古来より神様の島として信仰の篤い厳島(宮島)。
宮島には、数多くの神社仏閣がありますが、日本三大弁財天の1つ厳島弁財天を祀っているのが「大願寺(だいがんじ)」です。
世界遺産で有名な厳島神社へ参拝した後で、回廊の出口に隣接している大願寺も合わせて参拝される方も多いですね。
境内には、護摩堂や厳島龍神、錦帯橋の模型など見どころ満載なので、しっかり見物しよう。
本記事では、古くから厳島神社と関係が深いパワースポット「大願寺」の見どころを紹介します。
大願寺とは
大願寺は、広島県廿日市市宮島町に位置する高野山真言宗の寺院です。
正式名称は、亀居山放光院大願寺(ききょざんほうこういんだいがんじ)といいます。創建は不明ですが、一説によると、鎌倉時代の建仁年間(1201~1203年)に僧侶の了海(りょうかい)によって開かれたといわれている。
その昔、五重塔や豊国神社が並ぶ場所から多宝塔・清盛塚あたり一帯まで、厳島伽藍が形成されており、その中心となっていたのが大願寺ですよ。
室町時代末期から明治時代の神仏分離令まで厳島神社の普請奉行として、修理・造営を一手にとりまとめていました。
そもそも大願寺の「大願」とは、厳島神社を守護するという大願を意味するもので、厳島神社とは深い関係ということが、名前からして分かります。
【周辺の見どころ】
大願寺周辺の見どころを、下記記事で紹介します。
厳島弁財天を祀る「本堂」へお参り
本堂は、1815年(文化12年)に造営されたもので、その特徴は規模の大きさですね。
初見では「こんな大きな本堂なんて、聞いたことないよ」と思う方も多いはず。実は、客殿・仏間・方丈(居間)など部屋が17つもあるのでとにかく大きい。
全国屈指の規模を誇る本堂といえるでしょう。ちなみに、正面から見える畳敷きの方丈は、日本最大なんだとか。うん、とにかく参拝後に見物あれ。
本堂に祀られているのは、厳島神社からうつされた厳島弁財天。また、阿弥陀如来像と護摩堂の元本尊でした如意輪観音像を脇侍としています。その他にも最古とされる木造薬師如来像や、千畳閣の本尊だった木造釈迦如来坐像など多くの仏像が安置されている。
本堂奥の書院は、第二次長州戦争の際に勝海舟と長州藩藩士らが会談をした場所だそうですよ。個人的には、どんな会談がされてたのか聞いてみたいかな。(胸熱展開を希望する!)
毎年6月17日には、厳島弁財天大祭が催され、その日は厳島弁財天が御開帳される貴重な日。観光客でも唯一拝観できるので、日時を合わせて訪れる方が多いといいます。
弁財天のご利益
弁財天は、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーといわれ、音楽や弁舌の神様ですね。
ご利益には、「商売繁盛・知恵・財福・海上安全・交通安全・長寿延命・子孫繁栄・恋愛成就」など多岐にわたり、とてもありがたい神様ですよ。
ちなみに日本三大弁財天は以下の通り。
- 大願寺:広島県(厳島)
- 江島神社:神奈川県(江の島)
- 竹生島神社:滋賀県(竹生島)
うん、こう並べると全部「島」じゃないですか。弁財天は水に関連する女神なので、海に囲まれた島と相性がよいのでしょうね。
大願寺で祀る厳島弁財天は、弘法大師の作といわれています。
【神社仏閣の参拝に役立つ話】
神社仏閣巡りに役立つ話を、下記記事で紹介します。
大願寺に厳島弁財天像が祀られる理由
明治時代に発令された神仏分離令により、厳島神社へ派遣された政府高官は、厳島神社の境内を確認し、あまりにも仏教様式の強さに憤慨されていたそうな。そして「全部焼き払え!」と無茶苦茶な命令を出したのでした。
それを聞いた、当時の厳島神社の棚守・野坂元延(のざか もとのぶ)氏は大変に驚き、明治政府に直談判のため上京した次第です。
それは、政府の命令に逆らうということなので、死を覚悟する思いがあったでしょう。江戸から明治に変わり、まだ安定にはほど遠い時代でしたので、人の命は今とは比べ物にならないほど安いものでした。
最終的に厳島神社の歴史や重要度を重くみた、政府が折れる形となり、仏教色を払うという条件付きで和解。高官の出した取り壊し発令は取り下げられたのです。そういう経緯のもと、大願寺の本堂に厳島弁財天像がうつされ今に至ります。
もし、野坂氏の覚悟を決めた行動や、政府内に厳島神社の重要度が分かる人がいなければ、今の厳島神社は存在しないこととなり、貴重な文化遺産が失われていたでしょう。
4mの不動明王が祀られた「護摩堂」は見逃すな
明治時代に発令された神仏分離令により、護摩堂は消失されたのですが、2006年(平成18年)4月に約140年の時を経て再建され今に至ります。
この護摩堂の中には、高さ4m80cm、重さ約7トンの巨大な不動明王座像が安置されており、日本一大きな不動明王は実に見ごたえがありました。
この不動明王の前では、悪しき心を持った者は恐怖にさいなまれるに違いありません。良い心の持ち主であれば、きっとあなたのことを護ってくれるでしょう。善人には実に頼もしいパワースポットといえるのではないかな。(個人的な感想です。)
別名で「厳島大仏」とも呼ばれており、篤い信仰を集めています。また、材質は最古級ともいわれるインド産の香木・白壇(びゃくだん)を約20トンもふんだんなく使っているという。どれだけこの不動明王の造立に力を入れたのかが分かるエピソードだ。
毎年11月3日には、護摩堂前で不動明王を祝う「大願寺火渡り儀式」が行われるので、興味がある方は参加してみてはいかがですか。
【神社仏閣の紹介(その1)】
旅先で訪れた様々な神社仏閣を、下記記事で紹介します。
錦帯橋の1/25の模型が飾られておりビックリ
本堂の軒下を注視すると、日本三名橋に数えられている錦帯橋の模型が飾られていることが分かります。このように本堂に模型が飾られているなんて、私が知る限り記憶にない。かなりのレアな存在ではないでしょうか。
調べてみると、どうやら明治時代にパリ万国博覧会が開催された時、錦帯橋の25分の1スケールの模型が出展されたということが分かりました。
錦帯橋は、江戸時代初期の1673年に建造され、洪水で流されるたびに架け替えられてきた橋です。そのたびに、洪水対策が施され頑強になってきました。この模型を観察することで、創建当初に近い状態の錦帯橋の姿を観察できる。
錦帯橋のある山口県岩国市は、宮島からそれほど離れていないので、この模型と実物を比較して、相違点を探し出してみるのも面白そうですね。
弁財天の使い「厳島龍神」にご挨拶
水堀に囲まれた弁天池には、小さな祠があります。この祠も人気スポットですよ。
この祠の正体は、弁財天の使いといわれている厳島龍神が祀られているとか。なので、忘れずに参拝しよう。本堂で祀る厳島弁財天とともに参拝することで、金運財運のご利益アップが期待できる。
裏側へ回ると、石碑が組み込まれている様子を確認できました。いったいなぜ、このような構造にしたのか、不思議に思う。
また、すぐ近くには松の切り株が残っている。これは以前、九本松と呼ばれていた1本の黒松の根元に9つに枝分かれした見事な松があったそうな。
九本松は、初代内閣総理大臣・伊藤博文が植えましたが、長年の虫食いにより枯死したため、伐採されたといいます。
【神社仏閣巡りに役立つアイテムの紹介】
神社仏閣巡りや旅行する際に便利なアイテムを、下記記事で紹介します。
歴史を感じさせる「仁王門」
厳島神社の西回廊(出口)を出ると、目の前には立派な「仁王門(楼門)」が見えてきます。
まさに大願寺の顔ともいうべき存在だ。左右の金剛力士像(仁王像)につい目を向けてしまうのは、私だけではないと思う。そしてテンションが上がりませんかね。(きっと同士がいると思う)
この仁王像は、かつて厳島神社の仁王門に安置されていましたが、明治の神仏分離令により、厳島神社の仁王門は破壊され、大願寺の楼門へ安置された経緯があります。
そんな仁王像の写真を撮ったのですが、残念ながら、上手に撮影できなかった。けれど、何となく雰囲気は分かってくれると思います。
楼門造りの門を持てる寺院となれば、それだけで格式が高いことは一目瞭然。ちなみに、広島藩で楼門を許されたのは、福王寺・西国寺・大聖院・大願寺しかありません。それだけ、大願寺はすごいお寺なんですよ。
また、フォトスポットとしても人気が高いため、カメラを向けて記念撮影をしてみよう。手前には、平清盛の顔出しパネルが用意されている。住職さんグッジョブ!
このパネルを使って撮影するのも良い記念になりますね。
【神社仏閣の紹介(その2)】
旅先で訪れた様々な神社仏閣を、下記記事で紹介します。
撫で仏をなでて除病の功徳を得る
本堂前に置かれている木像に注目しよう。この木像は、釈迦の弟子である「賓頭盧尊(びんずるそん)」という。通称で「おびんずる様」と呼ばれており、こちらの名前で憶えている人も多いと思う。
実は、この木像で自分の体で病んでいる部位をなでれば、病気の苦痛を取り去って下さり、健康な体にする除病の功徳があるパワースポットなのです。いわゆる撫で仏ですよ。
本堂前には、左右に大きく分かれて、おびんずる様が2体います。この2体の表情や仕草が違っていることに、気づかない方もいるのではないかと思いますので、ぜひ見比べてみよう。
あなたは、どちらのおびんずる様に除病してもらいたいですか。
平和観音像に願いを込めて
護摩堂の手前には、お地蔵さんに囲まれた「平和観音像」が見て取れます。日本は世界で唯一原爆を投下された国であり、原爆犠牲者の慰霊のために建立されました。
足元に目を向けると、原爆・水爆の禁止を訴えた碑が目につきますね。
平和が大事なのは、誰しもが理解できますが、人の歴史を紐解くと、それは永遠の難題なのかも知れません。それでも平和に向けて取り組みことは大事です。
観音さまの優しい眼差しの前で、今後そのような悲劇が二度と起こらないよう、平和を祈念して手を合わましょう。
平重盛公が植えた松の朽木を見物
仁王門の近くには、大木の朽木が横たわっており、初見では「何だこれ?」と疑問に思う人も多いのではないでしょうか。
実は、この朽木は、平清盛の嫡男であった平重盛(たいらのしげもり)が、厳島弁財天のご神徳に感服したということで、国家安泰を祈り、お手植えされた松の末路だそうです。
今の姿は、平家が滅亡したこととは、無関係だと思いますので、深読みしないように。
大願寺の基本情報とアクセス
住所 | 広島県廿日市市宮島町3 |
電話番号 | 0829-44-0179 |
拝観時間 | 8:30~17:00 |
【アクセス】
- 宮島口旅客ターミナルからフェリー(約10分)にのって宮島へ上陸後、徒歩約15分
- JR宮島口駅から宮島口旅客ターミナルまで徒歩約4分
- 広島電鉄・広電宮島口駅から宮島口旅客ターミナルまで徒歩約1分
- 山陽自動車道「廿日市IC」か「大野IC」から車で約15分ほどで宮島口へ到着
大願寺の駐車場
大願寺には、参拝者用の駐車場はありません。
フェリーで宮島まで渡れますが、島内は駐車場がほとんどなく、道路も狭く路地が多いため、車での移動はやめた方が無難です。
本土のフェリー乗り場周辺には、たくさん駐車場があるので、そちらを利用しましょう。
まとめ
宮島を観光する際、厳島神社とともに参拝したいのが大願寺です。厳島神社の西回廊を抜けた先には、大願寺の仁王門が目の前にありますので、スムーズに足を運べます。
古くは、厳島神社の修造や造営の一切をとりまとめていた歴史があるほど関係は深いですね。そんな歴史を顧みれば、別々でなく一緒に参拝したいと思うのが人情だ。それに魅力的な厳島弁財天が祀られていることを知れば、スルーなんてできないでしょう。
神社仏閣好きな人はもとより、そうでない方も宮島へ訪れる機会があれば、足を運ばれてみてはいかがですか。