幕末や坂本龍馬のファンならば「寺田屋」と聞けば、テンションが上がる方が多いのではないでしょうか。
たとえ幕末ファンでなくても、歴史の教科書にも出てくる「寺田屋事件」の舞台で有名なため、知らない人は少なくありません。
京都市伏見区にある寺田屋は、江戸時代から続く船宿であり、室内見学だけでなく、今も宿泊ができます。
また、旧宅があった場所は今は庭になっており、龍馬像やお登勢明神などがある。何より、幕末の京都の動乱を堪能できる観光スポットですよ。
本記事では、寺田屋の魅力や見どころを紹介します。
寺田屋とは
京都伏見は、江戸時代から戦前まで濠川(ほりかわ)を活用した川上輸送が盛んな場所でした。
そのため、周辺には船宿が多かったそうです。その船宿の1つには、江戸時代初期から営業を始めたと伝わっている「寺田屋」があります。
この寺田屋の存在が、現代に至るまで語り継がれてきている理由が「寺田屋騒動」と「寺田屋事件」です。この2つの事件は、幕末の歴史を紐解くと、必ず名前が上がってくるでしょう。
幕末では討幕運動が盛んであり、京都には多くの尊王攘夷派の志士たちが集まっていました。
こうした運動に対して、幕府側(権力者)が厳しく取り締まるのは、いつの時代も同じです。寺田屋を舞台にした騒動は、以下の通り。
- 薩摩藩急進派の粛清(寺田屋騒動 1862年)
- 坂本龍馬の襲撃(寺田屋事件 1866年)
実は寺田屋は、鳥羽伏見の戦いの戦火で焼失しており、今の寺田屋は明治になって再建されたもの。室内には、坂本龍馬や維新の中心人物たちの資料が展示されています。
寺田屋騒動と寺田屋事件
寺田屋騒動は、1862年に薩摩藩士の間で起きた粛清騒動です。有馬新七率いる薩摩藩急進派が、関白九条尚忠と京都所司代の暗殺を計画しており、35名の同志が寺田屋に集まりました。
当時、薩摩藩の事実上のトップとして君臨していた島津久光が、話し合いの場を設けても、急進派の意思を断念できません。
その結果、両者は寺田屋で激突。激しい切り合の中、有馬新七を含む9名が粛清されました。
寺田屋の正面には、その偉勲を残すべく「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」が建てられています。
寺田屋事件は、1866年に起きた坂本龍馬襲撃事件のことで、先ほど触れた寺田屋騒動より知名度がありますね。
龍馬が長州志士数名と寺田屋に宿泊していたところ、深夜2時頃に事件が起きました。
入浴中だった龍馬の妻・お龍(おりょう)さんが、伏見奉行の命令でやってきた30人ほどの捕り方の存在に気付き、裸のまま龍馬の元へ急いで駆けつけて危機を告げます。
このおかげで、龍馬は逃げることに成功した訳ですね。もしお龍さんの機転がなければ、歴史が変わっていたかも知れません。
一般的には、坂本龍馬襲撃事件の方が広く知られていますが、歴史学者にとっては、薩摩藩急進派の粛清事件の方が重要だそうです。
寺田屋を見学しながら、幕末に生きた志士たちに想いに馳せてみてはいかがでしょうか。
寺田屋の室内見学、坂本龍馬の愛室「梅の間」は必見
寺田屋では、坂本龍馬を始め寺田屋事件に関する多くの資料が展示されています。そのため、幕末の京都の歴史に触れることができる。
事件当時の現場であることから、柱には刀傷なども残っていたり、お龍さんが事件当時入浴していたお風呂も再現されていました。(くわしくは後で説明)
1階で受付を済ませると、見学順路にそってまずは2階へ上がります。
2階には、坂本龍馬が愛用していたお部屋「梅の間」がある。これは見逃せません。襲撃事件当時もこの部屋に泊まっていました。
この部屋には、龍馬の姿が描かれた掛け軸がかけられている。この掛け軸は、寺田屋の女将・お登勢さんが嫌がる龍馬にすすめて町の画家に描かせたものなんだとか。
その堂々とした立ち姿は、風雲急を告げる当時の日本で、強い信念を持って日々を過ごしていたことを感じ取れます。
こちらは、龍馬が持っていたピストル。高杉晋作からの贈り物だそうですよ。
落ち着いた雰囲気の室内で、展示品の数々をじっくり見て回りましょう。
窓から寺田屋前の通りが見て取れる。当時とは風景がかなり変わったと思いますが、龍馬もきっと眺めていたのだろう。
梅の間以外にも数件の部屋がありますので、室内の様子をダイジェストで紹介。
1階には女将・お登勢さんの部屋がありました。
お登勢さんは、龍馬とお龍さんを結んだことから、若き男女の守り神になったそうな。
こちらの写真を見て下さい。いつの時代(恐らく幕末?)かは分かりませんが、昔の寺田屋の様子が分かります。
今は濠川(ほりかわ)を挟んで向こう岸には、伏見みなと公園が整備されており、そこには「龍馬とお龍、愛の旅路像」がたてられている。
寺田屋見学を終えた後で、園内へ足を延ばしてみてはいかがですか。
【歴史ある建築物の紹介】
寺田屋のように歴史ある建築物は、色々と見どころが多いですね。下記記事では、そのような建築物を紹介します。
【見所①】寺田屋事件の傷あと
寺田屋事件があったことを物語る、その当時の刀の傷あとが柱に残っています。
その場所には「刀痕」と表示されているので、場所は直ぐにわかったのですが、正直、どれが刀によってできた傷なのか、わかりにくかったですね。
ぜひ現地で目を皿のようにして、じっくり見て下さい。
刀傷以外にも銃弾の跡もあるという。実は私、銃弾跡を見逃してしまい、あとからそのことを知って「しまった!」と思いました。なので、私のような失敗はしないように。
これらの傷あとというのは、授業で学んだ出来事を、直接感じとれる貴重な体験ができます。
【見所②】お龍さんで有名になったお風呂と階段
寺田屋事件の際、入浴中のお龍さんが異変に気づいて、龍馬に知らせたエピソードに出てくる「お風呂」と「階段」を見学できます。
今では、滅多に見られない木製の樽のような形をした湯船。これは珍しい。
お風呂より、素っ裸で龍馬に知らせる行為が、妙に強く伝えられている。その流れで珍しいだけでなく、付加価値がついているのだろう。
こちらは、お龍さんが寺田屋事件で駆け上がった階段。
お風呂と違って、今の時代では、それほど目新しさを感じませんが、当時では珍しい階段ですよ。
それは、明治時代でも貴族(華族)の自宅にしかなかった手すり付きだから。階段の両側に付けられている。
また、古い家ならではの急な階段ですが、2人並んで通れるほど幅の広さがあるのも珍しいですね。
ちなみに、順路的にこの階段を下り専用なので、お龍さんのように駆け上れませんので悪しからず。
【見所③】寺田屋の庭園
庭園には、当時使われていた井戸や坂本龍馬の像、石碑などが設置されています。
もともとこの庭園があった場所に、焼失前の寺田屋が建っていました。
庭園の様子を少しだけ紹介すると、こちらが維新当時の井戸。「危ないから上がらないように」といった注意喚起がありますね。
こちらは寺田屋騒動の記念碑と坂本龍馬の碑。
うん、お社もある。お登勢明神というそうだ。先ほども触れましたが、寺田屋の女将・お登勢さんが龍馬とお龍さんを結んだため、若い男女の守り神になったそうです。
願をかけた絵馬もいっぱいあることから、多くの人々に参拝されているみたい。
奥には、坂本龍馬の像がたっているので、一緒に撮影してみましょう。
日本の夜明けのため、東奔西走していた龍馬が、今の日本を見て何を思うのか聞いてみたいものですね。
今でも寺田屋で宿泊できる
今もなお、寺田屋では宿泊ができます。予約制のため、宿泊する際には、事前連絡が必須。
宿泊できるのは、2階にある部屋で、龍馬が愛用していた梅の間以外の部屋ですよ。
素泊まりと朝食付きから選べ、料金もお手ごろ価格。近所には飲食店がたくさんあるので、食事に困らないですね。
尚、館内に酒類や食品の持ち込みは禁止です。チェックインは18:00からで、基本的に、寺田屋の見学時間とかぶらないようになっています。
門限が20:00と結構早く、全館禁煙・禁酒なので注意しましょう。
- 料金 素泊まり6,500円(朝食付きで別途500円)
- 予約制 予約は1ヶ月前より受付(日・月曜日は予約の受付不可)
【旅に役立つサービスの紹介】
旅の道中で役立つサービスを、下記記事で紹介します。
寺田屋の基本情報とアクセス
住所 | 京都府京都市伏見区南浜町263 |
電話番号 | 075-622-0243 075-622-0252(宿泊用) |
営業時間 | 10:00~16:00(受付は15:40まで) |
定休日 | 月曜不定休 年始(1/1~1/3) |
入館料 | 一般600円(500円) 中高大学生300円(250円) 小学生200円(150円) 小学生未満は入館できません 30名以上で団体割引きあり、( )内の料金は割引後の料金 |
【アクセス】
- 京阪電車本線の中書島駅より徒歩約5分
- 近鉄電車の桃山御陵前駅より徒歩約10分
寺田屋の駐車場
周辺のコインパーキングをご利用しましょう。
まとめ
寺田屋は、坂本龍馬を始め、幕末に活躍した多くの歴史上の人物に関わりがある船宿です。
龍馬や幕末に興味を持つ歴史好きな方はもちろん、そうでない方も興味深く見学できますね。
龍馬が宿泊していた梅の間や数々の展示品などを見学すれば、日本の夜明けを信じていた人たちをより身近に感じられる。
先人たちが駆け抜けた、激動の時代の足跡を追ってみてはいかがですか。