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旅の体験談

鞆の浦にある福禅寺・対潮楼から眺める絵画のような景色

「日東第一形勝」の景色

かつて対潮楼を訪れた朝鮮通信使から「日東第一形勝(日本一すばらしい景観)」と絶賛された観光スポットが、鞆の浦にある福禅寺・対潮楼(ふくぜんじ・たいちょうろう)です。

この対潮楼からは、まるで絵画のような風景を堪能できます。鞆の浦を代表する景色の一つであり、鞆の浦を訪れたら外すことができません。

また、対潮楼と朝鮮通信使の関係について気になる人もいるでしょう。更に幕末の英雄、坂本龍馬と縁がある歴史的にも重要な場所でもありますね。

本記事では、福禅寺・対潮楼から眺める景観と朝鮮通信使の関係についてお伝えします。

本記事は、以下に該当する人向けです。

  • 福禅寺・対潮楼について知りたい
  • 対潮楼から眺める絵画のような景色を見てみたい
  • 対潮楼と朝鮮通信使の関係について興味がある
  • 坂本龍馬と対潮楼の関係に興味津々

福禅寺・対潮楼とは

福禅寺・対潮楼
福禅寺・対潮楼

福禅寺・対潮楼(ふくぜんじ・たいちょうろう)とは、瀬戸内海に面する広島県福山市の鞆の浦に位置し、高台となっている壮麗な石垣の上に建てられた真言宗大覚寺派の仏教寺院です。

山号を海岸山、院号は千手院と言い、950年頃に平安時代の僧である空也上人(くうやしょうにん)により創建されたと伝わっています。

現在の本堂と隣接する客殿(対潮楼)は、1690年間(元禄年間)に築城されました。

対潮楼は、江戸参府の朝鮮通信使一行をもてなすため、迎賓館として使用された歴史があります。

ご本尊は千手観音であり、ご利益は子授けや安産、夫婦円満、恋愛成就、災難除け、延命、病気治癒、現世利益など様々です。

1994年(平成6年)には「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内(ちょうせんつうしんしいせきともふくぜんじけいだい)」として国の史跡に指定されており、2018年(平成30年)には日本遺産へ認定されました。

「日東第一形勝」と絶賛された景色

福禅寺と言えば、対潮楼と言われるほど江戸時代には知れ渡っていました。

その対潮楼から眺める仙酔島・皇后島・弁天島及び周辺の海の風景は、見る人全てに感動を与えていたのです。

現代でも多くの観光客が、その景色を求め対潮楼を訪れます。

尚、勘違いしない欲しいのですが、対潮楼は福禅寺にある建物なので、福禅寺の別名と言う訳ではありません。

対潮楼へ入室

本堂に隣接する対潮楼の中へ入ってみると、眼前にこちらの光景が飛び込んできました。

思わず「素晴らしい!」と言わずに入られない景色に大興奮。

かつて朝鮮通信使一行が絶賛した景色に見とれてしまいました。

「日東第一形勝」の景色

赤い絨毯の上に座りながら、窓枠を額縁に見立てた絵画のような絶景を堪能しましょう。

尚、危ないため窓枠での座り込みはNGです。

対潮楼 注意点

1711年に鞆の浦へ立ち寄った朝鮮通信使の李邦彦(イバンホン)は、この座敷からの景色を「日東第一形勝(日本で一番美しい景勝地)」と讃えました。

更に1748年に訪れた朝鮮通信使の正使・洪景海(ホンケヒ)が、この座敷を「対潮楼」と名付け、息子に書を残させたそうです。

対潮楼から眺める景色は、穏やかな瀬戸内海に浮かぶ弁天堂が建つ弁天島と、その背後に横たわる仙酔島が印象的ですね。

対潮楼からの景色

特に仙酔島は、西日本で屈指のパワースポットであり、日本国内で唯一五色岩が見られる珍しい絶景スポットでもあります。

対潮楼の直ぐ近くには、仙酔島へ向かうフェリー(平成いろは丸)が出航していますので、対潮楼と合わせて訪れてみると良いでしょう。

絵画のような景色を眺められるこの窓枠は、3つに分かれていますが、それぞれ長さが異なっています。

これには意味があり、夏至と冬至で日の出が見られるよう計算されて作られているのです。

全く良く考えて作られており、感心しますね。

対潮楼 冬至の日の出
対潮楼 冬至の日の出

こちらの写真が冬至の日の出です。右枠の隅から太陽が見て取れます。

対潮楼 夏至の日の出
対潮楼 夏至の日の出

また、こちらの写真が夏至の日の出です。

それぞれの窓枠の隅には、「夏至」と「冬至」と書かれたプレートがありました。

対潮楼 夏至の窓枠
対潮楼 冬至の窓枠

対潮楼の窓枠から、しばし時間を忘れ瀬戸内海の景色を眺め続けていると、心穏やかになりますね。

時折、船が行き来する光景により、眺めていた景色が本物の絵画の世界ではなく、現実の世界だと思い出させます。

【絵になる風景を紹介】

旅をしていると「これは絵になるな」と思わせる風景に出会ったりしますね。下記記事では、そんな風景を紹介します。

対潮楼と朝鮮通信使の関係

対潮楼は、その景色の素晴らしさで知られていますが、それだけではありません。

福禅寺には、江戸時代を通じて重要な役目がありました。

江戸幕府を訪問する李氏朝鮮からの要人「朝鮮通信使」が、江戸へ赴く途中で立ち寄り、休憩・宿泊する場所となっていたのです。

朝鮮通信使の往路復路

つまり、福禅寺の客殿(対潮楼のこと)は、朝鮮通信使をもてなす迎賓館の役割を担っていました。

朝鮮通信使は、往復276日間もかけての大移動であったため、一年のほとんどを日本で過すことになり、朝鮮通信使の足跡や影響は各地で残っていますね。

当時、福禅寺に立ち寄ったのは、三使(正使・副使・従事官)という役職の人たちであり、正使は現代の言葉に置き換えると外務大臣にあたります。

福山藩を始めとする日本の漢学者や書家らは、福禅寺へ集まり、朝鮮通信使との文化交流を行なっていたそうです。

朝鮮通信使

対潮楼では、様々な朝鮮通信使に関係する史料が残されており、「日東第一形勝」額字や「対潮楼」額字など6点があります。

「日東第一形勝」の額字
「日東第一形勝」の額字
「対潮楼」の額字
「対潮楼」の額字

これらの史料は、「朝鮮通信使に関する記録」の一部として、2017年11月にユネスコ世界記憶遺産へ認定されました。

また、対潮楼には、当時の朝鮮通信使一行を再現した人形や民族衣装などが飾られていますので、それらを見学し、当時の情景について思い浮かべてみましょう。

朝鮮通信使一行の人形
朝鮮通信使一行の人形 高官
朝鮮通信使の衣装

【朝鮮通信使の軌跡】

朝鮮通信使が、江戸へ向かう途中で立ち寄った町について、下記記事で紹介します。

坂本龍馬の「いろは丸事件」

対潮楼は、幕末の英雄「坂本龍馬(さかもとりょうま)」にも深い関わりがあります。

1867年(慶応3年)5月に龍馬ら海援隊が乗船した「いろは丸」と紀州藩が乗船した軍艦「明光丸」が笠岡諸島の六島周辺で衝突し、いろは丸が沈没した日本初となる蒸気船海難事故「いろは丸事件」が起こりました。

瀬戸内海を航行する平成いろは丸
瀬戸内海に浮かぶ仙酔島へ向かう「平成いろは丸」。いろは丸をイメージした船です。

事故発生後、近くにあった港町の鞆に、龍馬一行と紀州藩が上陸し、対潮楼にて坂本龍馬ら海援隊が紀州藩に対して実際に談判を行ないます。

この事件は、当時としては珍しい「万国公法(国際法)」による海難審判へ発展していきました。

事件その物には、双方に非があったものの、いろは丸側の方が問題が大きかったそうです。

紀州藩側は、御三家の威光を笠に着て竜馬たち海援隊の言い分を全く聞き入れません。

一方、竜馬側も立場上引くに引くことができず、交渉は難航します。

実は、いろは丸は竜馬たち海援隊の持ち船ではなく、伊予大洲藩から借りた所謂チャーター船(15日間で500両の契約)でした。

平成いろは丸
平成いろは丸

当然、当時には海難保険などありはしないため、絶対に賠償金を取らなければ自腹で弁償する羽目に陥ります。

この交渉では、竜馬は紀州藩に対して、本来積んではいないと思われる積載物の損害賠償を求めたそうです。

う~ん、こんなことを知ると「コイツ、最悪だな」と思ってしまいますね。

最終的には、九州長崎へ交渉の舞台を移し、紀州藩が竜馬ら海援隊へ83,000両の賠償金を払うことで決着が付きました。

この事故が起きた年の11月15日に坂本龍馬は、京都で暗殺されてしまいます。

真相は不明ですが、暗殺者の背後には紀州藩の陰がちらつくそうで、もし本当ならば、この「いろは丸事件」が尾を引いているのではないでしょうか。

何時の時代でも金銭トラブルは身の危険を感じますね。

福禅寺を見て回る

対潮楼の看板

福禅寺へ訪れると、入口前にはこちらの「福禅寺 対潮楼」と書かれた大きな黄色い看板を目撃しました。

このような看板は、目立つため大変分かりやすく有難いです。

境内は、こじんまりしていますが、綺麗に整えられており、歩いていて気持ちが良いですね。

福禅寺の境内

こちらが本堂です。

福禅寺の本堂

福禅寺の本堂は正面から入れませんので、本堂の扉の前から向かって右へ進み、受付を済ませれば対潮楼へ入りますので、この対潮楼の奥側から本堂へ入れます。

福禅寺の本堂へ向かう通路

本堂内の雰囲気は厳かであり、御本尊の千手観音を始め、様々な仏像が立ち並んでいました。

尚、本堂内は撮影禁止のため注意しましょう。

福禅寺・対潮楼の建屋内には、色々なオブジェや人形などが展示されていますので、見ているだけでも楽しいですね。

こちらは、言わずと知れた「見ざる聞かざる言わざる」です。なぜか、小銭が賽銭されていました。(笑)

見ざる聞かざる言わざる

国民的人気アニメ「サザエさん」でも対潮楼が紹介されている様です。こちらは、オープニングアニメの一コマですね。

サザエさんによる対潮楼の紹介

お守りやキーホルダーが売られていますので、御朱印と一緒に購入してみませんか。

お守りやキーホルダー

福禅寺・対潮楼は、窓枠から眺める景色を始め、朝鮮通信使の歴史や坂本龍馬のいろは丸事件など見所が多いため、鞆の浦観光へ訪れたら是非立ち寄ってほしいスポットですね。

福禅寺・対潮楼の基本情報

住所広島県福山市鞆町2
電話番号084-982-2705
拝観時間平日:9:00~17:00
土曜・日曜・祝日:8:00~17:00
休観日年中無休
拝観料大人:200円
高中校生:150円
小学生:100円
未就学児:無料

【アクセス】

  • JR福山駅から鞆鉄バス鞆線で「鞆港」へ下車(乗車時間約30分)後、徒歩5分
  • 福山東ICから車で約15km

福禅寺・対潮楼の駐車場

福禅寺には、駐車場はありません。

近くには、有料の鞆の浦第一駐車場と鞆の浦第二駐車場がありますので、これらの駐車場を利用しましょう。

駐車場料金最大料金収容台数営業時間
鞆の浦第一駐車場8:00~17:00
30分毎100円
17:00~8:00
1時間毎100円
夜間最大料金
1,000円
35台24時間
鞆の浦第二駐車場8:00~17:00
30分毎100円
17:00~8:00
1時間毎100円
夜間最大料金
1,000円
20台24時間

まとめ

福禅寺・対潮楼からは、かつて朝鮮通信使から「日東第一形勝(日本一すばらしい景観)」と絶賛された景色を眺めることができます。

また、ユネスコ世界記憶遺産へ認定されている朝鮮通信使に関係する史料を見学できますね。

更に、坂本龍馬と紀州藩の間で起きた「いろは丸事件」の交渉の場でもあった訳です。

歴史上とても大事な役割を果たしてきた福禅寺・対潮楼を訪れてみて、当時の情景を思い浮かべてみませんか。



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この記事を書いた人

年齢:40代。
職業:旅人兼ブロガー。

私にとって自転車旅が一番の楽しみであり、知らない土地、景色、一期一会の出会いなど様々な体験をしました。当ブログでは、自転車旅などを通じて体験した事や訪れた絶景・観光スポットについて紹介します。また、自転車全般に役立つ情報を発信しています。

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