、臥龍院と同時期に浴室として建てられたのが始まりです。

1949年(昭和24年)に内部を改造して茶室に生まれ変わりました。

陽明学者の中江藤樹の教えから「知止」という庵名が生まれたという。

残念ながら中へ入れませんが、小さな入口から中を覗くことはできます。

知止庵の入口
知止庵の入口

こちらはが、知止庵の中の様子。

知止庵の中の様子
知止庵の中の様子

壁の腰張には、第3代藩主泰恒の「茶方日記」の反古を貼り、侘びた雰囲気を演出しています。

尚、名前になっている「知止」とは、「どこで止めるかを知る」という意味。

つまり「何事もほどほどに」と取れる。

そういう意味でもこの小さな庵は、名を体現している茶室ですね。

四季折々の風情を感じる庭園を散策しよう

臥龍山荘の庭園
臥龍山荘の庭園

臥龍山荘の庭園は、どの季節に訪れても美しく見えるよう設計されています。

数多くの常緑樹が植えられており、夏に赤い花を咲かせる百日紅(さるすべり)、秋にはカエデやモミジを楽しめる。

また、昔から魔除けや幸せを呼ぶと言われたり、金運が上がると信じられてきた縁起植物(センリョウやマンリョウ)もありますよ。

更に様々な所で目にする石造物が面白い。

石造物

例えばこちらの敷石。

敷石
敷石
飛び石
飛び石

様々な文様が見て取れる。そのため、思わず足を止めて見入ってしまうかも。

もちろん配置にも気を配っているのは、言うまでもありません。(庭園造りの基本です)

庭園から見る「臥龍院」も素晴らしい!

臥龍院
臥龍院

まるで森の中にひっそりと佇む古びた庵には、風情を感じずに入られません。

園内の至るどころには、苔が生育しており、ひんやりとした空気が漂っています。

苔を踏まないよう気を付けて歩きましょう。

苔と言えば、この庭園にはとても珍しい「ぼたん苔」が生息していますよ。

こちらの燈籠で白くなっている部分を見て下さい。これが、ぼたん苔です。

ぼたん苔
ぼたん苔

ぼたん苔は、育つのに通常100年を要しますが、臥龍山荘では環境が良いのか60~70年で育つという。

それでも育つのに60年もかかるとは、滅多にお目にかかれない貴重な植物ですね。

庭園を探索していると、潜龍洞なる扉を見つけました。

潜龍洞
潜龍洞

実はこの潜龍洞、今でいう冷蔵庫の役割を果たす氷室なのだそうです。

決して広くはない庭園ですが、小さいながらも様々な工夫がなされており、楽しく散策できるでしょう。

臥龍山荘の基本情報とアクセス

住所愛媛県大洲市大洲411-2
電話番号0893-24-3759
営業時間9:00~17:00(札止め16:30)
休園日無休
入園料大人550円
小人(中学生以下)220円
※大洲城とのセット共通券あり

【アクセス】

  • JR伊予大洲駅から徒歩約25分
  • 伊予大洲駅からタクシーで約5分
  • 松山自動車道「大洲IC」から車で約3分

臥龍山荘の駐車場

臥龍山荘の入口前には、小さな無料駐車場があります。(普通車3台)

混んでいた場合は、「大洲まちの駅みさもや」の無料駐車場をご利用して下さい。

尚、大洲まちの駅から臥龍山荘までは、徒歩で約5分です。

まとめ

臥龍院の部屋の様子

臥龍山荘は、肱川流域の景勝地に佇む、日本の美が宿る数寄屋建築です。

母屋の臥龍院では、壱是の間・霞月の間・清吹の間を楽しめ、様々な工夫を凝らした作りに驚きを隠せないでしょう。

また、清流・肱川を一望できる不老庵や季節ごとに美しい彩りをみせる庭園。

小さな茶室・知止庵など、どれをとってみても「わびさび」を強く感じ取れます。

大洲市へ訪れる機会があれば、伊予の小京都が誇る希代の名建築と庭園へ足を運んでみては如何でしょうか。

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