世界中で愛されているベートーヴェンが作曲したクラシックの名曲「交響曲第九番(通称:第九)」は、徳島県鳴門市が日本初演奏の地であったことをご存じでしょうか。
その初演奏を行なった人たちは、かつて捕虜として日本で生活を余儀なくされたドイツ兵だったのです。
ドイツ館では、ドイツ兵捕虜たちが暮らしていた板東俘虜収容所と地元住民の触れ合いについて展示されています。
今回の旅は、このドイツ館を含めたドイツ兵捕虜ゆかりの地を訪れ、当時について思い偲びました。
本記事では、ドイツ館や板東俘虜収容所の跡地などについて紹介します。
ドイツ館とは
ドイツ館は、1972年(昭和47年)に第一次世界大戦中当時に捕虜となったドイツ兵の生活様式と地域住民の交流の歴史を伝える資料館として開館しました。
捕虜となったドイツ兵4,000名の内、約1,000名が鳴門市にあった板東俘虜収容所へ収容され、約3年間生活していたそうです。
ドイツ館の開館にあたっては、かつて板東俘虜収容所で収容されていたドイツ兵からの寄付金もあり、当時の写真や手紙などが多数寄贈されました。
それらの寄贈された物については、ドイツ館で展示されています。
また、館内では決まった時間にロボットによる演奏が行われており、当時のドイツ兵捕虜たちの演奏を再現していますね。
捕虜と言うと過酷な生活をイメージするけど、板東俘虜収容所では捕虜の人格を尊重し、人道的に扱っていたそうだよ。
【注意事項】
- ドイツ館内は、原則撮影禁止です。但し、申請書を記入し提出すれば撮影可能になります。(ちなみに私は、訪れた当日に受付で申請書を記入し提出しました)
徳島県鳴門市のドイツ館でドイツ兵捕虜と地域住民の交流を学ぼう
ドイツ館を眺めて
ドイツ館へ訪れてまず驚くのは、建屋の外観でしょう。
日本家屋とは異なる壮厳な雰囲気を醸し出しています。
この建屋の外観は、鳴門市の姉妹都市であるドイツのニーダーザクセン州リューネブルグ市の市庁舎をモデルにしたそうです。
入口前には、ベートーヴェンの顔抜きパネルがありました。ベートーヴェンのような厳つい顔をして記念撮影をしてみませんか。(笑)
【建築物の紹介】
旅を続けていると、ドイツ館のようにヨーロッパの美しい建築物が日本で見られたりしますね。下記記事では、旅の道中で目撃した凄い建築物を紹介します。
板東俘虜収容所の所長「松江豊寿」の教えに共感
建屋の周辺には、当時の板東俘虜収容所の所長であった松江豊寿(まつえとよひさ)の銅像が立てられていました。
板東俘虜収容所が「模範収容所」と呼ばれた背景には、彼の存在は欠かせません。
松江豊寿氏は、日本最大の内戦と言われている明治維新時の戊辰戦争で降伏した会津藩で生まれました。
そのため、朝敵として情け容赦のない扱いを受けた体験があり、敗者の惨めさを骨身にしみて理解していたそうです。
そのような過去があったため、捕虜となったドイツ兵の受入れには人道的に扱うことを決意し、部下にもその旨を徹底しました。
捕虜たちが不自由のない生活ができるよう、時には軍上層部とケンカ腰で掛け合っていたそうです。
そのためか、軍上層部から睨まれ、補助金のカットなど厳しい仕打ちがありましたが、最後まで信念を曲げませんでした。
松江豊寿氏は、武士道の精神を忘れることなく生きていき、今でも会津の誇りとして地元は元より外国でも尊敬されています。
松江豊寿氏の信念であった「捕虜は愛国者であって犯罪者ではない。人道的に扱うべき」の考えには共感させられるね。
ドイツ館内のマスコットたち
ドイツ館内へ入ってみると、何やら不思議な動物像を目撃しました。
実はこの動物像は、ドイツのリューネブルグ市から寄贈された塩猪像(ザルツ・ザウ)です。
リューネブルグ市は製塩の街として発展してきた歴史があり、塩発見の起因となったのが猪でした。
そのため猪は「富の象徴」として扱われています。
その他にも第九を演奏している折り紙が展示されており、その出来栄えに感心しました。
楽譜の前には、可愛らしい人形が並べられており、人形を見ていると何だか和んできますね。
一通りマスコットたちを眺めた後は、2階へ上がり当時の捕虜となったドイツ兵について学んでみましょう。
【マスコットあれこれ】
観光スポットへ訪れると、その土地や観光スポットに関するマスコットに良く出会えますね。下記記事では、そんなマスコットが存在する観光スポットを紹介します。
捕虜となったドイツ兵の生活を垣間見る
第一次大戦で日本はドイツが支配していた中国の青島(チンタオ)半島の占領に成功しました。
当時青島半島を守っていたドイツ兵が、捕虜として日本各地の収容所へ送られ、その内の一つが「板東俘虜収容所」ですね。
こちらの写真が板東俘虜収容所の全体像を再現したジオラマであり、敷地面積は57,000平方メートルもあったそうです。
松江豊寿氏の信念に基づき、捕虜たちは収容所内で音楽や娯楽、演劇、スポーツなどを楽しむことを許されていました。
また、捕虜による商店街の運営を行なっていたそうですね。
地元住民は、捕虜を「ドイツさん」と親しみを込めて呼んでいたことからもわかるように、温かい交流が図れていたと言われています。
それが今日まで続くドイツとの絆になっていますね。
このジオラマを眺めていると、ドイツ兵捕虜と地元住民の暖かい触れ合いが目に浮かび、感慨深く感じました。
展示されていた板東俘虜収容所の模型を眺めてみましょう。
模型の窓の中をそっと覗くと、ドイツ兵捕虜が手紙を書いています。故郷へ送る手紙でしょうか。
別の窓の中を覗いてみると、ドイツ兵捕虜が絵画を描いていました。捕虜でも趣味を楽しめていたことがわかります。
その他にも楽器を演奏していたり、捕虜たちで集まって丸テーブルを囲み会談しながら食事をしていた光景を目撃し、捕虜の自由や自主性を尊重した内容に驚きを禁じ得ません。
その他には、当時ドイツ兵捕虜が使っていたバイオリンや置時計、双眼鏡などが展示されており、先ほど見学した板東俘虜収容所の模型と合わせて、捕虜たちの生活を垣間見ることができ、大変勉強になりました。
第九シアターでドイツ人のロボットによる演奏を聴こう
2階の奥にある第九シアターへ向かいましょう。
第九シアターでは、第九初演のエピソードを映像と音で楽しむことができます。
特にドイツ人のロボットによる演奏が印象に残りますね。
上演時間は、10時~16時半まで30分ごとにされるため、何回でも聞けるチャンスがあります。
1918年(大正7年)6月1日に板東俘虜収容所内で、ドイツ兵捕虜により「第九」の全曲が演奏されました。
その歴史にちなんで、鳴門市では6月1日を「第九の日」と定めています。
そして、毎年6月の第1日曜日に「第九」演奏会を開催しており、歓喜の交響曲を歌い続けられていますね。
ミュージアムショップでお買い物
ドイツ館1階には、ミュージアムショップがあり、ドイツのお菓子やドイツ館オリジナルグッズを販売しています。
ドイツ館へ訪れた記念にドイツのお菓子を買って知人・友人へお土産として配ってみませんか。
ドイツ旅行へ行ったと思われ驚かれるかも知れません。(笑)
ドイツにちなんだイベントが盛りだくさん
ドイツ館では、年に数回ドイツにちなんだイベントを開催しています。
例えば、毎年10月に開催されるドイツグルメッセでは、ドイツのワインやビール、バームクーヘン、ソーセージなどドイツグルメが満載です。
また、毎年12月に開催されるクリスマスマーケットでは、ドイツの伝統的なクリスマス菓子シュトーレンなどを頂く事ができますね。
その他にも春にはフリューリングスフェスト、夏にはドイツビールフェアなどイベントは盛りだくさんなので、イベントの時期に合わせて訪れてみるもの良いでしょう。
道の駅「第九の里」の紹介
ドイツ館に隣接して道の駅「第九の里」があります。
ドイツ館では食事をするところはありませんので、食事をする場合は、この道の駅を利用すると良いでしょう。
ドイツのビールやドイツのソーセージを使用したホットドッグを味わうことができますね。
また、物産館では「鳴門わかめ」や「なると金時」など地元特産品が販売されています。
特に注目なのは、この道の駅では、板東俘虜収容所の兵舎をそのまま活用していることです。
ドイツ館と合わせて立ち寄って見てみましょう。
道の駅「第九の里」
- 住所 鳴門市大麻町桧字東山田53
- 電話番号 088-689-1119
- 営業時間 9:00~17:00
- 定休日 毎月第4月曜日 (祝日の場合はその翌日)、年末(12/28~12/31)
- 駐車場 大型10台、普通105台、身障者用3台
【道の駅の紹介】
旅の道中で道の駅には良く立ち寄り休憩したりしますので、下記記事で紹介します。
板東俘虜収容所の跡地を訪ねて
ドイツ館から南へ約800mほど離れたところに板東俘虜収容所の跡地があります。
今は公園に整備されており、少しですが当時の面影を見ることができますね。
こちらの写真は、かつて第2給水施設があった場所です。煉瓦済みの水槽が見て取れます。
この写真の辺りには、かつて兵舎があったそうです。
公園内には案内板が設置されており、当時の状況を詳しく教えてくれます。
案内版には、当時の板東俘虜収容所の全景も撮られており、ドイツ館で見学したジオラマ通りですね。
第二次世界大戦の終結後、板東俘虜収容所はしばらくの間、海外から引きあげてきた日本人の仮住まいとなっていました。
当時そこで暮らしていた高橋春枝さんは、ある日草に埋もれていた石碑を見つけたそうです。
その石碑こそ、かつてドイツ兵捕虜たちが、この収容所に関係する施設で亡くなった11人の同胞のために立てた慰霊碑でした。
高橋さんは慰霊碑が立てられた理由を知ると、自分が海外で体験した経験と重ね、この慰霊碑の定期的な清掃や献花を続けていると、1960年10月に新聞で紹介されるに至ります。
そのことがきっかけとなり、当時のドイツ大使が慰霊碑を訪れ、鳴門市とドイツの交流が再開し今に続いているのです。
2016年(平成28年)10月に板東俘虜収容所の跡地は国指定史跡に指定されました。
ドイツ兵捕虜が造った橋とは
ドイツ館から北へ約1kmほど進むと阿波国一宮で有名な大麻比古神社があります。
この神社の境内には、ドイツ兵捕虜が造ったアーチ形の橋が2つ保存されていました。
こちらの橋は「ドイツ橋」と呼ばれています。
この橋の前には柵が立てられており、橋の上は渡れません。
もう一つが「めがね橋」です。ドイツ橋ともども頑丈そうな造りが見て取れますね。
ドイツの土木技術を生かして造られたこれらの橋は、友好の証として今もその姿を見ることができます。
ドイツ館の基本情報とアクセス
住所 | 徳島県鳴門市大麻町桧字東山田55-2 |
電話番号 | 088-689-0099 |
営業時間 | 9:30~17:00(入館は16:30まで) |
定休日 | 第4月曜日(祝日の場合はその翌日)、 年末(12/28~12/31) |
入館料 | 大人400円、小中学生100円 ※団体割引あります。 |
※20名以上の団体の場合は、入館料一人当たり大人320円、小中学生80円です。
【アクセス】
- JR板東駅からタクシーで約5分
- JR鳴門駅より徳島バス鳴門大麻線「ドイツ館」下車
- 板野ICから車で約10分
ドイツ館の駐車場
ドイツ館の直ぐ近くに無料駐車場があります。また、道の駅「第九の里」内にも無料駐車場があります。(大型10台、普通105台、身障者用3台)
まとめ
ドイツ館や板東俘虜収容所の跡地などを訪れて、当時のドイツ兵捕虜と地域住民の交流について学ぶことができました。
捕虜と聞くと暗い歴史を連想してしまいますが、この板東俘虜収容所では一切そのようなことがなく、 ドイツ人の尊厳を守り、捕虜とは思えないほど自由に暮らせていたようです。
今後もドイツ館や板東俘虜収容所の跡地にある慰霊碑を通じて、末永くドイツとの友好が続いていく事を願っています。