サイクリストならば、1度はチャレンジしたいコースには、しまなみ海道やアワイチ、マメイチなどがあります。
その中でも、滋賀県にある日本一広い湖の琵琶湖を1周する「ビワイチ」は、チャレンジしがいがありますよ。
琵琶湖1周は、距離にして何と約200km。ある程度の実力のあるサイクリストならば、1日で走り切れますが、その道中には魅力ある観光スポットが目白押し。そんな観光地へ立ち寄らないのは、実にもったいないですね。
そこで、4日間でビワイチにチャレンジすることにしました。1日目は、滋賀県の県庁所在地がある大津市から近江八幡市まで。その道中では、瀬田の唐橋や石山寺、建部大社などへ立ち寄った次第です。
本記事では、琵琶湖の南東部を自転車で旅した様子をお届けします。
なぎさ公園で往時を偲ぶ
周囲を山脈や山地が取り囲み、中央部には、県の面積の6分の1を占める広大な湖がある滋賀県が、今回の旅の舞台です。
昔も今も湖国と呼ばれており、琵琶湖から受ける恩恵は計りしれません。そんな湖国の県庁所在地のある大津市へやってきました。旅のスタートは、大津市の玄関口「大津駅」から。
いつものように電車輪行で訪れ、大津駅へ到着後、テキパキと自転車を組立てる。約10分程度、準備が整うと、早速琵琶湖を目指して北上した次第です。
最初に到着したのは、こちらの大津湖岸・なぎさ公園ですね。
この公園は、かつて近江八景の1つ「粟津の晴嵐」と呼ばれていた場所ですよ。江戸時代には、美しい松並木があったといわれ、強風に枝葉がざわめく様子から晴嵐といわれていたとか。
現代では、当時の松並木は既になく、なぎさ公園には、若い松並木が植樹さています。数十年も経てば、往時を偲ばせる景色が復活するでしょうね。
なぎさ公園を自転車で徐行しながら、琵琶湖を眺めます。島根県の宍道湖を見た時と同じく、全く湖に見えませんね。どこからみても海そのもの。
また、園内では、桜が綺麗に咲き誇り、見ているだけでテンションがあがりますよ。
更にたくさんのカモが、同じ仕草で歩いている姿に癒されました。(嬉)
そんな風に園内を眺めながら、琵琶湖のほぼ南端へ向けて、自転車のペダルを回し始めます。
【自転車旅の紹介(その1)】
本記事のような自転車旅の様子を、下記記事でお届けします。
近江八景の1つ「瀬田の唐橋」の景色
琵琶湖沿岸には、戦国時代に公家や五山の詩僧によって選定された代表的な名勝が8つある。それが「近江八景」です。名前を聞いたことがある方も多いでしょう。
江戸時代になると、近江八景は屏風絵や陶磁器などの絵柄に取り上げられ、庶民の間でも一気にメジャーとなりました。ビワイチをしながら、近江八景を見て回りますよ。
残念ながら近江八景と呼ばれる場所の中には、現代に至るまで土地開発が進み、往時とはまるで風景が変わっていたりする。これは仕方がないことですが、少し寂しいかな。
なぎさ公園では、今の「粟津の晴嵐」を眺めたので、今度は「瀬田の唐橋」へ向かいます。
湖沿いの道を南下しながら、湖畔の眺めを堪能。
路面には、こちらのマーク描かれていたりする。うん、分かってるよ。
しばらく南下を続けていたら、黄色い特徴的な橋が見えてきました。
この黄色い橋が「瀬田の唐橋」ですね。近江八景「瀬田の夕照」で知られる夕日の名所。日本書紀にも登場する由緒ある橋ですよ。
古くは、瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれていたそうです。かつては「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれていたとか。それほど、交通の要衝であったのでしょう。
湖岸には、ビワイチ出発の地の記念碑がありましたので、愛車と記念撮影。瀬田の唐橋をバッグに、記念碑の隣りにあった、自転車をモチーフとしたモニュメントとツーショット撮影です。
ここで、大阪からやってきたサイクリストと出会い、しばし談笑。何でも野宿しながらビワイチを行なっているとか。色々なビワイチの楽しみ方がありますね。
サイクリストと別れた後は、瀬田の唐橋を渡り、石山寺(いしやまでら)へ向かいます。
【珍しい橋・美麗な橋の紹介】
旅先では、瀬田の唐橋のように歴史ある橋の他にも、珍しい橋や美麗な橋をよく見かけることが多いです。下記記事では、そのような橋を紹介します。
源氏物語が誕生した名勝「石山寺」
石山寺は、琵琶湖から流れ出る瀬田川のほとりに位置している。昔も今も多くの人々に親しまれており、奈良時代から観音の聖地とされていました。
昔から都(京都)から近い景勝地として有名。石山詣(いしやまもうで)が盛んだったそうですよ。境内には、花の寺と呼ばれるほど、桜・梅・花菖蒲・紅葉など四季折々の花が咲き誇り、訪れる人々を癒しています。
瀬田の唐橋を後にして、瀬田川沿いの道路を進んでいると、石山寺まで残り1km。自転車のスピードを落としました。
瀬田川の川岸では、散策やジョギングを楽しんでいる人や、ダンスの練習をしている学生がいたりする。そんな様子を横目で眺めながら、しばらくすると石山寺へ到着。
さて、石山詣へ参りましょう。石山寺には、数多くの見所がありますが、一番目に留まるのは、天然記念物「硅灰石(けいかいせき)」ですね。
石灰岩が地中から突出した花崗岩に接触した際、その熱作用により変質したものだそうですよ。波しぶきを思わせるような不思議な形をした巨石群が、織りなす鮮やかなコントラストは「素晴らしい!」の一言。
奥には、小高い丘の上に国宝・多宝塔が見て取れます。この多宝塔の周辺から、眼下に眺める硅灰石の景色は一見の価値がありますね。
また、本堂の隣りには、紫式部が源氏物語を書き始めたと伝わる「源氏の間」がある。源氏の間には、紫式部の人形が置いてますよ。これは実に良い演出かな。
尚、広い境内には、紫式部の像がありますので、お見逃しなく。
石山寺は、紫式部を始め、多くの文人たちがインスピレーションを受けた場所です。俳聖・松尾芭蕉も度々訪れ、数多くの俳句を残している。更に島崎藤村も逗留しており、ここでの暮らしぶりを「茶丈記」に記しています。
そんな石山寺をゆっくり見て回り、石山詣を楽しんだ次第です。ちなみに、石山寺には、近江八景の1つ「石山の秋月」の図に描かれている月見亭があります。
残念ながら月見亭の中へは入れませんが、近くから眼下に流れる瀬田川の景色が見て取れ、遠くからでも桜並木が綺麗でした。
尚、石山寺について、くわしくは下記関連記事で紹介します。
近江国一宮「建部大社」へお詣り
石山寺を後にして、再び瀬田の唐橋へ戻り、近江国一宮「建部大社」を目指します。
その道中では、瀬田川の川岸にある「瀬田川ぐるりさんぽ道」を通過して、のんびり走りますよ。
ほとんどポタリング感覚で進んでいると、ラーメンの自動販売機を発見。どこかで絶対にあると思ってはいたのですが、何気に初めての目撃です。
販売機の表面には、冷凍ラーメンと書いていたので、調理しないと食べられないのかな。興味があったのですがスルーすることに。
旅を続けていれば、きっとどこかで直ぐ食べられる本格的なラーメンの自動販売機に出会えるでしょう。
「昼食はラーメンが良いかも」なんて考えていると、いつの間にか建部大社へ到着しました。
建部大社は、由緒正しい近江国の一宮であり、1,700年以上の歴史を誇る古社です。
古の英雄・日本武尊を祀っていますよ。参道を歩いていると、美麗なビュジュアルのパネルが並んでおり、日本武尊の物語を説明していました。
こういうのは、ついつい読みふけってしまいますね。(笑)
また、建部大社は日本で初めて作られた1,000円札に描かれていたんだとか。
1,000円札は発行部数が少なくて、「幻の1000円札」といれているという。今ではかなり価値があり、当時の貨幣価値から換算すれば、50万円くらいに相当するみたい。
建部大社は、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、平治の乱に敗れた際、伊豆国に流される道中に立ち寄り、源氏の再興を祈願した場所として知られています。
また、境内には願い石や頼朝公の出世水、水琴窟、菊花石など数多くの見所がありますよ。
特に願い石は、人生を荒波を押しのけて、願いを叶えてくれる霊験あらたかな石として参拝者に大人気。お作法を守って祈願しましょう。
それに「頼朝公の出世水」は水質も良好。「出世・開運・必勝」のご利益があるそうですよ。持ち帰ることもできるので、興味がある方は是非頂くことをお勧めします。
境内は広すぎず、狭くもなく、私にとっては丁度いいかも。境内にある庭園や神代桜(じんだいさくら)を眺めながら、ゆったり過ごしました。
尚、建部大社については、下記関連記事でくわしく紹介します。
矢橋公園へ立ち寄る
滋賀県の道路の沿岸には、ここまで数多くの「飛び出し坊や」を見かけた次第です。「飛び出し坊や」自体は普段からよく見かけるので、別段珍しくありません。
交通戦争と呼ばれた昭和30年代頃から、車のドライバーに飛び出し注意を促すために設置されたものですね。実は、この「飛び出し坊や」は、滋賀県が発祥の地なんですよ。
そのためなのか、至るどころで本当に良く見かける。何でも全国でもっとも多く設置されているのが滋賀県なんだとか。
カエルの絵柄があったり。
少女の絵柄があったり。
君は違うよ。(でも目立ってます。)
お洒落な交番を発見。プチ洋館の外観は珍しいかも。
そんな感じで町中を横目で眺めて進めば、矢橋公園へ到着しました。
どこにもあるような公園に見えますが、昔は矢橋港があった跡地ですよ。
この場所が近江八景の1つ「矢橋の帰帆」ですが、今では往時の面影はありません。かつては、古代から近世を通じて、琵琶湖の代表的な渡船または渡しとして栄えていたという。
また、「急がば回れ」の言葉のルーツにもなっている。「もののふの 矢橋の船は 速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」という和歌があるのがその証拠。
園内には、往時の情景を描いた案内板があります。
これも時代の流れかと思うと、少ししんみりしますね。
【公園・庭園の紹介】
旅先では、様々な公園や庭園へ訪れますので、下記記事で紹介します。
琵琶湖沿岸を駆け抜けろ
矢橋公園を後にして、県道559号へ合流。この道路は、さざなみ街道と呼ばれています。大津市から長浜市木之本町まで続く、琵琶湖湖畔を走る湖周道路の愛称なんだとか。
風景街道として人気があり、野鳥観察のスポットとしても有名。特に対岸の比良山系に沈む夕日が素晴らしく、夕日の名所だそうですよ。
そんな街道で横目で琵琶湖を眺めながら、自転車のペダルを回します。
湖岸には、キャンプをしている人が結構多い。こういうのを見ていると、キャンプをしながらティータイムを楽しみたい衝動にかられることも。(笑)
頭を振って、そんな思いを鎮めますよ。しばらくすると、面白そうな公園へ辿り着きました。
後から知ったのですが、ここは烏丸記念公園。園内には、ユニークな石の彫刻やアーチ形のモニュメントが並びます。
こちらの作品は「誕生」といいますよ。
原石から生命が飛び出し、誕生した姿を表しているとか。少し私には難しいかな。
少しの間、彫刻を見学した後で、再びさざなみ街道へ。道なりに走っていると、琵琶湖大橋が見えてきました。
琵琶湖にかかる優雅なシルエットが実に良い。ゆるやかな曲線が何ともいえないですね。守山市と大津市をつなぐランドマークであり、市民の生活には欠かせません。この橋が架かっていなければ、対岸へ向かうのは一苦労しますよ。
昔、渡ったことがありますが今回はパス。橋の外観だけを眺めて、第2なぎさ公園を目指します。
第2なぎさ公園には、お目当ての「BIWAKO」の文字をあしらったモニュメントがあるので、ここで記念撮影をしたいですね。
約2kmほど自転車を走らせると、第2なぎさ公園へ到着。
さっそくモニュメント前へ移動します。尚、この公園には、サイクリストの聖地碑もある。
これは「ビワイチ」の起点として建てられた記念碑ですよ。サイクリストの像が、バレリーナのように足を高く上げたポーズが印象的ですね。
第2なぎさ公園を後にして、さざなみ街道を東へ進むと、野洲川沿いに架かる橋の前には、しあわせの丘と呼ばれる場所を見つけました。
この場所は、琵琶湖と比良山のパノラマ景色を楽しめるスポットです。
そして、橋を渡り野洲市へ入った次第です。
ここまで来れば、近江八幡市の市街地まで残り約17km。
暗くなる前までには、近江八幡市へ辿り着く確信を得ました。
【自転車旅の紹介(その2)】
本記事のような自転車旅の様子を、下記記事でお届けします。
近江八幡市街へ到着
さざなみ街道を東へ進んでいると、白鳥川が見えてきたので、ここから南下しますよ。
周辺には、一面に畑が広がっていますが、近江八幡市街まで5kmもありません。
時刻は既に16:30。近江八幡市の観光は無理だと判断して、観光は明日に持ち越すことにしました。そうなると、ペースを落としてクールダウンにかかりますよ。
しばらくすると、近江八幡市街へ入ります。
太陽も雲の中に隠れ、気温が下がっているので、少し肌寒さを感じますね。早くホテルで休憩したいのですが、まずは、本日のゴールである近江八幡駅へ向かい、無事に到着。
こうして、本日の旅は終わりを告げました。
その後、駅周辺にあるホテルへ向かった次第です。
まとめ
ビワイチの初日は、琵琶湖南東部を走りました。ほぼ平坦路のため、走りやすかったですね。
ただし、走る方向によっては、向かい風の洗礼を浴び、まったくスピードが上げれなかったことも。これはしょうがないかな。
石山寺、建部大社へ参拝したり、4つの近江八景があった場所へ立ち寄れたのは、面白かったですよ。
最期にビワイチ2日目の予告。2日目は、近江八幡市から北上して長浜市へ向かいます。2日目は、色々あって当初の計画を大幅変更することに。走るコースまでその場で決めました。機転をきかして対処できたのは、旅人歴が長い証拠ですね。ビワイチ2日目に続きます。